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ルシッドドリームの発生要因とその応用可能性

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「おい。お前、飯どうすんだ」
「あ……申し訳ありません、私は今日はちょっと。手が離せないので」
 お一人でどうぞ。テスラは礼儀正しさを保つために、後ろのノイトラを振り向いた。
 テスラとノイトラは、高校時代に始めたルームシェアを卒業後も継続しており、今は同じ大学の同じ学部に所属している。
 ノイトラの卒業後の進路を聞いた時は少々驚いたが、ネリエルがこの大学の別学部に進学していたので、つまりそういうことなのだろう。テスラはすぐ納得した。テスラ自身、これといって進路が定まっていなかったが、ノイトラと道を分かつ必要性がないと考えて、同じ進路を取った。当時、その方が卒業まで共同生活がしやすかったという理由もあった。
 ネリエルは、テスラたちの二つ年上で、ハリベルとトップを競う才女だった。そんな彼女の進学先は、ノイトラがやや背伸びしなくては届かない学力を必要とした。
 当時の噂では、家族のために進学先のグレードを落としたという。噂なので真偽は定かではない。
 真偽はどうでも良く、そうした可能性があるならなおのこと、ノイトラは試験を難なくクリアできなくてはならなかった。彼女の頭を押さえつけたい、その歪んだ執着は歪んだ勤勉さを生み出し、特に最後の一年間、ノイトラはそれまでの傍若無人で奔放な性格はそのまま、勉学の徒となった。
 ノイトラは、何事も本腰を入れて取りかかれば、人一倍出来る性分だ。テスラも同様で、相当の努力をしてノイトラの一歩後に付き従った。
 愛想がいいとは言えないが、ノイトラに比べ礼儀正しく人当たりが良いテスラには、根拠のない評価がつきまとっていた。周囲は、テスラがノイトラに遠慮しているのだとか、顔を立てようとしているのだとか、口さがなく好き勝手に憶測した。
 だが、いずれも事実ではない。
 もし、ノイトラの対抗心を煽りより高みに押し上げられるなら、テスラは喜んでノイトラを超える成績を取り、ノイトラの癇癪を甘受しただろう。しかし、出来なかった。並ぶどころか、追いすがるのがやっとだった。それでも上位の数パーセントに食い込む優秀な成績で、教師達には概ね好評だった。
 しかし、テスラが考える献身には程遠かった。なにより、伸び悩みもたついた一時期、ノイトラに手ずから勉強の面倒を見る真似をさせてしまったのだ。
 その一件は、テスラの中で未だに負い目として残っている。
 進学後、テスラは講義の課題でノイトラの手を煩わせたことはない。
 椅子代わりにしているベッドに座ったまま、黙っていたノイトラが、舌打ちして苛立たしげに言い放った。
「まさか、この間のレポートか? 今頃やってんのかよ、グズが」
「すみません、課外の課題と重なってしまって。なので、私は食事には行きません」
 テスラは非を認める苦笑いを返して、ノイトラの誘いをやんわり辞退し、机に向き直った。
 開架で借りてきた参考文献の論文や紀要をめくり、引用元になりそうな箇所に付箋を貼る作業に戻る。他にも、ネット上に散らばる他学のデータや論文も確認しなければならない。夕食を食べに行く時間はない。
(なにより、あの本が貸出中だったのが一番手痛い)
 テスラがまとめようとしている内容の、概論に相当する文献があるのだが、大学図書館には一冊しかないうえ、貸出中だった。その一冊があるのとないのとで、労力が倍ぐらい変わってくる。
(あの文献なしでまとめるとなると、見落としが出るかもしれないな。評価に響くのは痛いが……)
 テスラは、遊んでいたわけではない。
 ルームシェアしている物件は、テスラが見つけてきたものだった。二人の生活費を少しでも圧迫しないようにと大家に交渉した結果、大家がやっている物件の維持管理作業の一部を受け持つことで、広い部屋を安く都合してもらっている。
 大家のところでのアルバイトが、運悪く課題の期間と重なってしまい、今の今まで手を付けられなかったのだ。この事情は、ノイトラも知っている。大家は、ノイトラへの不審をテスラへの信用で、差し引きゼロにしているむきがあり、ノイトラは手出し口出しをしない。
 テスラは、口数が少なく礼儀正しく清潔感もあり、年長者の受けのよい青年だった。端整で理知的な顔立ちのせいか、社会性があると勝手に評価される。
 テスラ本人は、そんなものはない、と思っている。
