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Hesperus

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 アキレウスは王や神ではなく英雄だ。彼の傲岸不遜は己の実力と戦果に基づくものであるし、語る言葉は大言壮語ではなく実力に見合う言葉だ。行動理念も明確で、大義や道理によって動くのではなく己の信じる正しさを貫くために動く。時には情に流されて判断を誤る時もある。半神だが、在り方は人間にずっと近い。マスターのように困難な道のりにある若者が、彼の揺るぎない強さを慕うのは自然な流れだった。
 アキレウスがマスターを守る動機は、マスターであるから以外に、マスターを「庇護すべき者」と見なしているからである。マスターに対して頼れる兄貴分を標榜し、力になると約束したアキレウスだが、根底にあるのは神の視点だ。これは、アキレウス本人も意識していないだろう。
「マスターが君のこと、太陽みたいな英雄だ、ってさ」
 ヘクトールが穏やかなトーンで話しかけてきたので、アキレウスは小さな驚きと共に振り返った。一行は周回クエストの休憩中で、ヘクトールは珍しくアキレウスの隣に陣取っていた。
 普段はそれとなく距離を置いて、必要以上の会話を求めない、するとしても相手の神経をわざと逆撫でする皮肉や嫌味を鏤めた言葉選びでしか話しかけない。会話する気があるかも怪しい。そんなヘクトールに、普通に話しかけられてアキレウスは思わず周囲を見回した。しかし、何か企んでいる気配はない。
 ヘクトールの話は続く。
「カルデアには英雄と呼ばれるお歴々がわんさといるが、君はそんな彼らが憧れる英雄の中の大英雄だものな。マスターが憧れて頼りにするのは当然だ」
「急に何の話だ。マスターを取られそうで牽制しにきたのかよ」
「取られる?よしてくれ、オジサンはマスターの旅路で露払いをするだけの男さ。信頼以上の何かを得ることも返すこともしない」
「信頼なんて、一番高い対価じゃねえか」
 アキレウスが笑う。ヘクトールは、やや離れた場所でマシュの渡してきた水筒を受け取るマスターを見やると「そりゃあ、貰うなら一番いい対価が欲しいもんだろ」と嘯いた。
 ヘクトールの視線に気付いたマスターとマシュが、にこやかに手を振る。アキレウスとヘクトールも手を挙げて応じた。
 彼らから見た自分たちは、大人の冷静さで相手との因縁を解決した者同士に見えるのだろうか、とヘクトールは手元に視線を戻す。隣のアキレウスは寛いだ態度で小休憩を満喫している、最初こそ様子を窺ったが、もう微塵も身構えていない。
「毎回、同じ景色だってぼやく奴もいるが、俺はこの、森の中って設定は好きだな」
「へえ」
「山育ちだからってわけじゃないが、自然があると落ち着く」
 それは君がプティアの田舎者だからだ、と嫌味が口をついて出そうになり、ヘクトールは咳払いする。それを聞きとがめたアキレウスはじろりと目だけで振り向き「田舎者と思ったんだろ」と軽く口を尖らせた。
「とは言え、故郷のことはそんなに覚えちゃいないんだ。郷愁を感じてるわけじゃねえよ」
「ふうん?」
「静かな森は誰だって落ち着くだろ。砂塵にまみれる戦場も心躍るが、こういう場所だって好きさ」
 薄い蜂蜜色の目に、かつての戦いで得た悔恨や憎悪を懐かしむ色が過ぎる。確かにその眼差しは太陽の色をしていた。こうして遠い顔をするアキレウスには稚さがあり、自分より一回り近く年下だったことを思い出す。サーヴァントの時間感覚に、一生のいつ、という点の時間感覚は乏しい。しかし、まさしく同時代を生き、戦った者であれば話は別だった。ヘクトールから見たアキレウスはいつでも、一回り年下の恐るべき「クソガキ」に違いない。
