その老人は九番隊に礼をしたいと流魂街からやって来た。
「先日、村を助けていただきまして……」
応対に出た檜佐木は、老人の言う先日がいつ頃なのか解らず、鋭い人相になるべく柔和な表情を浮かべて「わざわざ痛み入ります」とお辞儀をした。
大戦以降、虚の出現頻度や場所が以前とまるきり変わってしまい、ひっきりなしに出動する時期もあれば、閑古鳥が鳴くほど暇な時もある。今はめっきり要請も通報もなく、暇だった。ということは、だいぶ前の救難要請で出向いた村になる。
残念ながら、檜佐木は老人の顔を見ても何も思い出せなかった。
老人は、そういった事情は重々承知と言いたげに何度も頷きながら、紙袋に入れた菓子折を差し出す。袋には、庶民向けの菓子店の名前が書かれており、掛け紙の熨斗も安物だった。
檜佐木は包みを見た途端、言葉に詰まった。
幼い頃を流魂街で生き抜いた檜佐木には、この菓子折の価値が痛いほど解る。村総出で、どうにか金品を工面し、金子を持って瀞霊廷にやって来た老人が、やっと買えた御礼品の菓子折――箱の大きさからして、ありきたりの饅頭が五つほど入っているだけに違いない。
老人は恥じ入るように深々と頭を下げる。
「粗末なものしかご用意できませんでしたが、どうか、村の気持ちと思ってお受け取りください」
護廷十三隊とは、瀞霊廷のみならず尸魂界を護る盾であり矛である。力無い平民を庇護するために、死神として得た力を振るうと誓った集団だ。
だからこんな真似はしなくていいのだ。……とは言えなかった。僅かばかりでも感謝の気持ちを表したいと、村の総意が込められた菓子を突き返すのも、優しく断るのも、檜佐木には到底出来なかった。
「ありがたく、頂戴いたします」
檜佐木は紙袋を捧げ持ち、老人と同じく深々と頭を下げ、彼らの感謝に敬意を示してみせるしか、できなかった。
――という、特別な饅頭が五つ、隊首室に持ち込まれた。
いつの任務か解れば、功労者に振る舞うこともできるのだが、老人にいつ頃と聞いても曖昧にしか判明せず、何月何日というはっきりした日時は不明だった。御礼品の金品を揃えるのにそれほど苦労と時間をかけたということでもある。
檜佐木には、五つの饅頭が金塊より重く思えてならなかった。
(喉、通らねえかもな……)
しかし、受け取った以上は大事に頂くしかない。
隊首室に六車と白はいなかった。午前から仮面の軍勢による対虚訓練に講師として参加しており、昼過ぎまで戻らない。
うんと体を動かして帰ってくる二人にはぴったりの間食だと思い、檜佐木は給湯室に締まってある来客用の良い茶葉を探した。しかし、今日に限って一番良い茶葉を切らしていた。
今日の檜佐木は、ここ数ヶ月でいっとう暇というくらい、時間が空いている。席官数名に留守を預けて、瀞霊廷内の茶屋に急いで買いに出かけた。茶屋は隣の区画にあるので、九番隊隊舎から遠い。
いつも隊で飲む茶を買っている店で、いつも買っている上級煎茶の他に、八十八夜の前に詰まれたと銘打たれた新茶も買った。これは檜佐木の懐から支払ったので、明後日の昼飯まで握り飯だけになってしまったが、それでもあの饅頭には釣り合うまい、という気がした。
店で一番の銘茶を買う檜佐木に、店の主人がやや驚いた顔で尋ねる。
「奮発されましたな。九番隊に、どこぞの御貴族様でもいらっしゃるので?」
「いや、……ある意味、貴族様より有り難い方が来たよ」
はぁ、と店の主人は怪訝なまま相槌を打ち、包みを渡す。檜佐木は受け取ると、来たときよりも浮かれた足取りで隊舎に駆け戻った。
隊舎に入るなり、檜佐木の戻りを待っていたらしい隊士が「隊長とスーパー副隊長がお戻りですよ」と声をかけてきた。
「ありがとう」
会釈する隊士に手を挙げて礼を言い、まずは隊首室に向かう。
扉まで来ると、何やら言い争う声が聞こえてきた。
「駄目だよ、メッ! って言ってるじゃん」
「別にいいだろが」
檜佐木は慌てて扉を開ける。
「隊長、待ってください!」
バタン、と扉を開けると、饅頭の箱を空けた六車と、横から箱を覗き込みながら六車の片手を掴んでいる白とが、揃って檜佐木を振り向いた。
「ほら。しゅーへーの顔見なよ。絶対、勝手に食べたら駄目なやつじゃん!」
「そうです、隊長。その饅頭はですね……」
