kengan

いつかの

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 屋敷の裏庭には若いクヌギの木が植わっている。鷹山が屋敷に来た時は立派な大木に見えた木だが、成長するにつれてまだ若木であること、そこまで巨木でもないことが解ってきた。さらに時間が経ち、クヌギは屋敷の庭に植わった木の中ではごく標準的な木で、自分が規格外の体格に恵まれたのだと解ってきた。クヌギの木の、中程の枝に軽く背伸びしただけで手が届くのは、鷹山の他には王森と加納、護衛隊の隊長にあと一人か二人かいるくらいだ。
 裏庭の、その一角は長らく鷹山の庭だった。庭師が念入りに手入れしに来ない、使用人達も近付かない、裏庭の先は藪同然の植え込み、そして屋敷を囲う塀があるだけ。名前も解らない灌木が雑然と繁る藪の中に、たまたまぽっかりと木の生えていない二メートル四方くらいの空間があり、鷹山はそこを「秘密基地」にした。何を持ち込むのでもない(そもそも拾われてきた鷹山はろくな私物を持っていなかった)、草をむしり土を踏みかためて慣らし、誰にも見られないように鍛錬に励んだ。指導に来ていた各種武術の師範代が教えた基礎を人の倍以上こなし、同期の仲間の誰より強くなると心に決めていた。
 努力し、自信もあった。秘蔵っ子の加納と初めて対決するまで、鷹山は自分が同期の仲間たちの中で抜きんでており、見込みがあると、滅堂の覚えめでたい一人に入っていると、思っていた。その自惚れは、加納の苛烈な一撃と冷徹な言葉で打ち砕かれた。完膚なきまで、という言葉の意味を知るより先に体感した鷹山に宿ったのは、燃え盛る復讐心と対抗心、打倒加納アギトの決意だった。
 空き地で誰にも見られぬように鍛錬するのは、その時にやめた。鷹山は加納の目の届くところで足掻き、追い縋る自分の爪を、牙を、見せつけなくては気が済まなかった。半年、一年、二年。鷹山が空き地のことをふと思い出して裏庭に足を運ぶと、空き地は藪に飲まれてどこにあるか解らなくなっていた。緑に飲まれてしまった思い出に立ち会って、鷹山は幼年期の終わりを噛みしめた。
 もう、裏庭の事もクヌギの木の高さも忘れた頃、鷹山は年老いた庭師に頼まれて裏庭の手入れに訪れた。休日だったが、これといってやることもなく、体を動かしたい気分だったのでちょうどいい機会だった。
 一輪車に道具を乗せて裏庭にやって来ると、例のクヌギの木の前に加納が佇んでいた。ぱっと見、身支度を終えてあとは出かけるだけのように見える。撫でつけた黒髪は乱れなく艶やかで、生っ白いと鷹山がいつも揶揄する顔は初秋の穏やかな陽射しのせいか、屋内にいる時より血色良く、あかるい。加納の顔立ちは琺瑯を思わせる硬質さがあるのだが、今はもっと有機的で柔らかな、息づく感触を想像させた。
「何をしている」
 一輪車を押しつつ、つなぎの作業着姿で現れた鷹山に気付いた加納が、不思議そうに瞬きする。
「庭いじりの手伝いだ。お前こそ、そんな恰好してこんなとこにいていいのかよ」
「ああ、もうすぐ出かける。御前のご用に付き添いだ」
 鷹山は返事をせず、芝刈り機を準備し始める。加納は、秋の裏庭の風情を愛でているのかもしれないが、そんなものお構いなしだった。けたたましい音で雑草を刈りはじめれば、煩くなって退散するだろう。鷹山は勝手に納得し、草刈りを始めようとした。
「鷹山、少しいいか」
「あ?」
 こっちは仕事だ、という顔でじろりと睨む。まったく気にせず、加納はクヌギの木の上を指さした。
「お前、あれが見えるか」
「なに?」
 加納が手招きする。鷹山は仕方なく歩み寄り隣に立つと、加納が見上げる方向を視線で追った。クヌギの葉が覆い茂る枝と枝の間から、やわらかい木漏れ日がちらちらと輝いて見える。眩しさに目を細めた鷹山の視線を導いて、加納の白い指先がすっと過ぎった。
「あの枝にある物が見えるか」
「ん?…あぁ、なんか引っかかってんのか?」
「あれは昔、鞘香が置いてきてしまった玩具だと思う」
「お嬢が?」
 鷹山が加納を顧みた。
 これは偶然だったのだが、鷹山が打倒加納を決意して裏庭の鍛錬場から卒業したすぐ後、裏庭は新たな主人を迎えた。滅堂の長女・鞘香がお転婆のさかりで、裏庭の探検を始めたのだ。クヌギの木は彼女の特等席になった。その頃、弟の烈堂はまだ一緒に駆け回るには幼すぎて、鞘香は一人遊びをしなくてはならない時期だった。
