「今日で、テスラがいなくなって一年だね」
かつてテスラが使っていた椅子に腰かけたネリエルが呟く。椅子の上で膝を抱えて座る様は幼児じみて不格好で、ショートパンツから伸びる脚だけが大人の長さと曲線で出来ていた。俺は椅子代わりにしているベッドの上で、特に読む気もない雑誌を広げて、ヤツを無視した。
テスラが部屋を出て行ったきり蒸発して、それなりに時間が経っていた。どこかで死んだのか一人で好き勝手やりたくなったか知らないが、いなくなった奴のことなんていちいち思い返さない。テスラのヤロウがどうなろうと、俺の知ったことじゃない。
逆にネリエルは、テスラが戻らないと解った日から、ことあるごとに不在を話題にし、俺にあれこれ聞いてきた。行先に心当たりがないか、だとか、連絡しそうな知り合いはいないのか、だとか。そんなもん知るかと一蹴していたが、そのうちウザくなって、何を聞かれても無視するようになった。
テスラが戻らず一年といった。つまり、ネリエルが部屋に来て(奴はテスラから合鍵を渡されていた)勝手にテスラの椅子に座り、べらべらしゃべるか、一切口を利かないかするようになってから、一年経ったということだ。このクソ女が俺の視界で寛ぐ様を許して一年。自分でも信じられない忍耐だと思った。
「ノイトラ、テスラのことは心配じゃないの」
何度となく発せられた問いかけ。俺はいつも通り無視する。だが、訊いてきたネリエルの顔は振り向いた。
ミントグリーンの髪の間で、俯いた視線がこちらを向く。眼差しは何故と俺を強く非難していた。
「何故、テスラを探さないの」
(奴がどうしてようと知ったことか)
俺について回る犬のような陰、それがテスラだった。俺が落とす長い陰の端すら踏めないような奴だった。ついてこいと言った覚えもなければ、隣に控えてろと言った覚えもない。首輪のない犬がどこに行こうと、好きにすれば良い。そんな俺の態度がネリエルは納得出来ないらしく、こうして憂鬱なツラで前に現れては、「それでいいの?」と訊いてくる。
ネリエルが点けた、テスラの置いていったラジオから、夕暮れの怠いボサノヴァが流れてくる。異国情緒を垂れ流す機械をぶっ壊そうかと何度思ったか知れない。出来なかったのは、ネリエルが番犬よろしく大事に見張っているせいだった。
ネリエルは、テスラの置いていったものを一つたりとも欠けさせまいと、俺を見張っている。
「ねぇ、ノイトラ」
ネリエルが諦めのこもった声で呼びかけてくる。憐れみ、慈悲、気遣い。俺を見下す感情で包まれた声が、俺の神経を引っ掻いて苛立たせた。
「結婚しちゃおうか。私たち」
「あ゛?」
思わず声が出た。寝言にしてもヤツらしくない――クソ忌々しいが「らしい」「らしくない」の区別がつく程度には、絡まれ続けていた――、弱っちい言葉だ。内容以前に声からして反吐が出る、そう思って持っていた雑誌を投げ捨てる。壁を殴り、黙って睨み据える。
ネリエルの翠の目が、睨む俺を静かな憐憫をこめて見つめ返してくる。
「私たちどちらも、テスラに見捨てられたんだし、ちょうどいいじゃない」
それに、とネリエルが続ける。
「貴方ずっとテスラが側にいて、独りで生きるやり方、とっくに忘れてるでしょう?」
ザッ、とラジオにノイズが走り、呑気に鳴っていた音楽が掠れて途切れた。ネリエルの碧い同情が部屋の空気を染めていく。忌々しい空気に飲み込まれながら、俺は馬鹿馬鹿しさに口を利けなくなっていた。
忘れるもなにも、俺はずっと独りだった。
そんなもん、今更。
――ノイトラ様。
隣を振り向く。窓から差し込む西日で出来た俺自身の陰から、感情を殺した静かな声が呼びかけてくる。
正面に座るネリエルから、哀れむ微笑の音が聞こえた。
[了]