「中を改めてただけだ。修兵の断りもなく食わねえよ、ったく」
早とちりしやがって、と六車は舌打ちし、腕を掴む白をひと睨みする。だが、白には確信があったようで、六車から手は離したものの、檜佐木を振り向いて言い募ってきた。
「こんなこと言ってるけど、けんせー絶対食べる気満々だったからね! 五つしかないのに!」
「うるせえなあ」
白の訴えを鬱陶しげに振り払う六車の態度に、檜佐木は苦笑いした。おそらく、白の言い分が正しいのだろう。
「お茶入れてくるので待っててください。誰から頂いたのかも説明するので」
ひとまず饅頭の安否を確保した檜佐木は、買ってきた高級茶を淹れに、急いで給湯室に向かった。
甘く渋く香り高い煎茶を運んできた檜佐木に、六車が目を丸くした。香りだけでただの煎茶ではないと解る品に、檜佐木と饅頭をじろじろ見比べる。
檜佐木は来客があったこと、流魂街の村落を代表して老人が持って来た御礼品であることを、感情を乗せずに説明した。
「というわけで、いいお茶で頂きたいと思いまして」
「なるほどな」
檜佐木は茶請けの皿に饅頭を二個ずつ載せ、六車の執務机と、自分の執務机の横、白が執務机の代わりにしている袖机に置く。二個、二個、そして残る一個が、檜佐木の分だ。
当然の顔で一つの皿を自分の机に置いた檜佐木に、六車と白が目を合わせた。
「よーく味わって食べないと……緊張すんなぁ」
檜佐木は小さく独り言を呟くと、普段飲みつけていない高級茶で口を湿らせた。馥郁とした香りは目眩がしそうなほど強く、檜佐木は茶葉で酔っ払うという話を思い出す。自分は安物の煎茶で良かったかもしれない、などと思いながら、味わいに慣れようとする。
湯飲みではなく磁器の茶碗からゆるゆる茶を啜っていると、机の上にぬっと陰が差した。
「……?」
檜佐木が見上げる。と同時に、ごち、と軽く脳天を拳で小突かれる。見上げると六車が渋い顔で睨み下ろしていた。
「えっ、なに、なんすか」
「ったく、テメェはよぉ」
檜佐木は脳天を片手で押さえつつ、そろりと茶碗を置く。その間に、六車が手にした饅頭を目の前でぱかっと半分に割って、檜佐木の皿の上に置いた。
「えっ?」
檜佐木が皿と六車とを見比べる。が、六車は何も言わず、残り半分を持って自分の机に戻っていってしまう。
そうこうしていると、白が隣の袖机からにゅっと腕を伸ばしてきた。やはり饅頭のひとつをパカッと割って、檜佐木の皿に重ねて載せる。一個半、一個半、二個になったそれぞれの皿に、檜佐木が二人を交互に見やる。
「ちょっ、待っ……、なんで?」
「うるせぇ、黙って食っとけ」
「そーだよ。この中じゃ、しゅーへーが一番弱くて、一番年下で、一番お腹空かせてるんだからあ。ねっ、けんせー」
白がにこっと笑って、そっぽを向いた六車を見やる。六車は半分に割った饅頭を口に放り込むと、三度ほど咀嚼してごくりと飲み込んだ。薄い磁器の茶碗に注がれた銘茶を一息に半分飲んで、ぼそっと呟く。
「……俺ァ、そんな甘い物食いつけねえからよ」
檜佐木は目を丸くしたまま、二人を見やる。
ですけど、とか、やっぱり、とかいった言葉が口から出そうになって、檜佐木は慌てて熱いお茶を口に含み、溢れてくる言葉ごと飲み込んだ。
解らない。だが、解る。これは二人にとっての――六車九番隊にとっての、優先順位なのだ。
力で二人に及ばず、経験でも二人に及ばない檜佐木に、反論する資格はない。まだ資格をもらえていない。
檜佐木はしばし唇を噛みしめて俯いたが、やがて顔を上げた。悔しさと嬉しさを笑顔で押し包むと、皿を前に両手を合わせる。
「ありがたく、いただきます」
半分の饅頭を口に放り込む。飲みつけていない煎茶の味わいが舌に馴染む、皮の食感と餡の風味。空きっ腹に沁みる甘さ。檜佐木は二つ分の饅頭をしみじみと噛みしめ、味わって、食べ終えると、また両手を合わせた。
顔を上げると、六車も白もとっくに食べ終えていた。老人の感謝に対してふさわしい、気持ちの良い健啖だった。
白が隣から覗き込んできて、じっと檜佐木の顔を見つめる。檜佐木が「ありがとうな」と微笑むと、白は檜佐木を見つめてから、そっぽを向いたままの六車を見て、ニッコリと笑顔を浮かべた。
「けんせーってば、自分からやっておいて、照れてるんだー」
「……うっせえぞ、白」
[了]