「君はさ、マスターの前では大らかな太陽であれよ」
「なんだよ、急に」
「君の強さは太陽の如し、だ。太陽神の加護を得ていた国の王子が言うのもおかしな話だけどね。マスターの前では、暖かく、明るく、道を照らす確かな光のままでいたまえよ」
 アキレウスを顧みずにぼそぼそと独り言めいて語りかけるヘクトールに、アキレウスは口を噤む。諌言を手に握らせるような口調をしていた。ヘクトールの横顔に暗い疲労の色を見る。それは今感じている疲労ではなく、かつて重くのし掛かっていた戦いの疲労感だと、すぐに気付いた。
「過ぎた太陽は旱となる」
「……」
「君が旱の神となってすべてを殺し尽くそうとする様を一度見ているからか、今生はただ輝かしいだけの存在であってくれと願うばかりだ」
 ヘクトールがふと自嘲する。アキレウスの、太陽の如き輝きを慈悲無き旱魃に仕立て上げたのは、他ならぬヘクトール自身だった。あの戦いに纏わる悔いは汲めども尽きないが、一騎打ちに身を投げ出した事だけは、まったく悔いていない。
 アキレウスもまた、ヘクトールを灼熱のごとき憤怒で焼き殺した事実をはっきり覚えている。ただ討ち果たしただけでは飽き足らず、義にもとる行いもした。ヘクトールの行いだけではない、その結末に至るまでの総てに対して、魂がひび割れそうになるほど、憤り続けた。
「たしかに、あの怒りは旱の怒りだった」
 アキレウスがぽつりと呟く。霊基にも魂の傷痕が再現されているのか、胸の底がひりひりと痛みにひきつれる。過去の激情を思い出して、苦く短い嘆息が洩れた。隣で、ヘクトールが可笑しそうに笑う。己の憤怒の余熱に喘ぐ様を滑稽と思ったのか、憐れんだのか、どちらとも取れる含み笑いに聞こえた。アキレウスが振り向くと、ヘクトールは後ろに手をついて、木漏れ日差す空を見上げた。
「もし君が旱魃の如き怒りに飲まれても、マスターはオジサンが守るし、うちの弟がまた君を射抜く。だから、安心して消滅してくれたまえ」
 霊基の消滅を前提でもしもの話をするヘクトールに、アキレウスが呆れ気味に食ってかかった。
「宥めたり説得したり、しねえのかよ」
「君を説得ぅ?そんなもん、できるわけないだろ」
「テメェな」
「オジサンはちっとも君と対等じゃないのに、英雄に祭り上げられていい迷惑してるんだぜ。これ以上、巻き込まれるのは勘弁ねがいたいもんだ」
 おどけた調子でそう言って、ヘクトールは乾いた笑いを溢す。アキレウスは反論しようとして、口を噤んだ。自分の存在がヘクトールを英霊の座に引き上げて繋ぎ止めたのだとしたら、悪くない気分だ。
 自分を太陽の如しと揶揄するヘクトール自身も、また輝く者に違いない。アキレウスは生前からずっと確信していた。さしずめ、夜明け前に消える明星だろう。アキレウスの輝きとは無縁の場所で静かに瞬き、追いつくことなく、永遠に巡り続ける者。
(俺はあの時、燃え盛る憤怒ではお前を殺せないのだと思った、だからこそ、あんな真似をした。立ち去ったお前の魂に、神々に、知らしめてやりたかった。……ああ、そうか)
 アキレウスの口元がふと緩む。生きている間に気付かなかった答えに気が付いて、ひりつく霊基の傷痕が別の痛みに疼き出す。
 機嫌の良ささえどこか胡乱なヘクトールの横顔を振り返る。ヘクトールはもう、アキレウスに無関心を決め込んでいる。取り付く島のない態度を見せるヘクトールを、アキレウスは陽射しの熱が灯った眼をして黙って見つめ続けた。

 

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