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お手本

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 着々と復興が進む中、凪の日々が続く尸魂界、そして瀞霊廷。事務方は仕事に追われているが、流魂街含む尸魂界全体の警邏が主な仕事の九番隊は、比較的のどかな毎日を送っていた。むしろ忙しいのは、瀞霊廷通信の発行に係る部分で、不定期発行だった通信もここ一年は毎月定期発行されている。
 その瀞霊廷通信の締め切りも無事に過ぎて、月内でいちばん手隙の時間がやってきていた。
 朝会から戻った後、特に仕事がない六車は、今月発行の瀞霊廷通信を先読みしながら、中央官庁に向かった檜佐木の帰りを待っていた。
 通信も折り返しのページに差し掛かり、ぺらりとめくったところで、隊首室のドアが開く。封筒を携えた檜佐木が、ただいま戻りました、と声かけして入ってきた。
「おう、ご苦労」
「先月申請した隊舎道場の備品は申請通ってました。あと、総務部の月例会議事録です。いつもの署名お願いします」
 檜佐木が封筒から綴じられた書類を差し出す。受け取った六車は興味なさそうにぱらばらめくってから、署名欄を見やった。
 副隊長の署名欄に、檜佐木の名前が書き込まれている。六車がまじまじと見ているのに気づいた檜佐木が、肩をすくめる口調で説明した。
「向こうで記入するものがあったので、俺の分を先に書いちゃいました」
 議事録の署名欄は他の書類より幅が狭い。せせこましい記入欄に、檜佐木のはらいに勢いがある伸び伸びした署名が、枠内からはみ出さず収まっている。
 この数年、手続きで檜佐木が署名した書類に、六車が最終承認者として名前を書き込む作業をごまんとこなしてきた。檜佐木の筆跡はいつでも自信をもった力強さで、署名欄にぴったり収まっている。編集者という書き仕事をしているわりに、思い切りの良い字だった。
「修兵」
「はい、なにか」
「お前の署名、いつ見ても枠いっぱいに収まってんな」
 しみじみと六車が呟く。檜佐木は苦笑いで「書きにくかったですか?」と訊いてきた。六車は軽く下唇を突き出した表情で片肘を付き、署名欄を眺めて答える。
「いーや。単に、書いてる本人に似合わず堂々とした字だと思ってよ」
 六車の言葉を聞いた檜佐木がきょとんとしてから、懐かしげに微笑んだ。六車に横顔を向けて、宙空を見つめて話し始める。
「霊術院に入った頃は、字汚かったですよ。俺は流魂街の出で、あそこには学校なんて大層なもんはなくて。たまたま学のあるじいさんのところで読み書きを習ってましたけど、習字の教養はなかったですし」
「……」
「字が汚いのは瀞霊廷出身の先輩にも同期にも言われて、自分で練習もしました。ただ……」
 六車は、檜佐木が恵まれない立場から力量だけで、周囲を頭抜きにしてきた秀才院生だと聞いていた。周囲から認められ、悠々とした院生時代を過ごしていたものとばかり思っていた六車は、意外な苦労を聞かされて内心で驚いた。
 肩肘をついたまま、檜佐木の横顔をじっと見つめる。無言でいる六車に、檜佐木は振り向いて照れくさそうに昔話を続けた。
「手本が欲しくて、でも霊術院で今更習字なんてやりませんし、いろんな書類や記録の帳面が俺の教本でした。そこで、見つけたんです」
「何を」
「貴方の署名が記入された過去の日誌を」
 六車は目を丸くしてから、呟いた。
「ガッコはそんなモン残してんのか?」
「いえ。きっと手違いで数冊だけ残っていたんだと思います」
 手違い、と口にした檜佐木の顔が一瞬だけ曇る。
「俺はあの頃、貴方のなにもかもに憧れていて、なのに記録上では、あり得ないような出来事が羅列されていて、……自分の体験と公的な記録の落差に、打ちのめされていたんです」
「……」
「でも、署名の字を見たとき、俺は周りがなんと言っても自分の記憶だけを信じると決めた。俺を助けてくれた六車九番隊を、信じるんだって」
「で、俺の字を手本にしたと?」
「勝手してすみません」
 六車がじろりと見やると、檜佐木は照れ笑いを浮かべたままで、ぺこりと小さく頭を下げる。
「別に構わねえよ」
 六車はむず痒そうに口を引き結んで不機嫌な顔になり、渡された日誌の署名欄にさっと自署を書き入れた。
 返却された紙面を確認した檜佐木は、この筆跡です、と言いたげに目を細めてじっと見つめる。六車はますますむず痒そうな顔で、ふいとそっぽを向いた。
 檜佐木が他の書面を確認していると、隊首室のドアが開いて、白がばたばたと駆け込んできた。
「久南、どこ行ってたんだ」
「しゅーへー、お八つ買ってきてくれた?」
「ああ。でも、今食べるんじゃないぞ。後でな」
「わかってるもーん」
 答えながら、白は檜佐木が受け取った議事録の紙束を見た。ひょいと背伸びして覗きこみ、署名欄に並んだ隊長・副隊長の名前を確認する。
「確認よーし」
 スーパー副隊長の指さし確認を受けた檜佐木は、「ありがとな」と白に礼を言うと、六車を振り向いた。
「じゃあ俺、これ出してきますね」
 一声かけて、檜佐木が部屋を出て行く。
 ぱたんとドアが閉まる音がしてしばらく、白がくるりと六車を振り向いた。
「けんせー、変な顔してる」
 白に訊かれ、六車はらしくなく歯切れの悪い口調で低く呟いた。
「……アイツ、霊術院に残ってた俺の書き文字を、習字の教本にしてたんだとよ」
 白が瞬きする。六車は再び横を向いて肩肘をつくと、むっつりと口を閉じてしまった。その六車の横顔を体ごと傾げて覗き込んだ白が、「なーに、その顔~」と微笑む。
「しゅーへーの文字、けんせーの字に似てたもんね。良かったね~」
「良かねえよ、……俺の字、汚ねえのによ」
「だよね~」
 白が相槌を打ちながら執務机の側に屈んだ。机に置いてある書きかけの書類の字を見て、六車のそっぽを向いた横顔を見上げる。はにかみを噛み殺す六車の横顔に、長閑な声で呼びかける。
「ねー、けんせー。うれしい?」
 白の声に六車は答えず、隊首室の窓から外を眺めるフリで、照れくささを噛み殺そうとしていた。

 

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