深夜前、南方が風呂上がりに一杯やろうと支度していると、門倉が連絡もせずやって来た。表の仕事からの帰りと解る出で立ちで、見るからに機嫌が悪い。
「どうした」
南方が事情を尋ねてみるも、門倉は無言で無視して部屋に上がった。勝手に冷蔵庫を開けてビールを一本盗って、その場で瞬く間に飲み干した。そして、冷蔵庫の中がほとんど空なのを見ると、
「出かけるぞ」
そう言い、車のキーを投げ渡してきた。有無を言わさぬ態度に、南方は大人しく降参した。室内着から適当に着替えて運転手役を仰せつかる。
一番近くのディスカウントショップまで車で二〇分ほど、ごく短いドライブで門倉の機嫌が少しでも治れば、という思いもあった。門倉は、南方が運転する車が好きなのだ。
案の定、助手席に収まった門倉の機嫌は徐々に治っていった。
ディスカウントショップに着く頃には、とりつく島もなかった態度が軟化して、他愛ない会話が出来るくらいに回復していた。
真っ先にリカーコーナーに立ち寄った門倉は、腕組みして買い物カゴを下げた南方に訊いた、
「部屋にどんな酒ある?」
「ビールと、日本酒と、ウィスキー。割り材は無いな」
「焼酎は」
「ない」
南方の答えを聞くと、門倉は迷わず4リットル入りの焼酎をカゴに入れた。南方は焼酎の良し悪しに詳しくない。しかし、見るからに安酒といったパッケージと価格の、一番大きなボトルに、南方は苦い顔をして棚に戻した。
「安酒でやけ酒は悪酔いしかせん」
「なんじゃ? 売っとんのか?」
「わしは詳しないが、もうちょいマシなのがええんと違う。これとか」
南方は棚を見回す。詳しくなくても聞いたことのある銘柄を見つけ、取り替えようと手を伸ばす。
門倉が、その手を肉ごとちぎる勢いでつねった。
「い、たたた!」
「わかっとらんのに口挟むな」
門倉は南方が手に取った瓶を戻し、最初の4リットルの大ボトルを再びカゴに投げ入れる。
「おどれは黙ってワシの選んだ酒飲んどればええんじゃ。あとはつまみか」
門倉は横暴に言い捨て、つまみの並ぶコーナーに向かう。南方は真っ赤な痣になった手の甲をさすりつつ、重たい4リットルの焼酎が投げ込まれたカゴを持って、後についていった。
このあたりで深夜も開いている、食料品を扱う店がこのディスカウントショップしかないため、店内には残業帰りサラリーマンや、夜勤バイト明けの若者が、何を買うかも決められない足取りでふらふらと商品を物色している。
リカーコーナーから出てきた門倉と南方を見て、今夜のアルコールを物色しにきたサラリーマンが、さっと視線を逸らして棚を移動した。自分はともかく、と南方は内心で顔をしかめたが、端からみれば門倉も南方も、堅気の風体ではない大男だ。
遊び盛りの学生かフリーターと思しき若者のグループが、輸入食品や菓子コーナーで周囲を威嚇するように、大声ではしゃいでいる。酒のつまみと菓子類が並ぶあたりは、それとなく遠巻きにされていた。
門倉は騒がしい一団を気にとめず、よく買う「おつまみセレクション」の徳用パックがあるあたりで立ち止まった。
酒が入っているのか、騒いでいた青年が、門倉を見上げて絡み始める。
「へえー、おにーさん、でっけぇ~」
「目のソレ、怪我してんの? 喧嘩? もしかしてヤクザとか?」
「このあたり、ヤクザいんの? 見たことね~」
「やめなよお、てか、この人ホストじゃない? 顔きれい」
バカ餓鬼が、と南方は呆れた。世間知らずなうえ酔っている堅気の若者だ、南方から見ればいい歳をしててんで子供だった。門倉は完全に無視し、いないものとして扱っている。大人の忍耐ではない。今はそういう気分ではない、それだけだ。
