一日の鍛錬を終えたパーシヴァルは、瀕死の兵士の如くよろめきながら、ドアを押し開いた。鍛錬場からどうやって部屋に戻ったのかすら曖昧になるほど、疲れ果てている。何度かつまづき、部屋の中程まで這いずってどうにか、マットレスの上に俯せになる。魔術回路の鍛錬が始まって以来、毎日がこの有様だ。
敬愛する妖精騎士の手解きは、人間のパーシヴァルには過酷を極めた。しかし、教鞭には確かな愛があった。少なくともパーシヴァル自身は、彼女の厳しさを愛と解釈していた。だから毎日、はち切れんばかりの充実感に満たされて終わる。
そして、一日の終わりに必ず、一点の黒い染みが浮かび上がる。この雛の巣から落ちていった仲間たちへの後ろめたさが、パーシヴァルの胸に微かな淀みをもたらす。
ドアの向こうに気配を感じた。パーシヴァルはもう頭をもたげることも出来ないが、鼓膜が人気のない館にある存在を聞き取っていた。彼女、そして久しく姿を見せなかった彼の気配だ。間違いない。
パーシヴァルは、凄まじい眠気と格闘しながら聴覚に意識を集中させようとした。
「今日の彼はもう、活動限界だ。会話するのは難しいぞ」
「基礎訓練程度で活動限界だと?所詮は脆弱な人間だな、先が思いやられる」
「他の人間と比較すれば、相当よくやっている。まだ成長期が始まったばかりなんだ。急き立てるな」
「人間の寿命は知れている、早く使い物になってもらはなくては困る」
彼の傲慢な苛立ちは、耳をそばだてなくても聞こえてきた。パーシヴァルはまた別の後ろめたさに、疲れで震える拳を握る。彼の期待を感じるようになってからずっと、自分の至らなさに焦りはある。それでも、人間の肉体は今以上の酷使に耐えられない。彼のように強靱で美しい肉体ではないのだ。人間は成長を待たねばならない種だ、地道な努力をせねばならない種だ。彼女からは、何度も諭されている。
『どうにもならない部分を思い悩むな。どうにか出来る部分をいかに良くするかで悩むんだ』
彼女の言葉を思い出す。彼女が何度となく言い含めてくれた言葉を、パーシヴァルは日々、心で反芻し続けている。自分が持つ強みを活かしていつか役に立つ、それが愛に応える術だと信じている。それが愛だと、彼に、彼女に、教えられた。
「顔だけ見るくらいならいいと思うけれど。どうする」
「様子を見に立ち寄ったわけではない」
「違うのか?モルガン様もご承知の計画だ。彼を気に掛けているのを隠す必要はないだろう?」
「や、やかましい!」
強かに吠えた声にパーシヴァルは笑ってしまった。彼の咆哮は恐ろしい。同時に、皮膚に伝わる振動がくすぐったい。耳の良い彼は、忍び笑いを聞いたかもしれない。怒られるだろうか、また怒られたい、そんな思いが過ぎる。
ドア向こうで、立ち去ろうとする足音がした。二歩、三歩と聞こえてから、ふと立ち止まる。
「……フン。面構えが少しはマシになったかぐらいは、一応検分しておくか」
引き返してきた彼は、静かにドアを開けた。パーシヴァルは倒れ伏したマットレスの上で藻掻いた。起き上がって出迎えなくてはと焦り、両手両脚に力をこめる。だが、指の一本も動かない。藻掻いたつもりで、足先ひとつ動かせていなかった。板張りの床を踏みしめる彼の爪音が聞こえる。
「………、」
再会の喜びを込めて名を呼んだつもりだが、唇が微かに震えただけだった。喉から声を絞り出すことも出来ない。こんな有様では失望させてしまうと気持ちは焦るが、彼女に徹底的にいじめ抜かれた魔術回路は、ちょっとやそっとの気合いで再起動しそうになかった。棒きれのように横たわった自分を、彼がどんな目で見るだろうかと想像してしまう。睡魔と戦う気力がそのまま、煩わしい雑念となって、考えがまとまらなくなる。
ベッドが軋み、彼の巨躯が腰を下ろした。上等のスーツがブランケットと擦れ合う音。パーシヴァルは横向きに投げ出した顔で、こじ開けた目を彷徨わせる。彼の凜々しい鼻面を見たかった。自分とは似ても似つかない口元を見たかった。触れてしまいたくなる豊かなたてがみを見たかった。
「ボロ布同然ではないか。こんな事で騎士になれると思っているのか?」
厳しい言葉を紡ぐ声は、深く静かに、パーシヴァルの腹に響く。叱責というには穏やかで、慈愛というには素っ気なさ過ぎる。彼女の、真正面からの愛情とは違う、不器用ないたわりが、豊かな響きになってパーシヴァルの心身を包んだ。
(ウッドワス様、俺は…、俺に出来る限界まで、頑張っています。だから、もう少し待っていてください、もう少しだけ)
貴方たちの愛に応えたいのだと、結果で、態度で、叶うなら言葉で示したい。パーシヴァルの切実な思いが、限界まで使われた体を突き動かした。片手をどうにか持ち上げて、自分を見下ろす顔に向かって伸ばそうと試みる。かろうじて肘から先だけ持ち上がったが、それは彼の鼻先にも届かなかった。
「…ッ…、ワス、さま…」
力いっぱい、名前を呼ぶ。が、言葉か呻きか聞き分けられないほどの声しか出なかった。パーシヴァルが気力だけで伸ばそうとした手がぱたりと力尽きる。
その手に、柔毛と硬い肉球の感触が重なった。彼の手の独特な感触に、パーシヴァルは薄れる意識の中、目を見張った。喉に力が入らないので、口だけ動かして名前を呼ばわる。それに応えるかのように、パーシヴァルの頭を易々と握りつぶせそうなほど大きな手が、頭をひと撫でした。
「恩人に感謝を示す根性くらいは身についたか。……まぁ、今はそれで良しとしてやろう」
言葉ひとつひとつが、使い果たした体の隅々に響いた。できるなら、大きな手を握り返したかった。が、今度こそ指一本、動かせない。
眠りに負けてしまう最後の瞬間まで存在を感じていたくて、何度も瞬きする。それでも瞼を開けていられなくなる。
(ああ、くそ、もう少し、もう少しだけでいいのに……)
立ち消えてしまいそうになる、今日という日の最後、パーシヴァルの意識が眠りで閉じる最後の瞬間に、彼の声が鼓膜を震わせた。
「明日からも励むのだぞ」
叱咤する声は、子守歌の響きに似ている。パーシヴァルと名付けられたこの人間は、多分、おそらく、愛されているのだ。勝手な手応えを得て、涙が滲む。
その瞬間、パーシヴァルは気付いた。日々、心の片隅に滲んで広がる後ろめたさの正体が何なのか、解ってしまった。
ここに残れなかった仲間たちをはじめ、この世界で使い捨てられる同胞に抱く漠然とした罪悪感は、己の恵まれた環境から生じたのではない。
(貴方を愛しているから、こんなにも後ろめたいのか)
甘やかな罪悪感は彼の毛並みのように滑らかで手放しがたく、パーシヴァルの充ち足りた心を蝕んでいった。
背徳の柔らかな手触りを
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