usgi

ある消失

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「最近、橋向こうの方で南方とかいう奴が幅利かせとるらしいよ」
 彼──門倉雄大にその話題を振ったとき、彼はまだもう一つのツメエリ集団について、詳しく知らないのだと思っていた。
 その日は、調子づいたヤクザ連中を締め上げ、商店街の頼まれごとを片付けて、馴染みのキャバレーに顔を出して、雄大君と俺たちは忙しかった。雄大君はいつも忙しかった、彼は、自分の周囲──この商店街、この目抜き通り、この町、彼と俺たち舎弟の目の届く範囲に蔓延る、ゴミ同然の大人を排斥して、自分たちの秩序を敷くために、悠然と構えながらも多忙だった。
 だから、目となり耳となって町の外に脚を伸ばした俺の話を、彼はまだ知らないと思ったのだ。
「へえ。そいつらもツメエリ着とるんか」
「学ランちゃうよ。インテリぶった、お上品な私学の制服じゃ」
 俺が鼻で笑うと、雄大君も笑った。彼は、十四で知り合ってからずっと変わらず、悪ガキらしい、鼻に皺を寄せた笑い方をした。切れた目元の涼しい顔立ちは、品があって、子供心にこれは美人というやつなんだろう、と思っていた。でも、鼻に皺を寄せて頬まで歪めて笑うのだ。俺たちと同じような笑い方をする雄大君を、俺や俺の仲間たちは、無邪気に慕っていた。
「そいつの面ァ、見てきたんか」
「ああ、見たよ」
 先週のことだ、思い出そうとしなくても思い浮かぶ。
 南方は、兵隊を引き連れて、町の海沿い側を練り歩いていた。噂では、自警団気取りという話だったが、自警団でも愚連隊でもない、軍隊という風情だった。見た瞬間に、俺はバカバカしい、と嗤った。そのナリは、俺たちが忌み嫌っている腐った大人どもが、堅気を恫喝しながら歩く様と同じだった。
 南方は、雄大君と同じくらいの体格で、身体だけなら十分大人に見えた。でも、頭の中まで大人と一緒で、反吐の出る賢しい考えが詰まってる、コイツらも連中と同じ穴のムジナだ。俺は一見して、それを見破った。
 南方だけじゃない、訳知り顔で町を仕切ろうとする連中は、どいつも同じ面をする。
 でも、雄大君は違う。俺たちは違う。
 俺はそれが誇らしかった。雄大君に、ついていくことを認められた自分を誇っていた。
「南方な。兵隊をぞろぞろ引き連れて我が物顔で練り歩いとってのぉ。町で好き勝手やってる奴らと、どこも変わらん。あんな、雄大クンの足下にも及ばん男じゃ」
 俺は、自分の所感を余さず話して聞かせた。雄大君の目に代わって見たモノ・ヒトを、見たそのまま話すのが役目だ。そして雄大君は、俺の目を信用してくれていた。
「ほうか」
 話を聞いた雄大君は、静かな面持ちになって海の方を見た。俺の話を信じてくれて、そのうえで、南方恭次に関心を抱いたのだと、はっきり解った。