南方が歩み寄っていくと、男女の視線が南方に逸れた。南方は、適当に着たラフな上下に、運転が一番楽な古びたスニーカーを履いている。上背こそあれ、ぱっとしない格好をしていた。ジャケットに柄シャツの門倉と並べば、部下なり舎弟なりに見えてもおかしくない。
案の定、門倉より南方が格下と判断した青年たちは、ジロジロと遠慮ない視線で南方を睨めつけてきた。
「こいつシャテーじゃん、マジでおにーさんヤクザなん?」
「こえー」
「でも買い物しょぼくね?」
女連れで仲間もいるせいか、無意味に威勢良く話し続ける。徒党を組んで威勢良くみせるのを強さと勘違いしているのだ。普段から、深夜の店内で他の買い物客を無駄に脅かしてふんぞり返っているのだろう。うちの一人は格闘技を囓っていると思しき姿勢の良さだった。門倉や南方ほどではないが、上背もある。
若者たちをぱっと見た南方は、門倉の隣に並ぶ。
「相手すんなよ、まだガキじゃ」
一応、釘を刺しておく。門倉は無言で、手に取ったパッケージを見ているようで、見ていない。少し治った機嫌がまた徐々に温度を下げていくのが肌で感じられる。南方は門倉の手からつまみの袋を取り上げて、カゴに投げ入れた。
「あと、なんかあるか? 作るんでもええが」
「そうじゃのぉ。そんなら、しょぼくないモン、なんか買うてくれない」
そう言って、門倉が横で騒ぐ青年たちを振り向いた。ニタニタと笑っていた若者たちの顔が一斉に引き攣る──女だけは門倉の顔を正面から見て「あっ」と惚けた声を上げた。それも一瞬で、すぐに緊張に青ざめてしまう。
全員が、ほぼ同時に門倉から目を逸らした。一人、腕っ節に自信ありげだった青年だけ、南方を睨もうと試みた。ぱっとしない舎弟くらいなら、などと思ったのかもしれない。
侮って睨み付けてきた目も、南方と目が合った途端、喉の奥で、うぐ、と呻くように息を呑んだ。
「……っ、なぁ、もう行こうぜ!」
「お、おう」
商品を手にしているのも忘れ、青年たちが門倉に惚けている女の手を引いて、店の出口に向かおうとする。その背中に、門倉がやたら滑舌の良い通る声で呼びかけた。
「お前ら、ちゃんとレジ通してから出て行かんかい。それともサツの前で万引きするんか」
ビクッと肩を竦ませ、一行は出口からキャッシャーの方向へ足早に逃げていく。警察かよ、と罵る小声が門倉に向けられるのを聞いて、南方は呆れた目で門倉の横顔を見た。
「どうみても、おどれが警察はないじゃろ」
「堅気から見たら、警察もヤクザも違いないちゅうことや。悲しい現実やねえ、警視正殿」
門倉は、横目で南方の呆れ顔を見やり、意地悪く笑う。堅気相手に意地の悪い真似で憂さ晴らしなど、門倉らしくない。南方はそう思い、何があったのかもう一度訊こうとした。
「なあ、門倉」
南方が口を開くのを見て、門倉は訊かれる前に無視した。その場に屈んでミックスナッツの袋を取り上げると、二つ並べて見せてくる。
「どっち?」
「……こっちだな」
差し出された袋を適当に選ぶ。南方は門倉から事情を聞き出すのを諦めた。
話さないと決めているときの門倉からは、なだめすかしても脅しても、泣き落としても、何も聞き出せない。利害のため、義理のため、自分の愉しみのため、理由は様々だ。ただ、自らに課した枷に対して門倉は絶対服従なのだ。それは門倉雄大という男を、孤高に見せたり、悪辣に見せたり、ストイックに見せたりする。
今の南方には、どんな理由であれ門倉が苦しむような事柄でなければ良い、と願うことしかできなかった。
「あと、アレ食べたいのぉ。前に作っとった、スパムの缶詰のやつ」
「ええよ。作ったるわ」
南方はカゴを持ったまま缶詰コーナーに引き返す。思い当たるレシピが二種類あると気づいて、南方は振り返った。
「それ、どっちの……て、おらんのかい」
