bleach

夢だったらよかったのに

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 檜佐木は、寝苦しい夜明け前に、はたと目を覚ました。
 隣で眠る六車は熟睡しているようで、深い寝息を立てている。下りた髪が枕に押しつけられ、額のあたりにかかっている様を見て、檜佐木はそろっと微笑んだ。六車のこんな無防備な寝顔を知る者は、彼の盟友たち以外に自分ぐらいかもしれない、という優越感。
 檜佐木はうっすら汗ばんだ浴衣の袷を開いて、すぐ胸元に出来た噛み跡に気づき、慌てて袷を戻した。首裏のあたりにぴりびりと引き攣る痛みがある。鏡で確かめるまでもなく、六車が情事の痕を強く残したのだと解る。檜佐木は首裏をさすり、「痕は残さないっつったのに……」とぼやいた。襟のある服の上から死覇装を羽織ることもできるが、檜佐木の普段の格好と程遠くて逆に人目を引きそうである。痕についてどう誤魔化すのか、方便を考えながら、さりさりと後ろ頭を掻く。
 ――俺のものだからな。
 昼間に何かあったのか、昨夜の六車は普段の優しく慈しむ愛撫と違い、激しくねじ伏せるやり方で檜佐木を抱いた。熱のこもった声で何度も独占欲を耳打ちされ、体にも刻まれた。内腿を強く噛まれた時には、このまま腿を引きむしられるのでは、と怖れたほどだった。檜佐木の、勘弁してください、解ってますから、という訴えは無視された。六車の体温で、心も体もどろどろに溶かされて、檜佐木は途中で意識を手放してしまった。そうして今、ふと目が覚めたのだ。
「……夢だったらよかったのに」
 六車に激しく求められる夜を過ごすと、檜佐木は決まって呟いてしまう。半生をかけて憧れつづけた相手に想いが通じて、それどころか相手からも執着と言える強烈な愛情を傾けられ、心身共に結ばれているのだと痛感すると、現実が夢だったらよかったのに、と思う。
 叶った夢はいつか霧散してしまうかもしれない。
 手に入れたものはいつか失われるかもしれない。
 いつか――明日か遠い未来か、自分たちはなくしてしまうだろう。憧れは放物線だ。届いたあとは、ゆっくりと孤を描いて地に落ちるだけ。
(……それでも、いいんだ。今この瞬間を諦めるなんて、俺にはできねえよ)
 檜佐木は首裏につけられた痕を指でそっと撫でてから、眠る六車を起こさないよう静かに、隣に横たわる。
 六車の力の抜けた寝顔を見つめた。ゆっくりと寝返りを打って、体ごと檜佐木の方を向く。片腕が無意識に檜佐木を探して、肩に触れ、満足したように力が抜ける。修兵、と眠りの底から呼ばわる声に、檜佐木は少し目を見開いた。
 弱気と開き直りを見透かされた気がして、手のひらで目元を多い、ほろ苦く微笑む。
「ねえ拳西さん。俺、幸せになっちまうよ」
 檜佐木が苦しげに洩らす降参の言葉は六車に届かず、白々と明け始めた朝の気配が、縁側に向いた障子戸をかすかに光らせる。
 夜明けの這い寄る気配に、檜佐木は泣きそうな顔を腕で覆い、往生際悪く目を閉じる。
 後朝が去る気配に、六車はうっとうしげに顔をしかめ、瞼を瞬かせて目を開いた。

 

 

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