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新しい明日

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 BGMにつけたテレビでは、紅白歌合戦が始まっている。門倉は、流れてくる曲のアーティスト名がまるで解らず、隔世の感に肩をすくめた。
 鰹だしを取る準備を始めたところで、玄関のドアが閉まる音が聞こえた。キッチンから見えるリビングのドアを一瞥しただけで、黙ったまま作業に戻る。
「門倉、来とったんか」
 南方が呼びかけながら、リビングに入ってくる。門倉は振り向かずに「借りとるよ」とだけ答えた。
 大晦日の今日、部屋を訪ねると予め連絡はしていなかった。
 南方が何時に帰宅するか、そもそも仕事を納めて普通に帰宅できるのか、もう年末年始の休みに入っているのか。門倉は何一つ、確認しなかった。
 警視庁で賭郎の搦め手に関わる立案が動いており、お屋形様・切間創一が表の顔として勤めている内調にも影響している。と、遠くに聞いてはいた。南方が、巻き込まれているのか、蚊帳の外なのかまでは知らない。それは立会人としての門倉に関わりない話題だ。表の稼業でも、今回の件は特に関係していない。南方の動静について、人を使って探らせる大義が、門倉にはないのだ。
 だから、何も知らない。
 南方はジャケットを着たままで、まっすぐキッチンにやって来た。
 門倉は、ケーブル編みの分厚いハイネックにコーデュロイのパンツを履いて、髪を適当にハーフアップにしている。眼帯もしていない。珍しく、大人しい服装だ。キッチンに立って、鍋の前で腕組みしている後ろ姿だけなら、主夫でも通じるだろう。
 ただし、棚の下段に目線が来る長身と、厚手の生地越しでも解る逞しい体つきは、家庭的な印象からは程遠い。佇まいからして、独り身のヤクザが、仕方なく炊事をしている姿にしか見えないはずだ。
 キッチンに立つ自分を眺める南方の視線から、揶揄とも失笑ともつかない気配を感じ取り、門倉はジロリと振り向いた。
「なんじゃ」
「なんも言うとらん。というか、来るなら来るて言え、いうとるじゃろう」
「さあ?」
 南方が苦く非難するのを聞き流し、門倉は肩をすくめる。
 大晦日に部屋に行く、と言ったからどうなるというのか。本職の仕事や賭郎の命令があれば従うだろうし、それは自分も同じ事だった。お互いに、確約された明日はないのだ。
 予定を確かめ合って、計画して、当日を待つような、そんな関係になれるわけがない。
 門倉は、それがいいと思っていた。自分がふらりと立ち寄って──勝手に上がり込んで、年越しそばを仕込んでいて、何も知らない南方が目を丸くしたり、苦い顔をしたり、隠しきれず嬉しげな仕草をする、それがいいのだ。
 南方宅のキッチンには、一通り料理で使うものが揃えてある。使われた気配のない、新品同様の天ぷら鍋が出てきたときは、「見栄を張るのも大概にせえ」と歯を剥いて笑ってしまった。揚げ物をする時間も甲斐性もないくせに、誰かに──これまでに付き合ってきただろう女性に作らせるつもりで買ったに違いない。
 門倉がそれを使うことになると、買った当時の尊大不遜な南方は、想像もしなかったに違いない。
「天ぷらも作るんか。というか、作れるんか?」
「売っとる? 料理できん立会人なんておらんよ」
「そ、そうか……」
 辛辣な顔で言い放って睨むと、南方はたじろいで肯いた。
「お前も出来るようになっといた方がええよ、立会で夜食作れ言われるかもしれんしのう」
「そんな無茶ぶりされるんか」
 南方の顔に不愉快とも戸惑いともつかない表情がよぎる。それを見とめた門倉は意地悪く目を細めた。
「夜食くらい、無茶振りでもなんでもないじゃろ。警視正になった学士様じゃあ、料理を覚える暇もなかったか」
「おどれこそ、いちいち売るなや。……海老はないんか?」
 ステンレス製のトレイに並んだ具材を見た南方が、残念そうに呟く。
「売り切れとった」
