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奇跡とは

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 日課の修練場への集合が遅れ、呼び出しに来たマシュとすっかり忘れていた立香は、ストームボーダー内の通路をダッシュしていた。
「ホントにゴメン~!」
「今日のメンバー、虞美人先輩と徐福さんなので……! 怒って、帰ってしまわれかねなくて……!」
「ありえる~!」
 ばたばたと走って行く二人を、艦内を闊歩しているサーヴァントたちが微笑ましげに、あるいは興味深そうに振り返る。わいわいと言い合いながらレイシフトルームに続く廊下を急カーブで右折した立香は、曲がった先で巨躯に阻まれて軽く弾き飛ばされた。
「うわっ!」 
「先輩! 大丈夫ですか!」
「おおっと。悪い、マスター。大丈夫か?」
 進行方向からこちらに向かってきていたビーマ、その隣にはアルジュナがいる。パーンダヴァ五兄弟の二人に見下ろされ、尻餅をついた立香は「ごめんなさいっ」と即座に謝った。その立香にビーマが手を差し伸べる。立香が手を掴むと、埋まった地面から引き抜かんばかりの勢いで引っ張り上げられ、ふわっと浮いた両足が着地した。勢いの良さに目を丸くする立香に、ビーマが気さくに笑う。
「緊急の呼び出しか? 俺らも付いていった方がいいか?」
「だっ、大丈夫です、待たせてるのがぐっちゃん先輩なんで、焦ってて」
「? まあいい、気をつけろよ」
「はいっ」
「失礼しますっ」
 立香とマシュは慌てながらも、最低限の礼儀として短く頭を下げ、兄弟たちの脇をすり抜けて駆け去っていった。
 口やかましい先輩でもあるサーヴァントを待たせているとはいえ、謝るついでに軽くコミュニケーションを取る余裕くらいはある。ビーマに対してよそよそしかった立香の態度が引っかかり、マシュが後ろから声を掛けた。
「先輩、ビーマさんとはこの間、レイシフトされてましたよね」
「うん。出先でキャンプのカレー作ってくれたんだよね。美味かったなあ」
「そうなんですね。まだ少し、距離があるのかなと思ってしまって」
「ああ、そういう……」
 マシュの指摘に心当たりがあるようで、立香は駆け足のまま後輩を振り向く。
「ビーマとジナコさんとパールバティさんで、レイシフトに行ったろ? その後からちょっと、アルジュナの視線を感じるんだよ」
「視線、ですか」
「そう。なーんか、睨まれてる気がするんだよね」
 ここ最近覚えた違和感について打ち明ける。マシュの足取りが緩んで、立ち止まりそうになる。振り向いた立香に、マシュは困惑した表情で告げた。
「あのアルジュナさんが、先輩をですか?」
 マシュの戸惑う声に立香は立ち止まった。後輩に向き直って難しい表情で腕組みし、首をひねる。
「わかんない。たださ、ビーマはアルジュナのお兄さんだろ? カルデアに来てくれたあと、霊基の再臨とか契約を安定させるためとかで、頻繁に連れ回しちゃっただろ。家族のアルジュナには積もる話があったと思うんだよね、邪魔したから怒ってるのかなあ、と」
「アルジュナさんなら、思うところがあれば率直に打ち明けてくれる気がします。ご家族が先輩と仲良くなるのを見守ってくださっているのでは」
「アルジュナはさ。ずっと、頼れる英雄のアルジュナを意識して、俺たちに向き合ってくれてただろ。でも結構、子供っぽいところとか、天然っぽいところとか、あるなあって、だんだん見えてきて」
「そうですね」
 マシュが数々の特異点で見てきたアルジュナの意外な一面に思いを馳せ、微笑む。立香は肯いてから、走ってきた方向を見やった。
「俺も長い間、落ち着いてて頼りになる英雄だなあって思って、接してきちゃったし……。アルジュナ本人は、自分の素顔みたいな部分を、俺たちにあまり見せたくないのかもしれないと思ってて」
「見せたくない、ですか?」
 それは一体、と言いたげに見上げてきたマシュに、立香は優しい表情を浮かべて肯いた。
「お兄さんに甘える弟の顔だよ。アルジュナは、俺やマシュや、他の誰もいないところでお兄さんと話したくて、こっちの用事が終わるのを待ち構えてる、そんな気がするんだよ」

 
 

