bleach

シークレット・シークレット

bleach

 事後の気だるさが体の節々を快く重くしている。
 先に風呂をもらい、汚れた体を洗ってさっぱりした檜佐木は、籐製の長椅子に腰掛けて、のんびりと伝令神機を眺めていた。
 最近、浦原商店経由で護廷十三隊に最新型が正式支給された。以前の伝令神機より、文書も写真も多く送れるだけでなく、動画も撮れる。撮れるだけでなく、録画しながらリアルタイムに送信も可能という、優れものだ。
 支給にあたっては、十二番隊によって機密漏洩監視のため随時監視機能が追加されている。配布の際には、隊長から席官持ちまで説明会に出席したが、新機能を説明する涅マユリの機嫌は、すこぶる悪かった。
(ずーっと宙空を睨みつけてたっけなぁ、涅隊長……)
 檜佐木は思い出して、苦い顔をする。涅の浦原に対する対抗心は相変わらずで、敵愾心一歩手前といった具合だ。隣にいた六車拳西は無言のまま、気配で「余計な質問するんじゃねえぞ」と圧してきた。檜佐木の記者魂は最新型配布に至るまでの経緯を聞きたくてウズウズしていたのだが、上司に釘を刺されたのでは諦めるしかなかった。
「なんだこれ? ……撮った写真を加工できんのか。へぇー」
 新型は、現世のスマートフォン形状に近く、タップ機能が備わっている。画面を触っても触っても、知らない機能が出てきた。片っ端から表示された機能を触りつつ、檜佐木の意識は半分、ここにいない相手に向けられている。
 ほんの少し前まで、檜佐木の体を内も外も隅々まで愛おしみ慈しみ、激しく求めていた六車は、風呂に入っている。
 一緒に入るか、と誘われたのだが檜佐木は断ってしまった。灯りを落とした寝室に比べて、照明を入れた風呂場はあかるい。六車に貪り尽くされて、死覇装で隠れる場所につけられた痕跡や、気づかないうちに自分が六車につけてしまった痕跡を、煌々と明るい湯気の中で見るのは気まずかった。
 追い焚きして温かくした風呂につかった手足には、まだ名残の火種が渦巻いている。
 数年で、すっかり欲深くなってしまった心と体。
 もうこれ以上受け止めきれない、と泣き出すほど愛されたのに、ひと心地ついた途端に、もっと欲しいと思ってしまっている。檜佐木は自分の浅ましさに恥じ入り、湯上がりの顔をさらに赤らめた。
 檜佐木はつい半刻ほど前までの情事を思い出し、はぁ、と切ない溜息をついた。
 思い返してみるに、今夜はどういうわけか、いつもより大胆だった。
 明日の鍛錬が中止になり、人前で着替える予定がなくなった。しかも流魂街に取材に出ると決まったため、隊舎での人目を気にしなくてよくなった。もちろん、隊舎の外に出るからと言って、衆目がないわけではない。妙な噂が立つのは避けたい。
 公的には上司部下の間柄である六車と恋仲になったことは、親しい死神たちにはそれとなく知られているが、まだ公にはしていない。恋人云々より、まず先に護廷の死神であり、隊長と副隊長の立場が優先する。普通の死神たち以上に、慎みを持たねばならない。
 そう、意識したからだろうか。
 情事のあいだ、檜佐木は普段口にしない赤裸々な欲望を口走り、強請り、甘えて、泣きじゃくった。そんな檜佐木に煽られてか、六車の手管もやや乱暴気味で、しまいには檜佐木の四肢をへし折ってしまうのではと思うほど、強く、荒々しく、抱いてきた。全身でのし掛かり、押し潰し、抱きかかえ、後ろから、向き合って、様々な姿勢で、何度も何度も、腹の奥の奥まで貫いてきた。
 そんな六車の荒い愛撫は、檜佐木の中に眠る被虐の悦びに火を灯した。檜佐木はやめてくれと懇願し、同じ口でもっと欲しいと叫んだ。
 お互いに昂りあい、もつれるように溺れ、官能のてっぺんを漂った。達する瞬間、檜佐木は六車の腕に噛みつき、六車は両手の爪を立てて檜佐木の背中の薄い肉を握りしめ、掻き抱いてきた。
 檜佐木の背中には、爪痕のひりひりと沁みる痛みが残っている。
「……っ」
 檜佐木は伝令神機から目を上げ、片手で下腹を押さえる。まだ、穿たれた感触がくっきり鎮座している。静かに呼吸していないと、鎮めた性感が目覚めて、体に刻まれた記憶だけで達してしまいそうだった。
