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お構いなしバースデー

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 現世のお盆シーズン、瀞霊廷は一年で一番の繁忙期を迎える。
 現世に残留する整の魂魄が、お盆の習慣に従って帰省という名の大移動をするのだ。帰る場所を持たない整は、全国各地の重霊地に引き寄せられ、ある者は迷子に、ある者は帰る場所のない淋しさに駆られて、場合によっては虚に転じてしまう。
 ともかく魂葬の手が足りない。かといって、瀞霊廷からすべての死神を派遣するわけにもいかない。尸魂界側は尸魂界側で、送られてくる魂魄の受け入れ体制を強化しなくてはならない。普段、討伐に専念する十一番隊、研究部署である十二番隊からも人手を出すくらいである。
 こういうとき、先発隊を引き受けがちな九番隊は、一番人手を求められる。
 八月十四日。
 三日間でも一番忙しさがマシな日だが、檜佐木は参っていた。瀞霊廷通信の、今月分の進捗が芳しくないのだ。任務の報告会を終えて九番隊隊舎に戻ってきたときには、夜番を割り当てられた最低限の隊士以外は、誰も残っていなかった。
 六車と共に執務室に向かうと、明日の隊首会で絶対に必要な書類だけ取りまとめる。この作業をもって、今日十四日の業務が終わる。
「それにしても、報告会が長すぎますって……」
「仕方ねえだろ。明日に向けての引き継ぎがあるんだ」
「解ってますけどぉ……」
 檜佐木は、隊首室にある執務机から立ち上がり、六車の机を見る。ちょうど最後の一枚に署名をして、書類棚に置いたところだった。これで、今日の業務でやり残した事はない。明日の隊首会の準備が出そろったのを見届けると、檜佐木はさっそく、隊舎の離れにある編集室に向かおうとした。
「じゃ、俺は編集があるんで。失礼します」
「……」
 挨拶された六車が、執務机からおもむろに立ち上がる。ひと休みもせず、編集室へ向かおうとする檜佐木に歩みよると、その襟首を片手でがっしりと捕まえた。
「おわっ!」
「どこ行くつもりだ」
「隊長! いや、校正待ちの原稿があってですね……」
 いきなり後ろから首根っこをつかまれた檜佐木は、六車より心持ち高い背丈を丸め、恐る恐るの顔で振り向いた。六車の険しい表情は、檜佐木の答えを聞くなり、さらに険しさを増す。
「あと一時間で日付が変わるのにか? 締め切りはまだ先だろ」
 檜佐木は無言で目を丸くする。
 六車が九番隊の隊長職に復帰して以来、編集部に関しては檜佐木に一任して自ら関わろうとする姿勢を見せなかった。よくわからない、という消極的理由だが、その代わりに檜佐木が担うべき副隊長の業務を一部肩代わりすることで、隊長として間接的に編集部を助けてきた。特に締め切りが近くなると、檜佐木から申告を受けて、手持ちの業務を引き継いできた。
 なので、檜佐木はてっきり、六車は編集部の予定を把握していないのだとばかり、思い込んできたのだ。
「締め切り、把握してたんですか?」
「そりゃあ……何年、お前から編集部の話を聞いてきたと思ってんだ」
 六車は拗ねたような憮然とした声で言い返す。檜佐木は首根っこをつかまれたまま、視線をちらっと明後日に向けて、確かに、と内心で納得する。
 瀞霊廷が復興してほぼ普段通りの生活に戻り、はや五年。あの大戦からもうすぐ十年になる。
 長いようであっという間の十年、檜佐木と六車の関係は上司部下の間柄から、大きく踏み込んで、年の離れた恋人同士といって差し支えない親密さを育んできた。決定的な告白はまだしていないしされてもいないが、言葉が不得手な六車は、そのぶん行動で愛情を示してきた。
 多忙になりがちな檜佐木を、乱暴な言葉で気遣いつつ手を差し伸べるのも、そのひとつだ。
「締め切り前は締め切り前で、どうせ大騒ぎになるだろ。盆の間は休め」
「それで間に合いますかね?」
「原稿のことはわからねえが、編集室に缶詰できるようにはしてやる。足りなきゃ必要な連中を引っ張ってってもいいぞ」
 六車の出した条件に、檜佐木の顔がぱあっと喜色で輝いた。
