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ペナントレース

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 南方の家には付き合いのある署長に勧められるまま買った、65型のテレビがある。
 門倉は、ペナントレースが始まるとこの大型テレビで野球中継を見るため、南方の部屋を訪れる。
 南方は無駄に大きなテレビを扱いあぐねて置物にしていたが、門倉が初めて部屋に来た時、テレビを見つけるなり「こいつで野球中継を見よう」と言い出した。
 門倉は、シーズンの序盤から中盤あたりまで観戦しに来るが、勝ち越すかどうかが見えてくると、来なくなる。興味がなくなるから──ではなく、勝ち負けに一喜一憂するところを見せたくないのだと言う。
「余所者ならともかく同郷じゃろが」
と南方は肩をすくめたが、
「負けた日に勢い余っておどれの義歯をへし折りとうない」
 そう言われて、閉口した。冗談か本気か判りかねる口ぶりだった。門倉は笑っていなかった。再会して以来よく見る不遜な表情でなく、本気を見咎められて不貞腐れた横顔をして、煙草をくゆらせていた。
 今日は、お互いに予定や仕事のない夜だった。門倉が来るようになったので新調したソファに座って、中継の最初から一緒に観戦している。場は、あまり盛り上がっているとはいえない。試合運びは最悪の部類だ。走者も出ず、投手戦でもない、ぱっとしない流れのまま、八回が終わろうとしている。贔屓の球団でも、退屈な試合はやはり退屈である。
 賭郎勝負なら最後の一回、九回の裏に大逆転が仕込まれていてもおかしくないが、これはただのプロ野球だ。シーズの序盤から劇的な試合になる見込みは薄い。
「一発出れば、転がりそうじゃがのぉ」
 間をもたせるつもりではなかったが、終始むっつりと黙っている門倉から、なにか声が聴きたくて、南方は話を振った。だが、うんともああとも返事はなかった。
 スリーボール、ワンストライク、ツーアウトの表示に視線を戻す。
 試合が終わると門倉は用事が済んだとばかり、さっと帰ってしまう。
 賭博元締め組織の同僚で、同郷の知り合い──親友でも好敵手でもなかったのだから、他に呼び方がない、少なくとも南方は門倉との間柄をどう呼ぶのか測りかねていた──が、単にデカいテレビで野球中継を見に来ているだけ、現状はそうとしか説明できない。そこに、用件以外の会話がなくても仕方ない。
 しかも、今夜の試合は面白くもなんともない。会話を弾ませようがない。
 これといって会話のなかった二時間弱を、今更悔いている自分に気づいて、南方はひねた笑いを浮かべた。
 新しいビールを冷蔵庫に取りに行こうと、立ち上がる。冷蔵庫を開けたところで、「わしも」と背後からお声がかかる。持ってきて手渡すと、門倉は振り向かずに手だけ差し出してきたので、手のひらに缶を収めた。テレビを見ると、八回裏が終わっていた。
 攻守交代の間に解説者が最低限の仕事とばかり、試合の流れや選手のコンディションにコメントしている。この試合は変化のないまま、九回裏までいってしまいそうだ。
 南方は切り出す言葉がないまま、がやがやした球場の様子、映し出される選手の怠そうな顔、監督の不機嫌な顔、などなどを感情無く眺める。試合に呆れるとか腹が立つとか、そういった感慨はなく、ただ隣の気配にばかり耳を澄ませている。
 門倉の左側に座ると、下ろした前髪で横顔はほとんど見えなくなる。余計に気になって、左半身はまるで試合に集中できない。
 気がつくと、贔屓の球団の攻撃回がおもむろに始まっていた。やはり覇気に欠けるのか、勢いに乗れないのか、南方が新しい缶を飲み切る前に、一打者目が凡退する。
 三者凡退の兆しに、南方が口の中で舌打ちした。
「つまらん試合じゃ」
 思わず呟く。門倉は無言で、テレビから目を離さない。南方は見えない左横顔を振り向いてから、視線を画面に戻す。
 強く呼べば振り向くだろうが、呼んだあとの続きを、上手く想像できない。
 同郷の、同級生でも親友でも好敵手でもなく、今は非合法な組織の同僚でしかない男、南方の未練と執着を知っているかいないか解らない男と、どんな会話が成り立つというのか。
 次の打者もボール球を振らされ、凡打に終わる。三者凡退まであっという間だった。これでもう、贔屓の球団は打たれないよう守る以外、何も出来ない。中継に延長枠がないので、延長戦になったら結果が分からずじまいでお開きになる。
 試合は相手球団のホームで行われていて、九回裏の勝ち越しを期待する客が、熱烈な応援を投げかけている。一打者目はファウルを打ち、合わせてこようとしていた。
 雲行きの怪しい試合を眺めていた門倉が、おむむろに飲みかけの缶をローテーブルに置いた。
「南方」
「うん?」
 バッターを睨んでいた南方は、急に呼ばれて振り向いた。門倉は、試合を観ているのか観てないのか分からない顔で、やる気なく頬杖をついて、体ごと南方を振り向いていた。