 門倉は、天ぷら鍋を仕掛けながらしれっと嘘を答え、隣に突っ立っている南方を、シッシッと追い払う。
「ええから着替えてこい、ここにおられると、かさばって邪魔じゃ」
 追い払われてちょっと距離を取った南方だが、ジャケットを脱いですぐに戻ってきた。腕まくりしながら、隣に並ぶ。
「なんか手伝うぞ」
「邪魔じゃ言うたろ」
 無駄にくっついてくる南方に、門倉は喉を鳴らして笑った。憮然と黙り込む南方に、蕎麦の袋を押しつける。茹でる準備を任された南方が、別のコンロに鍋を用意している横で、門倉は油を熱しつつ天ぷらの衣を付けていく。
 南方と並んで年越し蕎麦の準備をしながら、門倉はふと昔聞いた話を思い出した。
「警察は、帳場のとき、蕎麦やらうどんやら食わんて聞いたけど、どうなん」
「ああ、現場の験担ぎな。今時と思うが、古い刑事はやっとるようやの」
「お前は気にせんでええの」
「わしは監督する方じゃけえ、験担ぎとは無縁じゃ」
 南方が得意げな笑いで言い返す。門倉は衣を油に落として温度を確かめながら、嫌味に口を歪ませた。
「おどれ、現場で嫌われとるじゃろうなあ。こんながアタマで、所轄の連中がかわいそうじゃ」
 門倉に嫌味に、南方がむっつりと口を引き結ぶ。湯を沸かす鍋を見つめつつ、それだけじゃない、と呟いた。
「験担ぎ云々とは別に、退職した署長クラスのオッサン共が、そばやらうどんやら作るのにハマりよるけえ、現役は話題として避けとるんじゃ」
 苦り切った顔でぼそぼそ愚痴る。苦々しい表情をしている南方を横目で見た門倉は、具材を揚げながら肩を揺すって笑ってしまった。案外、俗っぽい理由に振り回されているところが、いかにも南方らしい。
 門倉は次々に揚げ物を取り上げ、また投入する。もう何度も練習した手順を、よどみなく繰り返す。その横で、南方は湧き上がってきた鍋を前に、蕎麦を投入する加減をうかがっていた。天ぷらの仕上がりと、ゆであがりの時間を考えているらしい。
「蕎麦、茹ではじめてええよ」
 門倉が指示してやると、南方は鍋に蕎麦を入れて、神妙な顔で向き合った。門倉が隣のコンロで揚げ物をしている状況と、ゆであがりのタイミングを見計らう緊張が合わさり、立会もかくやという真剣な面持ちをしている。そんな南方の横顔を見た門倉は、無性に胸が疼くのを感じた。むず痒い愛おしさを、笑いにして吐き出す。
「おどれも、引退したら蕎麦打ち始めそうじゃのお」
 門倉の冷やかしに、南方がちらりと一瞥した。菜箸で鍋の中をかき回しつつ、嘯く。
「そうなったら、天ぷらはお前に任せるわ」
 何も定かでない未来の話を何の気なしに投げ返され、門倉は思わず振り向いた。他意のない横顔を、じっと見つめてしまう。
「どうした?」
「……いや。それより、口開けえ」
 門倉が促すと、南方が言われるがまま無防備に口を開ける。その口めがけて、揚がったばかりの天ぷらを放り込んでやった。揚げたての熱さに、南方は顔を真っ赤にして慌てつつ、さくさくと咀嚼する。
「美味い」
 率直な感想を洩らした南方に、門倉は当然という顔で、ひとつ肯いた。
「練習したもの」
「美味かったが、具は? なんだったんじゃ」
「鱚やね」
 答えてから、門倉がニヤリと笑って目配せする。振り向いた南方が何か言おうとしたのを、門倉は「蕎麦」と菜箸で鍋を指して遮った。南方はうぐと声を洩らして、大急ぎで茹で上がった蕎麦を取り上げにかかる。
 鍋からザルに蕎麦をあける、もうもうと立ちこめる湯気を、二人とも深々と吸い込む。
 年越しそばを支度しながら、門倉は年越しした後の料理を考えている自分に気づいた。確約のない明日のことを考えている自分に驚いて、南方を振り向く。その驚きを伝えようとしたが、うまく言葉に出来なかった。
 門倉の視線に気づかず、南方はどんぶりを用意する。
「美味そうじゃ」
 かけそばを盛りながら呟く南方に、門倉は「そうじゃな」と小さく笑み返した。
  
  
[了]
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