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英雄たち

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 マスターの故郷を再現したシミュレーション・プログラムが完成し、連日様々なサーヴァントがマスターと共に各地へと赴き、共に過ごしている。
 白紙化した地球から消えてしまった、主の故郷。
 ある者は旅立った故郷を思い。
 ある者は守り通せなかった故郷を思い。
 ある者は己の因果の果てとなった地を思い。
 マスターは、望郷ではなく帰郷する決意を新たにした。

 夜。マスターとマシュが眠りに就くと、シャドウ・ボーダーの照明は最低限に絞られる。サーヴァントたちはほとんどが霊体化し、あるいは霊基グラフのデータ状態にまで出力を絞る。エンジン音だけが響くがらんどうの空間になる邸内には、足音ひとつ響かなくなる。
 その夜は、ラウンジからジョッキを傾ける微かな音がしていた。そして、ラウンジに踵を落とす静かな足音が出現する。
 テーブルでビールを飲んでいるヘクトールの元に、アキレウスが現界して歩み寄った。対岸の席に腰を下ろす。椅子を引く音、腰かけた椅子の軋みが、なにもない空間に反響する。
「マスターとマンドリカルドと、戦禍の跡地に赴いたんだってな」
 アキレウスは今回、このシミュレーターの小旅行に参加しなかった。望郷の念とは程遠い、戦いの中で倒れゆく生き方を選んだ英雄らしい選択だった。マスターはアキレウスを――データ上とはいえ――自分の国に招待できず、少しばかりガッカリした様子だったが、アキレウスは笑顔でマスターをシミュレータールームに見送った。同時に、彼の隣に居る宿敵の背中をじっと見つめていた。
「まあね。場所はマスターとマンドリカルドのチョイスでね、オジサンはついていっただけ」
「へぇ、そうかい」
 対岸に腰かけたアキレウスが淡々と答える。ヘクトールは相手を追っ払うわけでもなく、無視するでもなく、だが目を合わせずにジョッキ片手に頬杖をついた。
「……あれは、俺や君が知る戦争の跡とは、違うなにかだったよ。同じなのは、人間の愚かさだけだ」
「……」
 ヘクトールは深緑の目をゆっくりと閉じた。凄惨な地獄絵図を生み出す瞬間、そのまま凍り付いて灼きついたものを、あらゆる喪失の痕跡を、その後人々が死力を尽くして取り戻した暮らしを、マスターは歴史を語る口調で説明し、親友となった過去の英霊のいたましい表情に頷き、だから、と言った。
『だから、俺は絶対に帰るんだと思ってる。つらかったことも、楽しかったことも、全部取り戻して、俺は絶対、家に帰るんだ。それが、俺の戦いだから』
 マスターの覚悟を、ヘクトールはただ黙って一歩離れた位置から見守っていた。帰郷の願いは戦いに赴く誰もが抱く、原初の願いだ。
 だが目の前の英雄は、英雄として死ぬと願い、望郷の祈りをかなぐり捨てた。マスターの在り方とはあまりにかけ離れた、だからこそ規格外の大英雄たりえたのだろう。そんなアキレウスに、ヘクトールは目を開き、ふと問いかけた。
「君だって、戦いが愚かな行いだとは思っているんだろう?」
 肯定しても否定しても、ヘクトールは静かな表情を変えない。そう解っていて、アキレウスは己の内にある答えを偽らず口にする。
「カルデアに来た今なら、そうだとも、そうじゃないとも、答えられるが。愚かな争いの中であれ、矜恃と意地、勇敢と蛮勇は同居して存在する。地獄の中で人が人のままあるには、臆病や愚かさも必要だ」
「それすら無くし、生きることも捨て、感情のために戦うなら、それは狂気だ。……そう言いたそうだ。違うかい?」
 ヘクトールの皮肉な口調に、アキレウスは複雑な表情を浮かべたが、やや間を置いて「そうだ」とキッパリ答えた。
 アキレウスが陥った怒りの狂気。その果てに斃れたヘクトール。狂気は収まらず、ヘクトールの屍は辱められ、アキレウスの怒りは更なる怒り――パリスの勇猛を呼び覚ました。
 戦いの中で感染していく怒りの姿を、英霊となり召喚された後に知ったヘクトールは、ただ一言「しんどかったねえ」と溢した。
「オジサンはさ。マスターの故郷の人々こそ勇敢だったんじゃないかとね、思うよ。怒りに飲まれず、戦いじゃなく、平和な暮らしに辿り着こうと努力した。狂気の連鎖をなんであれ止めようと努める、その精神こそ人間の勇敢というやつだとね」
「それは、俺も思ってるとも」
 マスターだけじゃなく、とアキレウスが呟く。手持ち無沙汰な両手を組みあわせてから、ちらりと一瞥寄越したヘクトールをまっすぐ見つめる。
「決着のため、俺の前に出てきたアンタは、本当に勇敢で美しかった。ヘクトール」
 アキレウスは平静な心のまま、真剣な賛辞を口にする。怒りにも憎しみにも囚われていない心持ちで口にする賛辞は、告白めいて照れくさく、怒号よりずっと感情がこもっていた。
 ヘクトールはジョッキを持ったまま一瞬、ぽかんと呆気にとられた。そして苦笑いを浮かべる。
「おお怖。よしてくれ、君からそんな言葉を聞いた日にゃ、眠れなくなっちまう」
「人が真剣に言ってんのに、なんだその言い方」
「真剣だから怖い、って言ってんの。君が真剣になっていいことなんて、何もありゃしない」
「なにを」
 ちょっと鼻白んで身を乗り出したアキレウスに、ヘクトールは片手を上げて胸元を優しく押しとどめた。悪戯っぽく笑いながら、共闘する戦友に語りかける調子で剽軽に冷やかす。
「いざって時まで、大英雄サマはどんと構えてのんびりしてりゃいーのよ」
「……そういうことかよ」
「そ。露払いは人間のオジサンがテキトーにやっておくから、一番しんどいところを君がやりな、って話よ」
 笑うヘクトールに、アキレウスも不敵に笑った。乗り出した上体をひっこめると、頬杖を突いて口元を隠す。
「損な役回りを押しつけやがって……」
 憎たらしげに呟く、その口元は喜びを隠しきれず緩んでいる。カルデアに来てから共に戦ってきた時間を経て、かつての宿敵から得た信頼に面映ゆく笑みを浮かべるアキレウスに、ヘクトールもゆったりした表情でジョッキの残りに口を付ける。
 しんと寝静まったシャドウ・ボーダーで、二騎の英霊たちの少ない語らいの物音だけがふっと響き、そしてまた静寂に飲み込まれる。過酷なひとときの間にさした穏やかな時間は、音もなくラウンジの一角に降り積もっていった。

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