 ビーマはタマモキャットの頼みで、備蓄倉庫へ食材を取りに行くところだった。ラウンジで紅茶を飲みながらパールバティの相手をしていたアルジュナは、厨房から出て行くビーマを見て、女神に断りを入れたうえでその場を辞し、兄を追いかけた。
「手伝います」
「おう」
 ビーマがにこやかに肯く。弟の申し出に対して、自分一人で十分だ、とは言わない兄だ。生前は、兄弟五人、助け合い補い合って生きて、臺から花が散るように、一人また一人と失っていった。カルデアに召喚されたビーマと、その事柄について話した事はない。王宮での日々と艱難辛苦を舐め尽くした放浪の日々、その中に点々と灯る愉快な思い出を、紐解き、言葉少なに語り合った。話はまだ尽きない。ビーマはまだ、マスターのサーヴァントとして慣らし運転をしている最中だ。
「しかし、立派な厨房があって良かった。今夜は俺が献立を決めていいそうだ、お前の好物を何でも作ってやるぞ」
「ありがとうございます、嬉しいです」
「なんだよ、畏まって。今はマスターもいない、兄弟水入らずだろ」
 眉間を広げて少し驚いた顔をしたビーマは、すぐにニカッと笑い、アルジュナの背中を景気よく叩いた。不意を突かれたアルジュナが仰け反って躓きそうになると、ビーマはひょいと腕を掴んで引っぱり戻す。軽々と自分を引き戻した兄の力強さと、やや粗雑な力加減とに、アルジュナは苦笑した。
 弟の困惑の入り混じった微笑を見て、ビーマは鳩尾のあたりにくすぐったさを覚えた。それは、幸福感が湧き上がる前兆だ。
(カルデアでは、こんな穏やかな顔ができるんだな)
 最後に残ったアルジュナが見た景色がどれほど凄絶だったのか、ビーマには推し量りようもない。もし最期の瞬間、隣にいてやれたら、類い希な強さと神の寵愛がもたらした宿命にあえぐ肩を抱え、身も心も支えやったのに、と思う。
 意味の無い夢想だ。サーヴァントに許されているのは、未定の明日ではなく過去のイフを夢想することだけだ。
 それでも、起こりえない奇跡の果てに再会したアルジュナと話すなら、愚にも付かない、ありえないイフの話、そして暖かな昔の思い出語りしかない。召喚され、アルジュナと再会した瞬間から、ビーマはそう考えていた。
「そうだ。召喚されてから好きになった料理はあるか? 聖杯の力で知らん料理のレシピも引き出せるからな、挑戦してみよう」
「それでしたら……」
 カルデアに来てからの体験を思い返しながらビーマと並んだアルジュナは、思いついた顔で仰ぎ見た。
 並んで歩く二人の前に、誰かが猛ダッシュで通路を曲がってきた。気を抜いていたビーマが構えるより先に、よそ見したまま全力疾走していたマスターが、胸元に飛び込む勢いでぶつかる。
「うわっ!」 
「先輩! 大丈夫ですか!」
 前方不注意のまま真正面からぶつかったマスターは、体格差で弾き飛ばされ、盛大に尻餅をついた。さすがのビーマも咄嗟のことに反応できなかった。すぐに、へたり込んだマスターに手を伸ばす。
「おおっと。悪い、マスター。大丈夫か?」
「ごめんなさいっ」
 引っ張り上げたマスターが慌てながらも謝ってくる。ただならぬ様子にビーマもアルジュナもマスターの顔を覗き込むように身を屈めた。
「緊急の呼び出しか? 俺らも付いていった方がいいか?」
「だっ、大丈夫です、待たせてるのがぐっちゃん先輩なんで、焦ってて」
「?」
 緊急事態ではないらしい。が、マスターにとっては大ごとのようだった。ビーマはアルジュナにちらっと目配せする。アルジュナが、関知しなくて問題ないと目顔で伝えてきた。弟に確認して問題ないらしいと判断し、ビーマはマスターを振り向く。
「まあいい、気をつけろよ」
「はいっ」
「失礼しますっ」
 とるものもとりあえずといった具合で、マスターとマシュは「やばいやばい」「まだ間に合いますから!」と言い合いながら、再び廊下を猛ダッシュで走り抜けていった。あまり駆け回ると転ぶぞ、と言いやろうとして止めておく。カルデアには保護者代わりや教官代わりのサーヴァントが多数おり、誰かしらが気配り目配りしている。
「大騒ぎだな、そのうち誰かにどやされるぞ。あれは」
「ええ。聖女マルタあたりがきちんと叱ってくれるのではないかと」
「ああ。あの、拳で語るお嬢さんか。西欧の聖女ってのは武闘派が多いんだな」 
「それは、……多少誤解があるかもしれません」
 そんな雑談をしながら、ビーマとアルジュナは備蓄倉庫のあるエリアを目指す。
 ストームボーダーの間取りは、召喚されたその日にアルジュナに案内され、うっすら把握していた。戦場でも放浪でも、土地と地形の把握は最優先事項だ。ビーマの頭にはストームボーダー内のおおよその地図が出来上がっている。