 むしろ、社会性があるのはノイトラの方だ。いや、ノイトラの横暴で傲慢な態度は、社会性と真逆に位置しているだろう。近隣住民とトラブルを起こすのもテスラではなくノイトラだ。しかし、世界に関わる気概がある。いわば、「反」社会性でもって世界にきちんとつきあっている。テスラは違った。ノイトラを通してでなくては世界の輪郭はなく、ノイトラの言葉がなくては秩序は秩序のカタチをなさない。テスラ一人でも生きていけるが、なんの一貫性も持ちえず、いてもいなくても変わりない、虚な何かにしかならないだろう。テスラは自分を、ノイトラの斜め後ろに出来る、伸び切った陰だと考えていた。
 テスラは机にかじりついたまま、もう背後を気にしていなかった。
 数年、生活空間を共有してきたが、一緒に夕食を摂る習慣は成立しなかった。一時期、テスラが二人分の夕食を支度することもあったが、結局、お互いに勝手に摂るかたちに落ち着いた。
 テスラは生活のほとんどでノイトラに付き従っていたが、それは学生という同じ生活サイクルを回しているから出来たことで、大学に入り、両者の自由時間が増え、テスラの知らないノイトラが少しずつ、少しずつ増えつつある。知らない間に、知らない誰かと食事をして帰ってくる日も増えてきている。
 だが、テスラは焦りを覚えるどころか、落ち着いていた。ノイトラは必要なときにテスラを呼ぶからだ──ベルを鳴らして使用人を呼びつける、生まれつきの横柄さで、テスラの時間をすべて良いように扱う。その点は昔と同じだった。テスラはそれで良いと思っていた。
 ノイトラのない平坦な人生を想像するたび、ノイトラがもたらすあらゆる刺激によって活かされ、目を開かされていると感じ入る。傲岸不遜な態度や、態度の裏に常にまとわりついている、生に倦んだアンニュイや、ふと見せる高潔にさえ見える孤高は、テスラの視界に光源と彩度を与えた。息づき色づく世界をノイトラの意識を通して見られるなら、どんな不遜も許容できる。
 とはいえ、今はノイトラの機嫌に構う余裕はない。テスラは意識を意図的にモノトーンにし、ノイトラを締め出し、眼の前の課題に集中した。聴覚の一部だけ、背後のノイトラに向けたまま──。
 夕食に行く気が失せたのか、ノイトラは壁を背にベッドに座り込んでいた。その手が、ベッドのヘッドボードをがたがたと漁る。ピアスや指輪を投げ込んでいるガラス製の灰皿を引っ掻き回す音と、重たいものが落ちる音が続く。なにか探している。テスラは意識の半分をノイトラの所作に引っ張られた。
 付箋を貼る手が止まり、キーボードから片手が離れる。
 テスラが振り返ろうとして椅子を引いた瞬間、ノイトラが立ち上がった。すうっと、並外れた長身の上で頭が揺らぐ。天井の高い部屋を選んだのだが、それでもノイトラの長身だと窮屈に見えてしまう。背伸びすれば手が届く位置にあるシーリングライトは、立ち上がったノイトラの影を、よりくっきりとテスラの上に落とした。
 だん、とテーブルに本が投げ置かれる。振り向こうとしたテスラは、乱雑に扱われた本を顧みた。大学図書館で貸し出し中になっていた、例の本だ。
「……! ノイトラ様、これは」
「こいつがあれば、すぐ終わるだろ」
 早く済ませろ、そう言い残してノイトラはベットに戻っていった。壁にもたれて座り、イヤホンで耳を塞いで目を閉じる。テスラのレポートが終わるまで待つつもりらしい。
 テスラは置かれた本をめくる。確かに、一番必要としていた論文だった。
(ノイトラ様が借りていたのか)
 ノイトラも同じ推論からレポートを仕上げたということ、自分より先にこの本に行き着いていたこと、そして無頓着に借りっぱなしでいたこと。すべてが偶発的に繋がって、今のテスラの窮地を救った。奇妙な因果のからくりに、テスラは後ろを振り向いた。
(本当に偶然だろうか)
 テスラが同じ内容を書くと思い、どうせ使うだろうと考えて、借りたまま部屋に置いていた可能性を想像し、あまりに自分に都合の良い解釈で自嘲してしまう。ノイトラを通じて現実を見るとき、テスラの視野はどうしても都合良く偏る。
 例えば、空腹よりテスラと食事をする行為自体を優先して、無関心に待つノイトラの、意図だとか。
 それを指摘されないために、音楽で耳を塞いでいるのだとか。
(さすがに、都合が良すぎる考えだな。これじゃ、憶測じゃなく夢想だ)
 テスラはレポートを打ち込んでいる画面を見やると、冒頭に入力した仮題を目でなぞった。

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