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立てば宵闇、座れば火花、歩く姿は、

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 南方は昼休みに本庁を抜け出し、千駄ヶ谷付近にある門倉の家に来ていた。
『次の賭郎勝負のゲームで参考にしたいから、警察本部にある資料を貸してくれ』
 数日前頼まれた南方は、かなり渋って断っていたのだが、結局根負けしてしまった。
 門倉が欲しがっているのは、持ち出し禁止資料である。その場で見せて暗記すること、貸し出しはけしてしないことを条件に、今日の昼と日時も決めて持って来たのだ。
 しかし、門倉は不在だった。
 古いインターホンを鳴らしたが、応対に出てくる気配はない。勝手に門を開けて敷地に入り、庭のある縁側に回り込むと、やはり家は無人だった。
「人に頼み事しておいて、アイツ……」
 南方が毒づく。もう一度、玄関の方に戻ってくると、南方がやって来たのと反対方向から「おうい」と呼ばわる声がした。
「早かったのお」
「なに出かけとるんじゃ。約束しとったろうが」
「約束て。かわいい言い方するやないの」
 門倉が嗤う。南方は鼻白んで言い返そうとしたが、門倉の身なりを見るなり、息を呑んで口を噤んでしまった。
 黒紅の小紋に黒の羽織に角帯という着物姿で、切り花の包みを携えている。南天と綿花の赤と白、渋みのある着物の色が、門倉の烏羽色の髪とよくあって、一幅の絵と言いたくなる趣があった。門倉は、南方の惚け顔を見て軽く手を上げる。羽織の裏は切り花に揃えたかのような、鮮やかな牡丹柄だ。
 南方が見とれて棒立ちになっていると、門倉は端整な美貌をくしゃっと歪めて、奇妙な笑顔をしてみせた。
「なんじゃ、その格好」
「御大のご友人が展示会をしとってな。名代で出向いとったんよ。センセイにもご挨拶せんといけんかったしな」
「先生?」
「生け花のセンセイ。御大の紹介で仕込んでもろうとる」
 南方は、驚いたまま押し黙ってしまった。門倉に華道の心得があるとは想像もしなかった。
 和装の門倉は、近くで見るとますます男振りが良く、美しく、清廉とした佇まいすらある。普段、立会のとき手袋をしている手にはやはり手袋が嵌められており、着物の袖と手袋の縁の間から覗く素肌は、寒さのせいか蒼ざめて見えた。
「寒そうじゃの」
「おうよ。寒いのなんの。着物なんてのは格好だけで、暑さ寒さにはくその役にも立たん」
「ええ格好しいのおどれにはお似合いじゃな」
 ようやく目が慣れてきて、南方は軽口を叩きかえした。
 門を開けて玄関の鍵を開けた門倉は、携えた切り花越しに振り向いた。
「ワシの着物姿にやっと目が慣れたか? 阿呆みたいに見とれよって」
「! 誰が見とれとるって?」
 優位を確信した門倉の笑みに、南方は表情だけ憮然としてみせた。まったく門倉の言うとおりで、南方は初めて見る門倉の和装と、抑えた色使いながら隠しきれない艶やかさに、すっかり参っていた。
 門倉のあとにつづいて家に入る。
 日本家屋に独特の、畳のにおいと木製家具のしめやかな香りとが、南方の鼻孔を快く満たした。ルームフレグランスを使っているのかと疑ったこともあったが、これはいわゆる「門倉の家の匂い」なのだ。ひんやりと落ち着きがあり、堂々として、どこか安堵する匂い。門倉の懐深い佇まいを思わせる匂い。
 南方はくつろぎそうな心を引き締めた。本職を中抜けしてきているのだ、まったり居座っている場合ではない。
「頼まれた資料じゃ」