「なに。どうしたん」
 会話らしい会話がなかったせいか、不意打ちだったからか、促す口調が無駄にまるくなっていて、南方は唇を軽く噛みしめた。
 男同士、もっとつっけんどんに話すはずが、つまらなそうにしている門倉が妙に可愛そうに見えて、まあるい話し方をしてしまった。誤魔化すためにビールのプルトップを弾く。
 門倉は少しの間、口を噤んでから、おもむろに呟いた。
「これ、嘘なんじゃけどのぉ。ワシなぁ、お前のこと好きなんじゃ思う」
 言い終えてから、門倉はにこりと笑ってみせた。
「は、……えっ?」
 南方は鼻先に引っかかったような声を上げる。言われた言葉の意味を飲み込もうとして、息を吸い込み、思い切り噎せる。
 咳き込んで項垂れた南方を、門倉がぐりんと首を傾げて覗き込んだ。
「ワシのハンカチ、大事に持っとるの知っとるよ?」
「……!」
「なあ。ワシのこと、どう思うとる?」
 門倉は、あの時と同じ、不貞腐れたような真顔をしている。はにかんでいるのかもしれない、そんな憶測が過って、南方は強ばる舌をどうにか喉から押し出そうとした。
 門倉の左目と目が合い、南方は門倉に掴みかかりそうになる。どうしても、肉体言語が先回りしようとする。まず理性的に、言葉を交わして。だが、門倉とそんなお行儀の良いルールでやり合ったことは一度もなかった。
 身を乗り出して、門倉の体をソファに縫い付けようと肩を掴み、胸元を握りしめる。喘ぐ喉が、門倉を呼ばわった。
 同時に、門倉が南方の肩越しにテレビ画面を見て、「あ」と声を上げる。
『打ったー! これは、大きい!』
 実況の大声に、南方もテレビを振り向く。
 相手球団の打球が、気持ちよく弧を描いて、自陣の客席めがけて打ちこまれた。一点に沸く球場、ようやく動いた試合にけたたましくわめき立てる実況者。九回裏、勝ち越しホームラン。最悪の試合展開だ。
「あーあ」
 南方に胸ぐらを掴まれかけていた門倉が、けらけらと笑い声がしそうな表情を浮かべてみせた。
「残念、試合が終わってしもうたね」
「門倉!」
 試合が終われば、用事が済んで、門倉は帰る。
 南方は立ち上がろうとする門倉を引き留める、もとい、押さえつけようと力をこめる。多分、過去一みっともない顔をしているだろう。自覚があった。
 南方を見上げた門倉は、あからさまに狼狽えている表情を見て、瞬く間に上機嫌になった。
「嘘じゃけぇ。逆上せんなや」
「! いや、わしは、……わしのは、違うぞ。わしはずっと、お前のことをなぁ!」
 言い募る南方に、門倉が顎先を掴んだ。
「いけんよ。今日は負け試合じゃけぇ。これ以上おったら、おどれの歯ァ折ってしまうかもしれんよ?」
「っ、門倉、そがぁなやり口は、ないじゃろうが」
 南方が呻き、縋ろうとする。それを無視して、門倉が押しやられた体を起こした。
 選手達が勝利に沸く様子を映し出す画面を見やってから、南方の頭に手を伸ばす。犬を撫でる手つきで、ひとくさり、乱暴に撫でた。それは、お仕舞いの合図だった。
 南方が渋々引いて立ち上がると、門倉も腰を上げ、横に置いたジャケットを掴む。
「次の試合は、勝てるとええのぉ」
 そう言い残すと、これまでと同じにさっさと部屋を出て行った。
 玄関のドアが閉まる音がして、門倉が帰ってしまった部屋には、賑やかなテレビの音以外なにもなく、ぽかんとした空気が残った。やがてスポーツ番組が時間と共に終了して、窮状の音が消える。別番組の音響が、部屋のあちこちに散らばり、門倉の気配の名残を拭い去っていく。
 立ち尽くしていた南方は、ようやく息をついた。
 ペナントレースが始まるのと同時に、門倉とのゲームも始まっていた。しかし南方は、ゲームのルールを何一つ知らされていない。
 門倉は言った。この部屋にいるのは、試合が終わるまで。この部屋にいる間に、ゲームの決着をつけろと言っているのだ。そして今日は──おそらくルール違反で──負けてしまった。
 現状は、ルールを把握している門倉が断然有利だ。門倉と同じ土俵に立つには、門倉と同じくらいルールに精通する必要がある。
 門倉は賭郎立会人だ。どちらかしか勝てないゲームを仕掛けるのは、立会人の矜恃に反する。つまり、南方にもちゃんと勝ち筋が用意されているはずである。
「まずは、そこから始めろってことか」
 南方は、無駄に大きなテレビ画面を振り返った。
 贔屓の球団の選手たちが、負け試合に徒労感を滲ませてグラウンドを去る様子が映し出されている。勝ち越しまでの長いゲームへ旗色悪い一歩を踏み出した彼らに、南方は憐れみに似た共感を覚えた。
 とはいえ、見方を変えれば時間だけは十分あると言えるかもしれない。
「まあ、見とれよ」
 気を取り直して不敵に呟いた南方は、手始めに、門倉の食べ散らかしたつまみと飲み散らかしたビールの空き缶を片付け始めた。

 
 

 [了]
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