 この日の会話を、俺は一生後悔することになる。

 それから少しして、俺たちが制裁するつもりでいた若いチンピラが、別のツメエリ集団に半殺しにされたという話が舞い込んだ。
 確かめるまでもない、南方たちの仕業だ。連中が、暗黙の境界線にしていた橋を越えて、こちらのテリトリーに踏み込んできたのだ。
 奴らは、俺たちから獲物を横取りしただけでなく、町の信用もかすめ取った。
 問題のチンピラにたかられて往生していた店の連中は、以前から雄大君に相談していた。助けてほしいと、大人の体面を捨てて懇願してきた。雄大君はすぐさま行動に移さずに、チンピラが親や兄貴分に泣きつかず、この町を出て行くしかないやり方を思案していた。雄大君の立てた作戦なら、後腐れなく厄介者を追い出せたはずだった。
 なのに、店の大人たちは、チンピラを病院送りにした南方に感謝して、奴らが店に通うのを良しとした。
 俺は店の不義理をあげつらったが、雄大君には取り合ってもらえなかった。
「南方のやつ、なんなんじゃ。おどれのシマで吹いとればええものを……」
「そうじゃ。店の連中も、さんざん雄大クンに泣きついとったくせに、あっさり鞍替えしよって」
 この件で南方に反感を抱いたのは俺だけではなかった。仲間内では、南方たちにこの町が誰のシマか解らせてやろう、という機運が渦巻き始めていた。放っておけという奴らもいたが、半数以上は南方許すまじの意見だった。
「なあ、どうするんじゃ。雄大クン!」
 根城にしている空きビルの一室で、息巻く舎弟たちに取り囲まれた雄大君は、涼しい顔をしていた。噴き上がる連中を冷めた目で一瞥し、肩をすくめて言い返した。
「終わり良ければすべて良しじゃ。店がせわーない言うなら、それでええよ」
「雄大クン!そがな……ええんか!?」
 俺の隣で、人一倍血の気の多い奴が喚いた。だが、彼は駒の足りない将棋盤から目を上げず「ワシは構わんよ」とだけ応えた。
 部屋には不満が燻っていた。その空気が煙たいとばかりに、雄大君が「窓開け」と短く命じる。俺は渋々、窓を開けて換気すると、燻っていた不満が薄れて諦めになり──一部の連中は、雄大君の関心の薄さに、やや失望した。南方からふっかけられた喧嘩はシカトという消極的対応で、尻すぼみに終わるかに見えた。
 だが後日、予想外の展開が待っていた。
 一報を聞きつけた俺は、仲間と共に雄大君のもとに駆けつけた。俺たちが空きビルに辿り着く頃には、耳の早い大人達はこそこそと噂し始めていた。
「あんときのチンピラがな。浮いとったそうじゃ」
 どうにか一命を取り留めて入院していた男は、退院してほどなく、溺死体で見つかったという。
 警察は、組内で不始末のケジメをつけた結果だろうとして、事故死で処理した。この警察の対応に組側は反発した──未成年の手で病院送りされたくらいで詰め腹を切らせたりしない、せいぜい兄貴分の再教育で済ませる話だ、という。
 警察とヤクザは、きっぱり真っ二つに敵対しているわけではない。これは、不良になって仲間とつるむようになって、しばらくしてから知ったことだが、警察は警察で、ヤクザの秩序を重んじるケースがあるのだ。お互いに、もちつもたれつでやってきた経緯がある。
 だから、こんな手打ちはおかしい、と町の人間ならすぐ気づく。ちょっと事情が分かるガキでも首を傾げる始末に、俺は南方の素性をすぐ思った。警察関係者の、裕福な家らしいと聞いている。自分の身内に庇わせたのでは、と俺は疑っていた。
「どう思う?」
 俺が尋ねると、彼は冴えた目元をもっと鋭くして、ほうじゃな、と応えた。
「お前の話どおりやったら、けたくそわるいのお」
「ほうなら、雄大君、やるか」
 南方の鼻っ柱を折って解らせてやろう、やっとそういう腹になってくれたか、と俺がいきり立つのを、彼は冷ややかに突き放した。
「こんならの口出す話やない、すっこんどれよ。ええな」
「雄大君……」
 ここで号令をかけて南方たちと角を突き合わせたら、下手すると警察・ヤクザ共に相手取ることになったかもしれない。彼は、俺たち舎弟が身の丈に合わない騒動を起こして、無駄に仲間を欠くのを良しとしなかった。俺たちは、彼の義侠心によって守られていた。同時に、俺たちは、彼の足枷でもあった。
 雄大君はきっと、俺たち舎弟が足枷になっている事実を、長らく見て見ぬ振りしていたのだろう。しかし、南方が現れたことで、まざまざと自覚せざるを得なくなったのかもしれない。
 ある時、雄大君が俺たちの前から姿を消した。
 数日して戻ってきた彼の顔面には、ひどく殴り合った傷痕が残っていた。誰も言及しなかったが、南方とやり合ったのだと誰もが察した。
 南方とタイマンし、勝って、俺たちの前に戻ってきたのだ。
 声を掛けたり歓声を上げたり、そういうはしゃぎ方はしなかったが、俺も含めて舎弟はみんな、内心で湧いていた。
 俺たちの雄大君は南方ずれなんぞ、奴の身内のサツどもなんぞ、目じゃないのだ。そう息巻いた。
 ここから、この町に留まらず、もっと広く遠く、街全体に、雄大君が正しい秩序を敷いていくのだ。そう確信した。
 その日の午後は、一番年上の舎弟が馴染みのキャバレーを貸し切りにして、乱痴気騒ぎをした。祝いの席、と誰も言い出さなかったが、明らかに、雄大君の勝利を祝う場だった。彼も、俺たちの喝采を受けてくれた。いや、単に酒が飲みたい気分だったのかもしれない。
「なあ、南方なんぞ大したことなかったんじゃろう?」
 酌を受けてもらいに隣に行ったとき、浮ついた気持ちでそう尋ねた。誰かがとっくに聞いただろう質問だったのに、雄大君は大儀な顔もせずに俺を見て、空のグラスを差し出してきた。
 じっと見つめてから、ふと笑った。
「たいしたことは、あったのう。あれはあれで、大した奴やったよ」
「えっ」
 雄大君の口から、身内以外の人間を褒める言葉が出てきたのは、後にも先にもこのときが初めてだった。聞き返した俺を振り向いた雄大君は、品のある端整な顔を歪めず、大人びた微笑を浮かべた。

 雄大君と直接会話したのは、この日が最後だった。彼が町から姿を消したと知ったのは、もっと彼に近しい、側近と呼べる仲間の口からで、行先や理由については何も教えてもらえなかった。
 雄大君が去ったあと、警察は急に町のゴロツキを取り締まり始めた。彼らの親にあたる連中が大人しくなったからとか、法律が変わったとか、南方の家が関係してるだとか、嘘か本当か解らない噂は山ほど流れたが、そのどれも、雄大君がいなくなった理由には紐付かなかった。
 気がつくと、南方も町から姿を消していた。なんでも東京のえらい学校にいくのだとかで、ツメエリの自警団も空中分解して、跡形もなくなっていた。あの空きビルも、いつのまにか改修工事され、きちんとした会社が入って、近寄れない場所になっていた。
 俺が雄大君の後ろについて、我が物顔で町を歩いていた数年は、端から無かったことにされていった。かつての仲間は散り散りになり、連絡もつかなくなり、気がつくと町にいるのは俺一人だった。
 俺の輝かしいあのひとときは、こんなふうに、この世から消えてなくなってしまった。

[了]

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