ついてきていると思いきや、門倉の姿がない。ひとまず思い当たったレシピに必要な材料を全部カゴに回収してから、キャッシャーコーナーの近くに向かった。会計待ちの列と混同されない位置でカゴを下げ、携帯を取り出す。メールを打っていると、後ろから足音が近づいてきた。
「門倉、お前どこに……、って、重っ!?」
南方は、戻ってきた門倉と、突然重くなった買い物カゴとを交互に見た。電化製品の箱が放り込まれている。このディスカウントショップでは、食料品以外に、生活雑貨やちょっとした電化製品も取り扱っている。南方は箱を取り上げて確認した。
「ドライヤー?」
「お前んとこの、髪が乾くのにえらいかかるじゃろ。いい加減、イライラするけぇ、買い換えよう思うてな」
「別にええけど……」
南方がカゴに箱を戻す。俯いたところで、門倉の手が南方の耳を軽くつまんだ。引っ張ったりつねったりではなく、指差で耳たぶをくすぐる力加減で触れてから、耳打ちする。
「終わってシャワー浴びたあと、生乾きの髪で寝とると気持ち悪いじゃろ?」
「!」
南方が思わず門倉を振り向く。
「恭次クン、隣で寝とるワシの髪いらうの好きじゃものな。乾いてさらさらしとる方が、触り心地もええんと違う?」
「か、門倉」
お前の癖などとっくに知っていると嗤う目に、南方が思わずしどろもどろに言い返す。といっても、どんな弁明も出てこない、ただ名前を呼ばわるしか出来なかった。
事後、門倉がシャワーを浴びて戻ってきて共寝するとき、南方は絶対に髪を──髪だけではなく、頭や顔を、撫でてしまう。もっというと、傷跡をそっと撫でてしまう。
他の事は、許したり許さなかったり、気分によってまちまちな門倉が、事後に頭を撫でるのだけは、いつも拒まなかった。
南方はそれを、気にしていないか寝入り端でよく覚えていないのか、どっちかだと思っていたのだ。
しっかり認識されていたうえに、手触りが良い乾いた髪の方が好みなのまでバレていると判って、南方は気まずく視線を逸らしてしまう。
「せっかくなんじゃ、乾かすのもおどれがしいや」
ふと嗤う息づかいのあと、門倉が囁く。南方が視線を上げると、黒い片目が愉しげに覗き込んでいた。南方は喉を鳴らし、掠れた声で曖昧に返事をする。
「それは、別にええけど」
「そう? そんなら、今夜が愉しみじゃね」
唇の両端を釣り上げて、わざとらしく嫣然と微笑んだ門倉が、ぽんと背中を叩いてレジに向かうよう促す。
南方は促されるまま、レジに並び、会計を済ませた。支払いをしている間、ストレートな誘い文句を何度も反芻する。浮かれるよりも、混乱していた。端からその気だったのか、たった今そんな気分になったのか。南方は未だに、門倉の考えが解るようでいて、まるで解らない。案外、ディスカウントショップをうろついているうちに、その気になっただけかもしれない。
袋詰めを済ませつつ周囲を見回したが、門倉はもう店外に出てったようだった。
ずっしりと重たい袋を二つ提げて、駐車場に急いで向かうと、案の定、門倉が車の横でのんびりと煙草をくゆらせていた。
ドアの鍵を開け、南方は荷物を後部座席に放り込む。焼酎とつまみ類に、ドライヤー。ディスカウントショップの買い物らしい変な取り合わせだ。
蒸し暑い運転席に乗り込んでエアコンを全開にする。門倉はまだ煙草を吸っていて、すぐ乗り込む気がないようだった。
バックミラーに映り込んだドライヤーの箱をちらりと見て、さっきの言葉を噛みしめる。
──今夜が愉しみじゃね。
レジに並んでいる時は、翻弄される愉悦が勝っていた。今は、複雑な気持ちだった。
(ちょっと呑んで、抱かせてくれて、髪を乾かさせくれても、話はしてくれんのじゃろうな……)
南方はハンドルにもたれる。蒸し暑くなりかけていた車内は、もう十分冷えて、快適だ。それでも、門倉は乗ってこようとしない。
