kengan

南窓

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 滅堂はいくつかの屋敷に、当代の牙の部屋を設けている。六代目が決まった日に、それらの部屋は弓ヶ浜ヒカルに明け渡されると決まった。
 都心から離れた郊外にある広大な屋敷は、滅堂が拾い育ててきた護衛者の候補生たちが寝食を共にし、切磋琢磨する場所でもある。鷹山も、長らくこの屋敷の敷地内で同期の仲間たちと共に暮らし、強さの高みを目指した。
加納アギトにとっては、滅堂の養育を受けて人の心を取り戻した、揺籃の館だった。
 この屋敷にも「牙の部屋」があり、鷹山がまだ候補生だった頃には三代目が、一人前の護衛者となった頃には四代目が、滞在する際に稀に使った。
牙の部屋にいるということは、強さと誇りの証だった。
その部屋に加納アギトが移った日、鷹山は使用人や見習いの護衛者にかわって荷物を運び込むのを手伝った。鷹山は「俺がすぐに、お前をこの部屋から追い出してやる」と息巻いてみせた。鷹山から敵愾心を浴びせられた加納は、無表情だがどこか機嫌が良さそうな目をして、やってみるがいい、と答えた。挑発ではなく自信に満ちた答えに、鷹山は歯噛みした。
 屋敷にある牙の部屋は、加納アギトが日銀を去った後、そのままになっていた。この部屋も例外なく、弓ヶ浜が使えるようにしなくてはならない。しかし、賑やかな都心から遠いこの屋敷に、金と名声、奢侈な暮らしにしか興味の無さそうなあの男が寄りつくとは、到底思えない。滅堂も拳願会相談役となり、行動範囲が大きく様変わりした。この屋敷に立ち寄る機会も以前に比べて減っている。部屋を用意する必要がないのでは、という意見も聞こえた。
 しかし、滅堂の命令は絶対だ。その決定に、鷹山は異議を唱えられない。
 久しぶりに訪れた屋敷は、以前より外壁や家具が傷み、古ぼけていた。庭先で鍛錬する候補生のかけ声だけ、昔と変わらない。
 手伝いを申し出た使用人を断り、鷹山は一人で部屋の片付けに取りかかった。
 一階の奥にある牙の部屋は、施錠されていた。鍵を開けて中に入ると、室内はずいぶん整然としていた。私物らしい私物はほとんどない。
備え付けの家具の他に、縦に細長い本棚が一つ、置かれている。この本棚は、加納が五代目だった頃に唯一買い求めて設置した家具だ。鷹山もよく知っている。なにしろ、本棚を組み立ててやったのは、他ならぬ鷹山なのだ。加納は出来上がるまで部屋の入り口で黙って眺めていたのだった。
(テメェでやれよ、つったのを、出来ないとか抜かしやがった。人を顎で使いやがって……)
 蔵書はほとんど手つかずで残されていた。武術に関する本以外に、鷹山にはぴんとこない哲学書や心理学の本もあった。どの本も、加納の私物だ。鷹山は抱えてきた段ボールに蔵書を手早く詰め込んでいった。
 作業の手を止めて、南向きの窓を見る。
 部屋からは、中庭でしのぎを削り合う若者らが見える造りになっている。中庭からも牙の部屋の、一番大きな窓が見える。窓にはカーテンやブラインドはなく、昼となく夜となく、そこに当代の牙がいれば解るようになっていた。
鷹山は中庭から加納の姿を見据えた。加納はこの部屋から鷹山を見返した。
 加納がこの部屋にいる間、鷹山から部屋を訪ねることは一度もなかった。声を掛ける時は、わざわざドアをノックせずに、この大窓越しに呼びつけて、言づてや、時には、下らない話をした。
 本の詰まった段ボールを部屋の外に運び出し、空になった本棚を一睨みする。拳を握ると、躊躇無く、棚を支える背板めがけて打ち込んだ。棚の横板を叩き割る。背板と内側を支える横板をなくして、本棚はただのがらんとした箱になった。横倒して踏み抜くと、本棚はただの木片になってしまった。
 部屋から五代目の痕跡がなくなってしまうと、ただの、使われていない空き部屋にしか見えなくなった。鷹山にとって深い意味のあった大窓も、くすんだガラスの嵌まった両開き窓でしかなくなった。
 開けっ放しにしていたドアを更に開いて軋む音がして、鷹山が振り向く。
烈堂に言われて手伝いに来た三朝が、破壊された本棚を見て驚いたように肩をすくめた。
「あれ。家具、壊しちまうんです?」
「加納が勝手に足した分はな」
「ははぁ。その段ボールも?」
「そうだ。捨てちまっていい」
「いやいや、持っててあげたらどうです?戻ってきた時に怒られますぜ」
「知らねえよ」
 鷹山が口汚く呟くのを聞いて、三朝は苦笑した。感傷からか、もっと別の感情からか、破壊されてしまった本棚の残骸を見ると「掃除しないとですねぇ」と呟き、掃除道具をもらいに立ち去ろうとする。
 破壊した本棚の残骸を拾い上げる鷹山に、三朝が軽口を叩いて寄越した。
「ここ、使われないうちに代替わりしちまうんじゃねえですかい?」
「……滅多なことを言うな。御前のご意志は絶対だぞ」
 じろりと見やる鷹山に、三朝は肩をすくめて退散した。
瓦礫を部屋の外に全部運び出し、蔵書の段ボールを抱え上げた鷹山は、改めて、無意味な空間になった部屋を顧みる。南窓からは、誰も居ない中庭が切り取られた絵のように収まっていた。

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