「本当ですか!? じゃあ、あとで今月の担当割、見直しさせてください。実は、筆力のある新人が編集部外にいて……」
「修兵」
 嬉々として配属変更の話を始める檜佐木に、六車が低く落ち着いた声で呼びかける。改まって名前を呼ばれ、檜佐木は口をつぐんだ。六車が襟首をつかんだ手を放すと、檜佐木は六車に向き直る。神妙な顔で見つめ返す檜佐木に、六車は叱るような諭すような、低い声色で言い含めてくる。
「今日はお前の誕生日だろうが。俺のときは、無理やり都合つけさせて盛大に祝ったのに、自分のは放ったらかしか?」
 照柿色の静かな眼差しに見つめられて、檜佐木はぐっと唇をかみしめた。それとなく視線を逸らして、気まずい態度でぼそぼそとつぶやく。
「……っ、忘れては、なかったんですけど」
「けど?」
「今年祝ってもらえると、思ってなかったんで。なにせ忙しい時期ですし」
 檜佐木は視線をうろうろさせながら答え、やがて目線を手元に落とす。苦い困惑に口元を軽くとがらせて俯く。妙に幼稚さの残る表情や仕草は、檜佐木が六車の言動に照れた時だけ見せる表情だった。
 どうやら忘れていたわけではないと解って、六車が鼻先で小さくため息をつく。
 檜佐木の誕生日を祝うのは一苦労で、特に恋人らしい関係性に収まってからは妙に意識してしまうらしい。ひどいときは、徹底的に逃げられて当日中に顔を合せられなかったこともあった。
「お前な。何年、このやり取りさせる気だ」
「うう……だって」
「だって、じゃねえ。それとも俺に祝われるのは、あれか。うっとうしいか」
 もしや、と六車は顔をしかめて尋ねた。
 祝おうとする気持ちが重たくてうざったいのでは、という不安は前々からあった。おめでとう、の一言がすんなり出てこないせいで、ひっ捕まえて席につかせてご馳走をふるまう、というルーティンを押し付け続けている。喜ぶ檜佐木の反応に嘘はないと思っていた。だが、気を遣って過剰に喜んでいたと言われれば、あり得ると思えてくる。
 六車の顔にかすかな不安がよぎる。彼らしくない暗い影を見とめた檜佐木は、はっとして、強く言い返した。
「違います!」
 そうじゃないんです、と言い募ってから、多少顔を赤らめつつ、まっすぐ目を見て答える。
「隊長に誕生祝いしてもらえるって思うと、仕事が、手につかなくなっちまうから」
「……!」
 そう言った檜佐木の顔が、見る間に真っ赤になっていく。六車はなんとも返事が出来ず、顎のあたりを掻いて、こそばゆい空気に耐えようとした。
 誕生祝いは六車の家で行うのが慣例になっていた。時期的に仕事終わりは夜遅く、夕飯をご馳走になる檜佐木は、当然の流れで、六車の屋敷に泊まって帰る。
 上司部下ではなく恋人として呼ばれ、たらふくご馳走を食べたあとに泊まるとなれば、ただ泊まるだけでは済まない。
 意外にも、誘ったのは六車の方からだった。というか、百年の現世生活で染みついた思考のくせが出たのだ。「恋人の家で誕生祝いをして泊まるならまあセックスもするだろう」。特に疑問なく、満腹でひと心地ついた檜佐木をそれとなく抱き寄せ、檜佐木も驚いたが抵抗せず――そのまま、檜佐木の誕生祝いの定番になっていった。
 六車は腕を組むと、真っ赤になったまま口を引き結んでしまった檜佐木を見つめる。
「嫌だったか? それなら、無理にうちに寄れとは言わねえ。だが、今日は重めの任務があったんだ。もう仕事はするな」
 六車は純粋に相手の過労を案じている。だが、その心配は見当外れだったらしい。檜佐木は真っ赤になったまま、解ってて言ってるでしょう、と言いたげな、恨みがましい目つきで六車を睨み返した。
「っ、嫌なわけ、ないでしょうが! うれしくて浮かれちまうから、意識しないようにしてるって話です! 解れよ、もう……!」
「――……、……おう。それなら、いいが」
「いつも俺のことエロガキとか言ってるくせに、こういう時だけ察し悪いのなんなんだよ……あれこれ考えて、期待して、だから、いろいろ困るんだって」
