吸死

一年の計は元旦にあり

吸死

 

「ここにいると無限に食い物出てくるな……」
 年末年始をミカエラの館で寝正月していたケンは、炬燵に潜り込み、元旦の昼放送の新春特番をつらつら見ていた。さっきまで、天板の上には洋風おせちのお重が乗っていた気がするが、いつの間にか下げられていた。
 三兄弟は、クリスマスをミカエラの館で迎えて、長兄のケンだけ元旦まで居座っていた。
 クリスマスから三十日までは、ミカエラが張り切って凝った料理を出したり、透が鍋物を準備したり、賑やかな暴飲暴食の宴を繰り広げた。そろそろ腹がもたれたなァと思い、大晦日はケンが胃袋を休める手料理と、年越し蕎麦を作ってやった。ミカエラが、ちょっといいボトルを出してきて、除夜の鐘をテレビでリアタイし、ご来光がそろそろという時間になって、末弟の透は根城の廃ビルに、妹のあっちゃんと仲良く帰って行った。お化け屋敷の大掃除が残っているのだという。出来る末弟を見送り、ケンは当然のようにミカエラの館の和室に戻っていった。ミカエラも、当然のように戻る兄に何も言わず、元旦の夕方には洋風おせちを振る舞った。ケンからすれば、至れり尽くせりの年末年始である。
 根無し草の長男が、きっちり縄張りと使徒を囲う生活をしている次男の元に転がり込んでいる様子は、人間ならあちこちから後ろ指を指されそうだが、吸血鬼の界隈でもまあまあ同じだ。三兄弟の長男は風来坊で寝食に困るとVRCに(捕まって)泊まりに行く、年若い吸血鬼の間ではそんな悪評が下されている。百数十年前がどうだったかとか、最強の催眠系能力の持ち主だとか、今は関係ない。評価は、日頃の素行で決まるのた。若手の評判は、何も間違っていない。
 愚兄に寄生される弟のミカエラはというと、拠点らしい拠点を持とうとしない兄を一切否定しない。どころか今年は、「気が済むまでいればいい」と言い出す始末だ。常日頃のポンチを指して愚兄と罵っているミカエラだが、基本的に兄をこよなく崇敬している。外面ではどう言っても、けして兄を拒否しない。
 そんな弟に胡座をかく恰好になって約一週間、ケンもさすがに思うところがあった。
「兄弟で一宿一飯の恩義もクソもねえが、さすがに家事くらい手伝うべきか?」
「そう思うなら、私のマイクロビキニの征服を手伝え」
「それはナイ」
 引き戸を開けて、追加の蜜柑を持ってきたミカエラがかなりシリアスな口調で言うのを、ケンは一蹴する。家族水入らずの時間で、頻繁に差し込まれるやり取りだ。
 ミカエラがどれぐらい真剣に持ちかけているか、ケンは詳しく知りたくないので、いつも受け流している。不器用な弟が自分なりに築いた人間社会との距離について、とやかく言う気はない。だが、お馴染みVRCに、辻野球拳で捕まるのとマイクロビキニの露出狂で捕まるのだと、前者の方が百倍マシだと強く思う。なんといっても、野球拳は老若男女が楽しめる娯楽だ。害悪のわけがない。
「ここに居候していれば、辻野球拳とかいうたわけた奇行で捕まった貴様をVRCに引き取りに行く手間が省ける」
「奇行じゃなくて大衆娯楽だっつってんだろ」
「若い女をターゲットにしておいて何が大衆娯楽だ、愚兄め」 
 ミカエラが舌打ちし、冷たい足を炬燵につっこんできた。ケンは仕方なく、遠赤外線で熱々になった両脚で、ミカエラのきんきんに冷えた足を挟み込んでやる。熱いふくらはぎで片足を挟まれて、ミカエラがひゃっと肩をそびやかした。
「吸血鬼にしたって冷たすぎんだろ、保冷剤か?だから冬場のマイクロビキニはやめろっつうのに……」
「うるさいっ」
 てっきり着込んで炬燵に潜りこんでいるのかと思いきや、素足だった兄に思わず視線を逸らす。
 ケンの要望で、ミカエラが館に和室と炬燵文化を導入してから、炬燵の中で足を蹴りあったり押しつけあったりは、コミュニケーションとして三兄弟の間で定着した。そのうち、ケンがミカエラの冷たい足を足の間に挟んでやるのがちょっとした習慣になっていった。末弟の透にはしないし、透からミカエラにすることもない。ケンとミカエラの間でだけ成立している習慣だ。
 兄は素足の先で器用にソックスガーターを外して、ソックスを脱がしにかかった。直に素足を温めてやろうという算段だ。脱がすな、と叱り飛ばそうとしたミカエラだったが、まるで何の気なしに弟の冷たい足を温めてやっている兄の態度を見て、口を噤んでしまう。いつもは何枚も重ね着した服の上から押し包まれるのだが、ひりひりと火照った肌を押しつけられ、久々に兄の素肌を感じたミカエラは炬燵布団を握りしめた。ひんやりした足指を動かすと、兄の温まったふくらはぎの感触が余計、生々しく感じられる。