「素材保管庫の場所、もう覚えましたか? たまにあそこに仕舞ってある素材も料理に用いるのだと、聞いたことがあります」
「ああ、覚えてる。備蓄倉庫の反対側だったよな。隣に聖杯が雑に並べてあったが……」
「とんでもない話ですが、マスターが出先で、聖杯型の巨大リソースをぽろぽろ見つけてくるんです。規模の小さな物はもはや、備品扱いになっていますよ」
「おっそろしいところだな、カルデア……」
 つらつらと話しながら、アルジュナはまだストームボーダー内の説明をしたそうだった。通り過ぎた隔壁のドアを指して、おもむろに説明をし始める。
「こちらはハサンの皆さんの部屋がある区画で、山の翁もいらっしゃいます。あまり現界されていないようですが、いらっしゃるときはやや注意を。敬意や礼儀的な意味で、です」
「アルジュナ」
 いつの間にか前を先導している弟に、ビーマが呼びかける。
「ストームボーダーの設備も、カルデアの仕組みもざっくり把握したし、そんなに心配しなくていいんだぞ?」
「……っ、いえ、心配しているわけでは」
「早く馴染めるように気にしてくれてんだよな。ありがとうな、アルジュナ」
「……はい」
「カウラヴァの連中もいて、カルナだけじゃなく、あのドゥリーヨダナの野郎がいて、俺が喚ばれたんだ。お前がマスターのサーヴァントとして気にするのは分かる。でも兄ちゃん、あのバカヤロウと揉めてないだろう?」
「そうですね、向こうは相変わらず無礼に挑発してきますが……」
「やるとしても時と場を弁えるさ」
 アルジュナの杞憂を豪快に笑い飛ばし、ビーマは弟の隣に並んだ。艶やかな黒の巻き毛をくしゃくしゃと撫でて、肩を叩く。
「兄ちゃんが恋しかったか?」
 屈託なく尋ねるビーマに、アルジュナは虚を突かれた表情になり、すぐ厳粛な英雄然とした面持ちになった。
「寂しいとは、思いました。ですが、マスターはもっと厳しい状況に置かれている。私は英雄。無辜の民を護り支える側です。惰弱な私情を抱き続けるわけにはいかない」
「お前らしいな。マスターもきっと、心強かっただろう」
 今に至るまで、英霊の座から喚ばれた現し身として、藤丸立香という今を生きる少年の心身に寄り添い、ある時は知恵を授け、ある時は規範となり、善性に従って果たしてきた英雄としての責務を、ビーマは短く力強い言葉で労った。同時に、かりそめの今を共に歩めなかった偶然に、微かな恨みを覚える。
 カルデアのこれまでは、残されたログや古参のサーヴァントから話を聞けば、知る事はできる。しかし、様々な局面でアルジュナの心がどのように傷つき、あるいは満たされたのかは、アルジュナから語られるまでは知りようがなかった。死後、弟が抱えた懊悩と苦難を知る術がないように。
「アルジュナ」
「はい」
 強く呼びかける。アルジュナは、はっきり答えて見上げてきた。ビーマは力を込めてアルジュナの肩を掴み、すらりとした身体を強く揺さぶる。
「遅くなっちまったが、俺が来たんだ。兄ちゃんを頼れ。兄弟二人のときに気を張るな、肩の力を抜け。なんでもないことで笑え!」
 ヴァーユの加護か、ビーマ自身の霊力か。アルジュナの全身に気持ち良い疾風が吹きつけ、哀感の残る額にかかった前髪を巻き上げて、生真面目に寄せられた眉間をあかるく開かせた。項垂れはしないが、晴れ晴れと見上げるでもないアルジュナの双眸が、驚きに見開かれる。すぐに、はにかむように細めてから、口元に柔らかな微笑を浮かべた。
「……はい、兄ちゃん」
 弟の返事に、ビーマはからっとした笑いを浮かべ、分厚い手のひらでアルジュナの緩んだ頬を優しく叩いてやる。
「よし。じゃあ、お前の新しい好物とやらの食材を見繕いにいくか!」
 肩を組んで歩き出した長身の兄を、アルジュナは木漏れ日を見上げるように、まばゆく目を細めて見上げた。

 

 

 

 カルデアに喚ばれ、多くの者と共に過ごし、私は変わった。
 生前の私は、兄の慈愛を神が与えた僥倖であるとし、在ることに感謝するだけで、満足していた。
 しかし、こうして有り得ざる奇跡のもとで、再会してしまった。
 今は、その慈愛を私にだけ投げかけてほしいと、呪っている。
 貴方は、私だけの兄なのだからと、思っている。
 貴方が、兄でなければ良かった。でもこれは──この呪いは、たとえ剪定事象であっても、有り得ざるものだと知っている。
 私はこの人の弟で、この人は私の兄で、だからこそ、私は彼に愛されているのだから。
 奇跡とは、なんとむごたらしいものであるか。

[了]

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