 檜佐木が、ぐっと両手を握りしめ、視線だけ俯かせ、まくしたてる。白い傷跡までうっすら色づかせ、しかめっ面になった人相は、とても愛嬌があるとはいいがたい。表情筋に力を籠めすぎて、物騒な人相になっているくらいだ。それでも、霊圧を通して期待ではちきれそうになっている内心がひしひしと伝わってくる。
 ――あんたからもらえるもんは全部、全部嬉しい。
 いつだかの夜に、檜佐木が口走ったうわごとを思い出す。爪を立てて背中を握りしめ縋りながら、檜佐木は六車の与えるすべてに溺れ、貪るように受け入れながらそう言った。あの心は今も変わらず――むしろ、期待している分、昂ぶっている。
 六車はにやつきそうになるのを堪え、いかめしく咳払いした。
(どんだけ可愛いんだよ、コイツ)
 手を伸ばして火照った頬を軽く叩くように触れる。ぴく、と肩をかすかにそびやかした檜佐木が、俯かせた目を上げて六車を見返した。 
「修兵」
 六車は、合図の代わりに呼びかけ、下から掬い上げるようにのぞき込む。
 以前は、自分より目線ひとつ高い檜佐木の背丈に舌打ちする妬ましさがあった。しかし今は、相手よりやや低い自分の背丈に感謝している。照れたり気まずくなったりするたび、あちこち逸らされて俯く視線を、簡単に拾い上げられるからだ。
 視線が合うと、檜佐木が引き結んだ口を少し開いた。拳西さん、と少し熱に浮かされた声が呼びかける。六車が両手で頭を引き寄せると、檜佐木はうしろめたさを残しつつも、重ねてくる六車の唇に口を開いて応じた。
 六車は万感の愛おしさをこめて、数呼吸分の間、檜佐木の体を抱きしめる。舌を絡めて甘噛みし、合わせた唇を吸う。こわばっていた檜佐木の体から力が抜けて、官能的な兆しに体の芯が柔くなっていく手応えがあった。
 檜佐木の両手が背中に回り、六車の隊長羽織を緩く掴む。縋る形で抱きしめ返してきた檜佐木に、六車は名残惜しさを堪えつつ、唇を放した。
 両手で檜佐木の顔を挟んで見つめると、念押しする。
「もう帰るな? そんで、うちに寄っていくな?」
「はい……、拳西さんのところに、帰ります」
 復唱する檜佐木の顔が、すっかり恋人の表情になっているのを見ると、六車はおもむろに屈んだ。きょとんとする檜佐木の長身痩躯を、子供を抱き上げるように腕に抱えて、抱き上げようと試みる。
「わ、わっ、待って、高い高い!! 高すぎる怖い!」
「んだと?」
「マジで!! つか、なんで抱き上げるんです!?」
「疲れてんだろ」
「そこまでは疲れてないんで、大丈夫ですっ!!」
 六車がむすっと口を結ぶ。そんな六車の腕の中で暴れた檜佐木は、勢い余って照明の笠に額をぶつけた。その様を見上げた六車は、自分の上背に檜佐木の上背が乗ればこうなるか、と内心で納得顔をした。
 檜佐木がこれ以上、頭をどこかにぶつけるのは不憫なので、仕方なく下ろしてやる。
「いてて……もぉ、無茶するなぁ」
 下ろされた檜佐木はほっと胸をなで下ろし、額をさすった。その様子を、六車がじっと無言で見つめる。
「……」
 言葉の足らない恋人の焦れる視線に、檜佐木は困った微笑を浮かべると、六車の片手を取って握りしめた。鋭利な面差しに蕩けるような笑みを浮かべながら、優しい声色で囁く。
「大丈夫です。逃げませんし、仕事に戻りません。今から俺は、拳西さんに祝われるための俺です」
「……なら良し」
 六車は自分の手を握る檜佐木の手を握り返す。指をしっかり絡めて組み合わせて握りなおすと、それを何と呼ぶか知っていたらしい檜佐木が、へへ、とくすぐったそうに照れ笑いを浮かべてみせる。
 六車は檜佐木の、強かにぶつけた額の、うっすら赤くなっているところに唇を押しつけた。わ、と小さく声を上げて檜佐木が咄嗟に目をつぶる。口づけされると思ったのだろう、待ちわびて強ばる顔を見た六車は、檜佐木の期待通り、唇に唇を軽く重ねた。
 六車は、執務室の扉を開けると、檜佐木から手を解かず、ほとんど人の居ない隊舎の正門に向かう。もし誰かと出くわしても、堂々と「これからコイツの誕生祝いをする」と言ってのけるつもりだった。
 そんな六車の胸中を読み取ったように、檜佐木は握られた手をいっそう強く握り返すのだった。

[end]

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