とっぷりとした深い眠りの淵からゆらゆらと意識が浮き上がる感覚。
檜佐木修兵は腫れぼったい瞼を何度か瞬かせ、ぼんやりと鈍い目覚めをおぼえた。
横たわった視線の先にある障子は、昇り始めた朝日のうっすらした光を遮り、寝室内はまだ薄暗い。
背中から胸元に回された逞しい腕。自分を抱きかかえるようにして眠る、上司で恋人の六車拳西は、まだ深い寝息を立てている。
檜佐木は昨夜の穏やかで長い情事をぼんやりと思い出し、反芻するように瞼を閉じた。
事後に二人で短い入浴をして、並べて述べた広い布団に横たわった後、檜佐木はすとんと眠りに落ちてしまった。なので、六車がどんなふうに寝落ちた自分を抱き寄せたのか、あるいは寝相が二転三転してこの格好になったのか、判らない。
確かなのは、目覚めかけの意識で感じる六車の穏やかな体温には、穏やかな情交よりも深い悦びがあった。檜佐木は目を閉じたまま、はあ、と耽溺の甘い溜息をつく。このままもう少し、とろりとした微睡みを貪っていたい、と思う。
しかし、檜佐木は一度目覚めてしまうと二度寝のしづらい体質だ。目を閉じていても、意識が瞼の裏で鮮明になっていくのを感じる。頭の中で朝食の献立を組み立て始めてしまうと、諦めて起きることにした。
そっと寝返りを打ち、六車と向き合う姿勢になる。六車の寝顔は起きているときより、眉間から力が抜けていて、険が取れた表情をしている。執務が暇なときに見せる、のんびりした表情を思い出させた。緩く閉じた唇からは、すう、すう、と落ち着いた寝息が聞こえる。
檜佐木はまだ乾いている目を何度か瞬きして、六車の寝姿を観察する。六車の厳つい体が深い呼吸で膨らみ、萎む様は、大型動物に似た愛らしさがあった。
急に愛おしさがこみ上げてきて、耐えきれなくなり、額に下りた前髪を指先でくすぐってしまう。
「拳西さん」
返事はない。檜佐木は構わず顔を寄せて、囁きかける。
「俺、起きたんで。朝ご飯作ってきますね」
そう言って起き上がろうと肘を突いて上体を起こす。すると、体に覆い被さっていた六車の片腕が、無意識の動きで檜佐木を引っぱり戻した。
起きようとした檜佐木を抱き寄せるだけでなく、額をすり寄せて鼻先を項に埋めようとしてくる。抱き枕よろしく自分を抱きかかえる六車の緩慢な動きに、檜佐木はひっそり忍び笑いを洩らした。多分、目覚めかけでぐずっているのだ。
昼間のしゃんとした出で立ちからは想像しづらいが、六車はわりと寝起きが悪い。
「拳西さん。朝ご飯作るんで、俺は起きますよ」
「…………ぅ゛……」
「ね、離してくれないと」
「…………まだ、……」
寝てろ、と言いかけた六車の口は、はっきり言葉を紡ぐ前にまた寝息を立て始めた。抱き寄せた檜佐木の体をごそごそとまさぐり、頭を抱き寄せた手が、くしゃ、くしゃと緩慢に髪を撫でる。
項に触れる息遣いがくすぐったくて、檜佐木は体を強ばらせて息を殺した。
「拳西さん?」
「……しゅうへぃ……」
呼びかけに呼びかけで応じられ、檜佐木は思わず破顔してしまう。
抱き寄せられて腕の下に閉じ込められたまま、六車の寝顔と鼻先を突きつける。覗き込んだ寝顔は、起きたくないと言いたげに眉間に皺が寄っていた。憮然とした寝顔を至近距離で見つめながら、檜佐木は頬を緩めたまま、口の中で名前を呟く。
「拳西さん」
呼びかけに、声で応じる代わり大きな手のひらが雑に、檜佐木の頭から項を探るように撫でていく。暖かい手のひらに首を緩く掴まれて、檜佐木はとうとう起きるのを諦めた。
(うまく二度寝できるかな)
もう意識ははっきりしてしまっている。それに、六車が起きるまで寝顔を見つめ続けていたい気持ちがした。
半覚醒の無防備な表情には、妙なあどけなさがあり、檜佐木の庇護欲をくすぐってくる。自分に庇護されるような存在ではないのは解っている。しかし、今の自分たちは上司部下ではなく、恋人同士だ。なら、相手を甘やかしたい気持ちになるのは、自然な流れだろう。
そう思えるほど、心も体も距離が近くなったのだと実感して、檜佐木の胸がじいんと熱くなる。
「拳西さん。俺、今すごく、しあわせです」
憧れであり愛おしい相手にそっと囁く。多分聞こえていないし、目覚めても覚えていないだろう。六車から返事らしい返事はなかったが、首に回された手がより強く抱き寄せようと動いて、覗き込む檜佐木の鼻先に鼻面がすり寄せられる。
「……しゅうへぃ……」
寝言の鈍い声で名前を呼ぶ六車に、檜佐木は唇の先で「はい」と応じる。六車から続きの言葉はなかったが、檜佐木には十分すぎた。皮膚に触れるか触れないかの近さで、半覚醒のまま浅い眠りを揺蕩う六車を感じながら、檜佐木は目を閉じてみた。
視界を遮ると、いっそう六車の存在感――息遣い、体温、霊圧を、体の隅々で感じ取れる。大きな存在感に包まれる、快さ。
(なんか、これ……寝ちまいそう……)
ふわ、と小さくあくびをする。全身から余計な力がふっと抜けていく。
そうして、檜佐木は何十年かぶりに、伸びやかな二度寝を貪った。