 深呼吸して、もう一度、手元の画面を見る。電信の受信箱を確認していると、着信があった。久南白だ。
『明日、お土産を忘れないでね!』
 電信の末尾に、いろんなマークが添えられていた。どれも浮かれた調子でいかにも楽しげだ。
「白のやつ、どっかで流魂街行きを聞きつけてきやがったな」
 檜佐木は腹に響かないよう、静かに苦笑する。
 流魂街と瀞霊廷の行き来が緩やかになり、東西南北の門前には市場が立つようになっていた。瀞霊廷から出店する者あれば、流魂街から持ち寄る者もある。品物もさまざまだ。
 流魂街では、貧しい生計の一助にと、山間部で採れる山菜、河川敷で釣れる川魚を売る店が多い。それらは、瀞霊廷内で人気を集めており、最近では毎朝、朝市が立つようになってきた。伴い、流魂街での暮らし向きも、檜佐木が子どもの頃と比べると格段に質が良くなっていた。
 白がいうお土産とは、その門前の市で変わった食べ物か品物(玩具でも仕掛物でもなんでもよいらしい)を買ってこい、というのである。
 はるかに年上の、手のかかる天真爛漫な姉のような白を、檜佐木はついつい甘やかしてしまう。そして、長年連れあってきた相棒の六車に、甘やかすな、と叱られるのだ。
「なんか面白い細工物でも出てるといいな」
 檜佐木は目を細めて呟き、白には「解った」と返事を打ち込んだ。
 送信と同時に、離れに続く廊下の方から足音が近づいてくる。
 障子を開けて、湯上がりの六車が浴衣姿で入ってきた。暑いのか、がばっと胸元を開いている。そのせいで、鳩尾の入れ墨が丸見えだ。鍛えられた胸板や引き締まった下腹の筋肉、浴衣の下に収まっている逞しい腰から脚にかけての武骨な線より、入れ墨が扇情的に見えてしまう。情事の間も、直視するのが憚られ、直視できずにいた。その印をはっきりと見てしまい、檜佐木は慌てて正面に向き直った。
 気づかない様子で、六車は顔を拭きながら藤の長椅子に回り込む。
「先に寝てて良かったんだぞ」
 体つらいだろ、と素っ気ない気遣いの言葉が投げかけられる。檜佐木は頭を振って穏やかに笑った。
「それが全然眠くならなくて、新型の伝令神機を見てました」
「そうか」
 首にかけた厚手の手ぬぐいで汗する額を拭いつつ、六車がどっかりと檜佐木の隣に腰掛ける。満ち足りた長いため息をついて天井を仰ぎ見てから、何気なく隣の檜佐木を振り向く。
 檜佐木は腕の触れ合う距離に座った六車を意識しつつ、伝令神機の画面を触っている。振り向くのが気恥ずかしいのと、情事の後、こんなふうに寛いで過ごすのが珍しく、どんな態度を取ればいいのか測りかねていた。
 六車の目は、口ほどに物を言う。雄弁な視線で、ぎこちない檜佐木にちょっかいをかけてくる。
 檜佐木は、隣からじっと見つめる六車の視線を、しばらく横顔で受け止めて耐えていた。しかし、早々にくすぐったい感覚に負けて、ちらっとだけ振り向く。
 目が合うと、お互いの感情が空気に溢れて、部屋の中で情動の密度が上がっていくのが解る。
 六車が背もたれに預けた上体を傾げると、檜佐木の肩口にとんと頭をもたせかけた。
 ほとんど乾いた髪は、湯上がりの真新しい汗でやや湿っていて、石鹸に混ざる清々しい六車の匂いが檜佐木の鼻先をくすぐる。六車の額から鼻筋は、前髪が下りているせいで、初めて出会ったときを思い出させた。
 怖ろしく、同時に胸が高鳴る、原点の記憶。
「……なに読んでんだ」
「白からお土産の指示が来たんで、返事してたんです」
「またか。甘やかすからそうなる、際限ねぇだろ」
「俺も土産探すの楽しいんで、全然平気っすよ」
 肩に持たれたままの六車が、相棒のわがままを一蹴して唸る、それを檜佐木が笑いながら拾い上げる。もう何年もこういうやり取りをしている。時には、白と檜佐木で結託して六車を困惑させることすらあった。
 檜佐木も白も、六車がこの関係性を好ましく思っていて、納得していると解っている。はっきり明言こそしないが、六車と白の間に檜佐木の長身は自然な形ですっぽり収まっているのだ。
 檜佐木は、肩に感じる六車の頭の重さに幸せを覚えつつ、受信一覧を指でとっとっ…と手繰る。