「おん」
 奥の衣装部屋へ着替えに向かった門倉に、廊下から声を掛ける。持ってこいと言いたげな返事に、南方は半開きの襖を開けた。
 門倉は、牡丹の裏地がついた羽織をするりと脱ぎ落として、角帯を解くところだった。
 黒々とした艶やかな容貌を彩っていた着物がはらはらと脱げて、逞しくすらりとしたむき身の姿が露わになる。
 足袋も脱ぎ、下着一枚になった門倉の姿は、門倉雄大という名を冠した一個の生き物だった。一人の人間、というかんじがしない。門倉雄大、そう言い表す他にない姿をしている。
 南方は、なんの肩書きも持たず素裸でいる門倉の姿が好きだった。二十年前に相対した少年が、大人になった姿だと強く感じられるからかもしれない。
「また見とれとる。ワシの裸はさんざん見とるじゃろうが」
「見とれとらん。さっさとなんか着ろ、見てるこっちが寒いじゃろうが」
 南方はニタニタ笑う門倉の視線を、手にした資料でしっしっと追いやった。
 着古したセーターとスウェットに着替えた門倉が、南方の差し出した資料を受け取る。ぺら、と最初から捲り始め、そのまま猛然とした集中力で紙面を凝視した。片目で文面や図表を追いかけ、次々とページをめくっていく。
 過集中状態の門倉をそっとしておき、南方は衣装部屋を見回した。
 和箪笥が二棹。ハンガーラックが三台。ほとんどがスーツ類だが、今着ていた着物をはじめ、和装もかなり揃えているらしかった。南方が想像していた以上に衣装持ちと判り、つい呟いてしまう。
「そがな着てく服がいるんか」
「服ゥ? ああ、和箪笥のことか。そっちは貰いもんばっかりじゃ」
 ぱらぱらと資料の最後の方を捲っていた門倉が、生返事で答える。
 南方は、門倉の交遊範囲が自分の想像を超えて広く、人種や職業も多岐にわたるのだと悟って、急に面白くないような、不貞腐れてしまいそうな気持ちがした。
 良い大人同士、各々のライフステージがあり、コミュニティがあり、独立していて当然だ。なのに、知らない門倉の一面を知るたびに、ざらざらした嫉妬とも焦燥ともつかない感情に襲われてしまう。
 資料を頭から捲りなおす音がして、門倉を見やると、中身を読めているか解らない早い手つきでぱらぱらと捲っている。そうした記憶術なのだろう、二度ほど速読すると、南方に資料を突き返した。
「だいたい知りたいことは頭に入った」
「貸しやぞ」
 南方がカバンに資料をしまう。用事が済むと、長居しそうになる足をどうにか動かして、玄関に向かおうとした。
「ちょお待て」
「なんじゃ。中抜けしとるから長居はできんぞ」
「そんな時間は取らせんよ」
 そう言うと、門倉は和箪笥の抽斗を下から順に開けていって、途中で手を止めた。たとう紙に包まれた一枚の小紋を引っ張り出すと、一緒に仕舞ってあった帯と共にその場に広げる。
 青藍で縞柄のシンプルな小紋は、色味がどことなく警官の制服に似ていた。門倉は広げた着物を南方の身丈にあてがう。
「ワシには似合わん色じゃけぇ、ずぅっと仕舞っとったんやけど、お前には似合いそうじゃのお」
「本気で褒めとるのか? 嫌味か?」
「どっちもやね」
 そう言いながら、門倉が南方のジャケットを脱がせようとする。着付けてみるつもりらしい。
 さすがに着物で遊ぶ時間はないと、南方はボタンを外しにかかった手を制した。
「そこまで暇じゃない」
「着付けたろう思ったのにな」
 やんわりと手を押し返され、門倉はつまらなそうに口先を尖らせた。悪戯をしくじった悪童の顔そっくりだ。南方は苦々しい表情で一応、門倉に尋ねる。
「なんか裏があるんじゃろ」
「別に?」