窓から、紫煙をくゆらせる門倉の背中を見上げた。立会人服でない門倉は、たちの悪いチンピラのようにも、風俗勤めの男のようにも、格好が派手なだけの堅気のようにも、見られる気がした。南方は、どんな服装をしていても門倉雄大がどんな男か知っている。
気高く尊大な男。
非情であり情に厚い男。
危険な悪ふざけを愉しんでしまう男。
自分の見ている景色を、他人に語らない男。
(話をしてくれんでも、わしは構わん。こうして隣におれるんなら、それがおどれの答えじゃと思うとる。門倉……)
南方が目を閉じようとすると、助手席のドアが開いた。吸いさしを手に乗り込んだ門倉が、車の灰皿に吸い殻をねじ込む。ハンドルにもたれている南方を見やると、煙草の匂いがついた指先で、南方の前髪を撫で上げた。
「眠たいん?」
「いや、起きとるよ」
南方は穏やかに答えて、エンジンをかける。
来た道を引き返す間、信号待ちで一度、助手席の門倉を見やった。頬杖をついて窓を向いている門倉と、映り込んだ窓越しに視線があった。なに、と言いたげに小さく微笑まれて、南方は前に視線を戻す。
左折してマンションに続く道に入ると、門倉がぽつりと呟いた。
「今日の仕事相手な」
「おう」
南方が気のない相槌を返す。門倉は、歪んで潜めた声でぼそぼそと続けた。
「警察を舐め腐っとる客じゃった。そがいな客はようおる。それが、今夜はどうも、無性に腹ァ立ってのぉ」
「……」
「ワシも、サツなんぞなんぼのもんじゃと思うとるが、舐めてええ相手ばかりちゃうけぇのぉ。そこがわかっとらん相手だったけぇ、商談をわやにしてしもうた」
そんだけ。そう呟いて、門倉は口を閉ざす。
南方は思わず減速しそうになった。南方を顧みず、終始、感情のない淡々とした口調で語る門倉の横顔を、振り向くこともできない。ぐっと口を噛みしめてハンドルを握り直し、ほんの数分、マンションの駐車場までの道を、確実な安全運転で走らせる。門倉はほとんど揺れのないシートにもたれたまま、窓越しに南方の強ばった顔を見ていた。
普段なら後ろ向き駐車するところを、雑な前向き駐車で停める。サイドブレーキを引いてエンジンを切るなり、南方はシートベルトも外さずに門倉の肩を掴んだ。
振り向いた門倉の表情も確かめず、顔を掴んで口づける。
「……っ」
触れあった舌から笑いの呼吸を感じ、南方はますます胸がいっぱいになった。
門倉のような人間の商談では、司法組織など物の数ではないという態度と面子が、物を言う。そんな世界で、警察を評価する物言いをして破談にするリスクがどれほどのものか、敵である警察組織にいる南方には、よく解る。
警察への悪態など、商談前の世間話に過ぎない、適当に相手に合わせることも出来たはずだ。門倉がそうしなかった事に驚き、その事実を話してくれた事に無上の喜びを感じた。
喜びに打ち震えながら口づけてくる南方に、門倉は目を細め、好きにさせていた。触れる唇や手のひら、息づかいのせわしさから伝わる熱情が、むしゃくしゃした鬱憤を吹き飛ばすのを感じ、今夜立ち寄ったのは正しい選択だったと確信する。
やがて熱い舌が口腔をいっぱいに塞ぐ息苦しさに、唸って頭を押しやる。
顔を覗き込む南方は、真摯を通り越して必死な目をしている。自分でも解っているのか、南方は少しだけ悔しげに顔をしかめると、語気強く尋ねた。
「門倉、わしは……自惚れてええんじゃな?」
「おどれみたいな悪徳警官、ケーサツの数に入れてええんか?」
門倉が揶揄を吐いて笑う。笑う唇が触れてくるのに合わせて口を開きつつ、南方も笑った。
「その悪徳警官を骨抜きにしとるおどれが、一番のワルじゃ」
一番のワル
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