 スクロール、フリック、スワイプ、ピンチイン、ピンチアウト。
 涅経由で渡された浦原の操作説明書にあった手の動きを、檜佐木は他のどの席官より早く覚えた。説明書を読み練習している間、檜佐木を後ろから抱きかかえて眺めていた六車は、手先の器用さを言葉少なに褒めてくれた。
『お前、なんでも物覚えがいいな』
『そっすか? へへ……こう見えて、霊術院は飛び級の首席でしたからね』
 褒められた喜びを隠さず調子に乗って返事をした檜佐木は、ふと勘が働いて、六車を振り向き仰ぎ見た。もしかして、と思ったとおり、六車は片手で軽く顎を掴んで顔を寄せ、口づけてきた。こうした勘も物覚えのうちかもしれない、そんなことを思った。
 同じ勘が、今も檜佐木の頭で明滅している。
 お互い無言のまま、風呂上がりの暑さと情事の余韻とでふわふわとする体を寄せ合い、夜更けの空気に包まれている。いつもは身を寄せる檜佐木に腕を貸してやる六車が、今は檜佐木の骨張った肩に体重を預けて寛いでいる。
(甘えられてる、気がする)
 六車がもたせかけた頭を擦り付けて、檜佐木の手元をのぞき込んでくる。
 公務で使う端末だ、見られて困るものはなにもない。檜佐木は六車にも見えるよう、画面を傾けた。
 白とのやりとりの見出しが一覧表示された画面を流し見して、六車が小さく舌打ちする。
「白のやつ、しょっちゅう土産だの菓子だの、強請ってんじゃねえか」
「駄目なときは駄目と言ってますよ」
「俺の言うことは聞きやしねえのに……」
 ぼやく六車に「適度に甘やかしているからかもしれないっすね」と小声でからかう。
 檜佐木は、見ていいのだと知らせる代わりに、他の一覧も表示した。
 一番やり取りしている吉良。次に斑目と綾瀬川。阿散井。彦禰。山田花太郎の名前もある。
 表題にハートやキスマークを使ってくる松本の頼み事。
 簡潔な見出しが目立つ十二番隊の阿近。
 稀に挟まる、射場への電信。狼となった狛村の様子を尋ねてのやり取りだ。
 浦原商店との明細のやり取り。
 他にも、六車に詳しく話していない取材先の死神もいる。
「……ずいぶん、知り合いがいるな」
「こっちで取材関係の連絡もしてるんで、どうしても多くなるんすよ」
「吉良にメールしすぎじゃねえか?」
「そうですか? 一番仲の良い後輩ですし、俺もアイツのことは心配なんで……」
「斑目と綾瀬川とは、同期か?」
「年次は近いです。でも院で机を並べたことはなかったな……実技では、たまに組み合ってましたが」
「あいつら、流魂街の出だろ。話が合ったんじゃねえのか」
「俺は十一番隊に行けるほど、荒くれじゃないっすから。こう見えて、人相のわりに、優等生で……」
 六車の訥々とした問いかけに答えているうち、問答に厭きた六車が唇を重ねてくる。檜佐木は腹の底から腰まで、じわりと鈍い熱に火がつくのを感じ、手にした機械を横に伏せて置いた。
 今、六車がささやかな嫉妬と共に読み上げた、親しい人々に、こうしている時間があるのだと知られるのは、まだ気まずいのだった。六車にしか見せない顔があるという事実に、むず痒い羞恥がある。
 唇を離した六車が、檜佐木の左頬を優しく撫でる。
「俺と揃いの刺青をしといて、優等生はねえだろ」
「拳西さんは、院にいた頃、どんなでした?」
 吐息と囁きの合間に口づけ、口づけの間に問いかける。くすくすと小さくからかうような笑い声を交えて尋ねる檜佐木に、六車はもたれ掛かった体を離してから、長椅子に檜佐木の長身を押し倒した。
 檜佐木の浴衣の帯を解き、逆上せたようにほの赤い、痩せ気味の鍛えられた体を見下ろす。前髪越しに錆色の目がぎらりと閃いて、檜佐木の欲心を鷲掴みにした。
「んなの、決まってるだろ。不良だよ」
 そう告げてせせら笑った六車は、くわ、と口を開いて、檜佐木が晒す喉仏に容赦なく噛みついた。血色良く、敏感になった皮膚に六車の歯と顎の力を感じた檜佐木は、はあ、と熱い溜息を洩らす。六車の頭を抱き寄せようと動かした腕に押されて、避けてあった伝令神機がゴトンと床に滑り落ちた。

 

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