「正直に言えば、付き合わんこともないぞ」
 南方が水を向けると、門倉は肩をすくめた。ちらっと視線を逸らしてから、南方を見やる。
「今度、御大のご友人が主催のお茶会があってな。かしましいマダムがようさん参加するんじゃが」
「おどれ、ほんとに年上好きじゃのお……」
「付き合いじゃ、付き合い。で、その場におる男はワシだけなんじゃ」
「間紙立会人は?」
「御大があのバアサンに付き合いきれるかよ。茶ァの時間が終わった途端、休みなくピーチクパーチク喋りよる」
 門倉はややげっそりした面持ちで状況を説明した。
 南方は、あの門倉をここまでげんなりさせる、有閑マダムたちの午後のおしゃべりなるものを想像して、半笑いを浮かべた。
 南方も身に覚えがあるのだ。
 地方警察署の署長やら副署長の奥方たちが開催する食事会に呼ばれたときは、それはもう、うんざりするほどチヤホヤされ囲まれ一方的に捲し立てられ、ついでに婚期の心配までされて、心底辟易とした。
 主催した夫人の夫である、さる地方警察署長は、かしましい奥方とご婦人たちへの撒き餌として、南方他、若手の警視正クラスを招待したのである。現着し、ご婦人方に取り囲まれた瞬間、南方も同僚も自分たちの運命を悟り、頷きマシーンに徹した。
 正直、拷問のような時間だった。
「あれをやれと……?」
 南方がげんなりした顔で呟く。門倉はそれを見て嗤うどころか、真面目な面持ちで南方の両肩を掴み、軽く揺さぶる。
「なあ。おどれ、おためごかしは得意じゃろ。御大の頼みじゃ断れんのじゃ。着物も着付けたるから。来んさい」
「……」
 門倉ががくがくと南方を揺さぶる。敬愛する間紙ボロの依頼とあって、なんとしても断れないが、どうしても一人で向かいたくないらしい。
 いつもなら門倉の弱みにつけ込めるとばかり目を細める南方だが、今回ばかりは渋い顔だった。
 年次が上の男を適当に転がすのは得意だが、熟女の相手は南方も門倉同様、苦手だった。彼女らの駆け引きは南方が普段やっている駆け引きと、土俵が違いすぎる。そつのない受け答えをするだけで、手一杯になってしまう。
 もっと年上の女性ともなれば、どれほどの難敵か。素性を暴かれた途端、門倉との関係性を、それはもう興味本位で追及してくるに違いない。
 難色を示し、なかなか首を縦に振らない南方の態度に、門倉は業を煮やした。低く唸ってから、さっき脱いだ着物をふと顧みる。
 門倉は、家の前で振り向いた南方の、うっとり見惚れた顔を思い出した。ふと含み笑いを浮かべると、上体を寄せて南方の首に腕を絡ませ、耳元に唇を寄せる。そして、しっとりと潜めた声で囁いた。
「茶会が終わるのは夕方頃じゃ。夜は、料亭でしっぽりできるぞ? これならどうじゃ」
「…………………………、わかった」
 長い逡巡があってから、南方が肯いた。負けた、と言いたげな短い溜息。門倉はニンマリと微笑んだ。
 門倉は首に絡めた腕を解かずに、その手で南方の後ろ頭をくしゃくしゃと撫で回す。ビアスをした耳たぶを口先で食むほど近づけ、「ありがとうなぁ」と感謝の言葉を囁く。
 南方がこみ上げてきた衝動を飲み込んで、ぐぐ、と喉を鳴らした。両腕が衝動と戦いながらギクシャクと持ち上がっていき──片腕だけ、門倉の背中に回される。
 ぎりぎりのところで踏みとどまっている南方に、門倉は誘惑に耐える横顔を見て、うくく、と喉を鳴らして笑ってから、追い打ちとばかり囁いた。
「ところで、昼飯、食うていかんか?」

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