 ケンは、炙られた肌をほどよく冷やしつつ、もう片方の足と交換する。弟の様子に気付かないまま、テレビ画面から目を離さずに、気の抜けた声で呟いた。
「ここに居着くと、吸血鬼としての気鋭が削がれんな~。マジで骨抜きにされるわ」
「……だったら、骨抜きにされたらいい」
「あ?」
 間抜けた返事で振り向いたケンは、ミカエラの思い詰めた熱っぽい眼差しに出くわして、ああー、と目線を斜め上に逸らした。
 兄弟水入らずで過ごしたい気持ちは勿論あって、その上で、ミカエラが兄弟以上の執着をしてくるのは知っている。コンプレックスと、愛情と、これまでの色んな傷から生じた拗れとが、熱くて黒い、人間の血に似た何かになってわだかまっている。弟の向ける感情を、兄弟愛の範疇だという顔で受け止めて、やり過ごしている狡い自分を、ケンも嫌と言うほど自覚していた。時間がいずれ解決するだろと高をくくり、ちゃんと考えないようにしてきた。今に至るまで、どれくらい経ったのかも、考えないようにしていた。
 頑なに現状維持でやり過ごそうとする兄を前に、ミカエラは爛れるぐらいの熱情を抱えたまま、長い間、立ち尽くしている。
 吸血鬼の世界も人間の世界も、マイペースに上手く渡り歩いているケンだが、ミカエラの事だけは程よい距離を保てない。弟の幼気さを、突き放すことも抱きしめることもできないまま、付かず離れず、寄り添ってしまっている。目を逸らしてきたツケを、いつか支払う時が来るかもしれない。その日までは、と目を逸らしたままこんな風に、向き合う恰好だけしてみせてしまう。
(それでも、アホみたいに冷たい弟の足は、あっためてやりてぇだろ)
 表面温度がすっかり冷めたふくらはぎで、ミカエラの両脚を挟み込む。炬燵に炙られても一向に温まらない弟の素足を、少し乱暴に脚の間で擦ってやった。
 無言だったミカエラが、脚の間で抵抗する仕草をした。擦るのを止めると、ミカエラが低い声でぽつりぽつりと話し出した。
「兄さんは、私たちの元にいるべきなんだ」
「……」
「今の私なら、下らない人間どもから兄さんを守ることだって出来る。この館には、人間どもは干渉できない。なんなら、吸血鬼の連中だって……」
「俺ァ、好き好んで人間を相手にしてんだ。ミカが心配するような事には、ならねえよ」
「だとしても、私は兄さんを、連中の元に行かせたくない。ここに、私の側に、留めておきたい」
 弟の思い詰めた声に根負けして、ケンはミカエラを見やった。
 一族でも抜きんでた美貌、母の面影が色濃く残る端整な顔を、あえてマスクで隠すミカエラのいじらしさに、ケンは溜息をつく。兄の根負けした溜息を聞いて、ミカエラがそろりと手を伸ばしてきた。伸びてくる手が口元のマスクを引き下ろし、似ていない輪郭を撫でるのを、なし崩しに受け入れてしまう。
 ミカエラの手が触れて快くなかった事など、一度もない。愛する弟の手だ、どんな触れ方だって快い。
「兄さん」
 脚の間からミカエラの足が逃げた。炬燵から出て、天板越しに身を乗り出して顔を寄せてくる。ケンは迫ってきた顔をぐいと押しやると、目元を覆うマスクを指先で引っかけた。
 兄の手がマスクに触れたので、ミカエラは逡巡ののち、目元を隠すマスクを外した。久しぶりに素顔で向き合っても、兄とは傷つくほど似ていなかった。今でも兄弟と似ていない顔は嫌いだ。だが、似ていないせいで自分の感情に何の罪悪感も抱かずに済む。
 触れてきたミカエラの牙が、軽く唇を引っ掻いたので、ケンが顔をしかめた。ミカエラは兄のしかめっ面に気付かず、小さな咬傷に吸い付いた。これ以上傷つけないようにと、両手でケンの顔を押し包んで軽く上向かせる。お互い、閉じた目を薄く開いて相手をうかがい見た。ミカエラは兄の中に後ろめたさを、ケンは弟の中に滾る情動を見た。建前と綱引きする悪あがきの空気が、諦めを得て、たわんで解ける。
 兄弟はお互い、まじまじ相手の目を見つめてから、どちらからともなく瞼を閉じた。
 テレビの向こうで、漫才師が「わかっててなんでするねん!」とツッコミを入れ、場内がわっと爆笑に包まれるのが聞こえる。ケンはミカエラの息づかいを感じつつ、リモコンを引っ張り寄せるとテレビの電源を切った。

 

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