kengan

同じ秋は二度と来ない

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 弔問というのは、窮屈で居心地が悪い。運転手として随伴する時、鷹山は鯨幕で囲われた旧家の土塀を睨みつけ、腕組みした。
 亡くなったのは、滅堂の友人だ。歳も滅堂とそれほど変わらない。滅堂と正反対で物静かな好々爺の出で立ちをした老人だった。
 かつて暴対から厳重にマークされ続けた組織の若頭だったという、老人には壮絶だったろう過去の面影は一切なかった。まだ杖をついて自力で出歩けた頃、幼い鞘香や烈堂にお菓子や古めかしい玩具をあげては、きょとんとする子供達の様子に、不揃いな歯を見せて笑っていた。その光景を、鷹山と加納は遠巻きに眺めていた。当時、滅堂の牙は王森正道で、加納アギトの存在は日銀の内部にしか明かされていなかった。鷹山は、まだ秘書ではなく運転手兼駆け出しの護衛だった。
 老人は主人・滅堂とは別の修羅場をくぐり抜けて来た、時代を同じくする同胞に違いない。高齢で、いつ死んでもおかしくない病身ながら、最後まで惚けたりせず、しゃんと自分を保って、家族に見送られての大往生だったらしい。自宅の葬儀はこぢんまりしており、弔問客はまばらに訪れ、長々と焼香し、遺族に挨拶していった。ほとんどが堅気の人生を送ってこなかった、筋者なのは一目瞭然だが、喪服を着て沈鬱な敬意に項垂れているせいで、誰も彼も覇気が湿気ってしょぼくれて見えた。実際に、訪れる弔問客は皆、老人が居なくなった世界を侘しく思っているに違いない。一度も口を利いたことがない鷹山ですら、どんよりした空に似合いの鯨幕を見て、湿気った気持ちがした。
 滅堂は遺族と話し込んでいるのだろう。家族ぐるみの付き合いだった。死んで尚、老人がかつて犯した罪を糾弾する者が現れるだろう、血縁者が荷担してしようがいまいが、世間はお構いなしだ。そっと人目を忍んで送り出す遺族に、滅堂は様々な支援を申し出るに違いない。そうでもしないと、今を生きる滅堂は亡くなった老人の思い出を繋ぎ止めておけないのかもしれない。二人は、その程度に親密な友人だった。
 傷痕のある顔を晒すのも、マスクを着けたままでいるのも、どちらも失礼だろうと考えて、鷹山は斜め向かいにある駐車場の入り口、敷地を囲う低いブロック塀に腰を下ろして、主人が弔問から戻るのを待っていた。
 大柄な人影が、門から姿を見せる。普段から黒スーツを着る鷹山同様、加納の喪服姿は代わり映えせず、しっくりきすぎた。鷹山の方に近付いてくると、正面に立ちはだかる。
「お前は焼香しないのか」
「この面で弔問は出来ねえだろ。ご遺族が嫌な気持ちになる」
「そうか?」
 加納は小首を傾げた。鷹山は無視し、そっぽを向く。
 鷹山も含め、葬儀の最中の家を訪れる者、通りかかる者、誰もが褻の非日常にどことなく視線を逸らし、あるいは伏せて、ソレが自分の一部に滲みすぎないよう無意識に注意を払う。人の死を知らしめる儀式は、透明な死臭でひたひたと空間を満たしていく。関わりあったものは十分に吸いこんでから、涙、溜息、思い出話に紛れて吐き出し、そっと自分から引き離す。挨拶しかしたことのない鷹山ですら、そんな手応えを得ていた。眉間に、哀感と腹立たしさを滲ませてしかめっ面でいる。
 なのに、加納は普段通りだ。すぐ目の前の旧家で主が病没した事実が、まったく響いていない。加納は鯨幕を微かに揺らす、見えない嗅ぎ取れない死臭に包まれて、どこか安堵さえしていた。
「お前、ここの爺さんと話したことあったか」
「ああ。鞘香と来た時に、挨拶をした」
「知らない相手じゃねえわけだ。特に悲しくはないんだな」
 鷹山がぼそぼそと呟く、マスクの下でくぐもって聞こえる声を加納は難なく聞き取った。
「鷹山は悲しいのか」
「そこまで親しくねえし、別段悲しいってわけじゃないな。ただ、御前のご友人だ。寂しくなるなとは思う」
 口にしてみて、鷹山はほとんど関わりなかった老人の死を、思いの外悼んでいる自分に気付いた。言葉にした通りで、老いて尚盛んな滅堂の、数少ない同時代の友人がいなくなってしまった、その事実を侘しく感じている。
「らしくねえ感傷だな」
 自分のセンチメンタリズムを鼻先で嗤い、鷹山は加納を仰ぎ見る。不思議そうに鷹山の眉間あたりを見下ろした加納は、ふと旧家の土塀から覗く、銀杏の大木を顧みた。
 庭木にしては立派な銀杏は、滅堂曰く、亡くなった彼と初めて話した日には、もう立派な大木だったそうだ。何度か病気をしたが、その都度、老人が造園業者に掛け合って手入れしてきた。亡き老人にとって、家族同然の庭木だったらしい。
「御前はもう、この屋敷に来ないだろう」
「だろうな」
 淡々とした加納の言葉に、鷹山は相づちを打つ。銀杏を見上げた加納はしばらく見つめてから、鷹山を振り向いた。
「私は、秋にあの銀杏を見るのを楽しみにしていた」
「……」
 加納は、侘しさと数少ない思い出を噛みしめて顔をしかめる鷹山を注意深く観察してから、片手を差し出した。手のひらに、なにか──自分の心臓を乗せて見せるかのように窪ませ、鷹山の視線の先に据える。
「鷹山。あの銀杏を見ていると、なにかを感じる。以前来た時には、何も感じなかったのにだ。これは一体なんだ?」
 加納は、純粋な疑問として自分の中に去来した感情の正体を尋ねて寄越す。鷹山はマスクの下で苦々しく奥歯を噛みしめると、差し出された手を──窪みに乗せられた、無自覚に死を悼むこころをそっと包み込むように、手を重ね、握りしめてやる。
「寂しいんだろ。多分」
「寂しい?銀杏はこれからも、あそこにあるのにか?」
「そうだよ。もうあの爺さんがいる秋は、来ねえんだ。俺たちはここに来ない。同じ秋は来ないんだ、加納」
 苦み走った声で告げる鷹山に、加納は手を取られたまま黙って見下ろしていた。ややあってから、握られた手をほどいて体を屈めると、両手の指で鷹山の下瞼を押さえて、不思議そうに呟く。
「泣いているのか。鷹山」
「……泣いてんのは俺じゃねえよ、阿呆が」
 自分を覗き込む加納の目を睨んだ鷹山は、手の甲で熱く滲んだ加納の目頭を強く擦った。

 

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