 何度か、このクヌギに登って、高すぎて下りられなくなってしまったことがある。急に令嬢の姿が見えなくなり、屋敷は大騒ぎになった。当時の鷹山の背丈なら手を伸ばせば抱き留められそうな高さだったが、幼い鞘香にはとんでもない高さだったに違いない。ワンピースを着て枝に跨がったままぐずぐずと泣きべそをかく鞘香を、護衛者の一人があやして飛び降りさせて抱き留めてやるのを、鷹山も加納も、遠巻きに観察していた。二人ともそれぞれに、幼い鞘香とどう接したらいいのか解らず、周囲の大人の振るまいを観察するしかなかったのだ。
「そんな昔の事、よく覚えてたな」
「鞘香は、枝の上に忘れ物があると訴えていた。大人たちは彼女の無事だけ優先して、結局調べなかった。木が成長して、もっと高い場所にいってしまったようだ」
 登るにしても今の自分では重量がありすぎる、と加納は言外に含ませつつ鷹山を振り向いた。どうしたらいい、と訴える視線の健気さに、鷹山は口を曲げる。あの日、木の上で泣きじゃくる鞘香に何もしてやれなかった自分を、あるいは自分「たち」を顧みようと促している気がして、どうでもいいと突っぱねられなくなってしまう。届かない場所にいってしまった時間をどうにかして手に取りたい、そんな我が儘を相談してきた加納の無邪気を、鷹山は上手く責められずに、短く舌打ちした。草刈りの準備を投げ出すと、クヌギの木にずんずんと歩み寄る。
 軽く構えて両脚を踏ん張る。マスクの下で鋭い息を吐き出しつつ、ぐんと上体を捻り、手加減無しの回し蹴りを幹に一発、お見舞いした。
 ずん、と重々しい音が衝撃と一緒に、あたりに響く。
 クヌギは、突然蹴っ飛ばされて震え上がった。幹から枝に伝わった衝撃で枝だが激しく揺れて、ざわざわと葉擦れの音が響く。はらはらと枯れかけた葉が落ち、一緒に、何か固くて小さなものがぽろっと根元に落ちてきた。
 加納が根元に屈んで、落ちてきたものを拾い上げる。鷹山も隣に来て、加納の拾い上げた「忘れ物」を覗き込んだ。
 それは、おもちゃのコンパクトだった。鞘香が持ち歩いていた頃は、メッキや飾りがきらきらして魔法を信じさせてくれたに違いない。風雨にさらされて見る影もないが、剥がれずに残っている僅かなメッキやくすんでしまったプラスチックの宝石たちに、その面影が残っていた。コンパクトをしげしげと眺めて裏表とひっくり返して見てから、加納は不意に鷹山を振り返った。
「どうしたらいいのかと思っていたのだが、あんなやり方があったとは知らなかった」
「誰でも思いつくだろ。だいたい、ガキの頃にやっただろ、木の実を取るのにとか」
「そうなのか」
 初めて聞く童話の結末に驚く子供のような顔をして答える加納に、鷹山は口をつぐんでしまう。
 自分が仲間達と鍛えあったり遊んだりしていた頃、加納はどこにいたのか。出会った時、加納はガラス質の情緒を持つ白い琺瑯質の少年だった。人らしい感情の起伏も、恐れも知らない、化け物だった。化け物の幼年期。鷹山には想像もつかない。
「鷹山は、私の知らない世界をたくさん知っているんだな」
「別に。お前がおかしいだけだ」
 おかしい、なんて言い方は乱暴だと鷹山は内心で自分に腹を立てた。が、乱暴な性格をしているから、こんな言葉しか出てこない。
 お前の知ってる世界はおかしい、お前の世界はまだ閉じている、本当は、そうじゃない。そんなんじゃない。
(こいつの目を、俺に、俺のいる世界に、向けさせておくだけの力がまだ、……まだ足りねえ)
 加納に、自分が獲得してきた世界を叩きつけるためには力が必要で、その力にまだ至らない歯がゆさに、拳を握りしめる。見つめる鷹山の眼差しに複雑な感情がこめられていると、加納は気付いているのか、いないのか、視線を合わせ見つめ合ったあとに、拾い上げた鞘香の忘れ物を鷹山に差し出した。
「私は行く。鞘香に渡しておいてくれ」
 少しためらってから鷹山が受け取る。加納は、満足げに少し目を細めるとクヌギの木を一度振り仰いで、屋敷の方に歩き去って行った。鷹山は黒スーツの後ろ姿が物陰に見えなくなるまで見届けると、手の中の玩具に視線を落とす。作業着の袖口で汚れを拭ってみると、ほんの少しだけ、昔のきらめきを取り戻したように思われた。

 

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