吸死

子守歌

吸死

 ミカエラは泥酔すると、すこぶる上機嫌になるか癇癪を起こして泣きじゃくるか、どちらかになる。稀に外に出て他の吸血鬼と交流する時は、乗せられない限りは度を超して飲まないので、ミカエラの酒癖を知っているのは兄弟だけだ。他の血族と社交の場で必須となる酒のマナーは、一族の者に叩き込まれたらしい。「らしい」というのも、ケンには躾された記憶がないからだ。一族の養育係から受けた教育についてミカエラは今でも言葉少なに語ろうとしない。ケンも、今まで一度も詳しく聞き出そうとしてこなかった。
 すべて、昔の話だ。今の拠点・新横浜では、どんなに外面良く暮らしていても、次から次へアクシデントとハプニングに巻き込まれる。意識の高い血族間で通用した礼儀や常識など、一切通用しない。飲んでも呑まれない心得の方が大事なのだ。それをミカエラに教えられる身内は、兄のケン以外に誰もいない。
 が、ケンは別にミカエラの酒癖を正す気はなかった。ビキニ一枚で酔いつぶれて路上に転がっていようと、ヒステリーを起こして手が付けられなくなろうと、好きにしたらいいと思っている。
「フフ……」
 斜向かいに座っていたはずのミカエラは、いつの間にかケンの隣に来て、酌を要求していた。羽織らされたケープに嫌がる素振りも見せず、上半身をもたせ掛けて、ふわふわと笑っている。素面だと「吸血鬼は発泡酒など飲まない」と言い張って、絶対にビールに手を付けないのだが、ここまで酔っ払ったら酒でも血でも何でも良くなる。普段は口を付けないビールの泡を、ケーキの表面でも舐めるように舐めている。
 反対の斜向かいに陣取っていた末弟のトオルが、苦々しい表情で長兄を見やった。
「ミカ兄、もう限界じゃん。寝室投げ込んでくれば?」
「そうだなァ~」
 今日は、トオルが考案した変わり種たこ焼きの試食会だった。ホラー・ホスピタルの限定メニューにしたいという。あっちゃんは友達と遊びたいというので、廃病院で留守番しており、兄弟水入らずの会になった。変わり種を吟味したのは最初の二回くらいで、その後はいつものぐだぐだした兄弟の飲み会に化けた。
 兄弟でひたすら下らない話をしながら交代でたこ焼きを作る会は、トオルの想像より明るく和やかに進んだ。最初のうちは「匂いがつく」と渋っていたミカエラも、焼く手際のよさを兄弟が適当に褒めたのが良かったのか、次第に乗り気になっていった。最後の方は、血とアルコールをちゃんぽんしながら、食べずにひたすら焼く係に徹していた。三兄弟はそれぞれにホスピタリティの高いタイプだが、ミカエラの献身はもっぱら、兄弟にのみ発揮されるのだ。
 腹がくちた後も、たこ焼きに限らずグルメの話をしながらだらだらと呑み続け、今に至る。ミカエラが機嫌良く酔っ払うのが久しぶりで、ケンもトオルもついつい、いつもより呑ませてしまった。
 トオルの空のグラスにぬるくなったビールを注いでやりながら、ミカエラは緩慢な口調で話しかける。
「お前は本当に良く出来た弟だ、一人でこんなに、たこ焼きの変わり種を考えて、商売に活かす頭もあって、私の自慢の弟だ」
 出来上がったミカエラは、普段のわざとらしい高飛車な口調ではなく、素の調子で喋っている。うんうんと一人で相づちを打ち、もたれているケンを振り向いて肩を掴むと、乱雑に揺さぶって喚いた。
「なあ、兄さん、兄さんもそう思うだろう」
 揺さぶられる勢いのまま、ケンが適当に頷く。トオルを見やると、緑茶割りのジョッキを傾けつつ、わざとらしくしみじみと呟いた。
「本当に、トオルはよく育ったよなあ~育てたのは俺だけどなあ~」
「育ての親ヅラやめろハゲ。ミカ兄は自立した後の話してんじゃん」
 絡む年長者たちにトオルが顔をしかめて、しっしっと手を振る。酔いの熱もあって素顔を晒しているトオルは、いかにも鬱陶しいと言いたげな態度でケンを睨むが、本気で嫌がる目はしていない。胸をふくらますような含み笑いを浮かべるケンに、トオルはそっぽを向く。
 ミカエラが、赤い目でトオルをまじまじと見据える。
「なんだよ」
「兄さんが育てたから、トオルはいい子に育ったんだぞ、兄さんにちゃんと感謝しなさい」
 神妙な調子で言い含めくるミカエラに、ケンがゲラゲラと笑う。トオルは次兄の顔を覗き込んで、泥酔ぶりを確認した。トオルの渋面を不気味なにこやかさで眺める目は、目線が合っているのに視線が合わない。ここがどこで今がいつなのかも、あやふやになっていそうだ。
「こりゃ駄目だ、マジで酔ってんじゃん。つうか、今の録音しとけば良かった。ケン兄を褒めてたって後で知ったら、ブチ切れそう」
「やめとけ、やめとけ。癇癪が大爆発して手が付けられなくなるだろ」
「絶対面白かったのに」
 肩をすくめて笑うトオルを、ケンが窘める顔で一瞥する。普段なら便乗して一緒にミカエラをからかい倒す長兄が、ご機嫌で泥酔する次兄をそれとなく庇っているのに気付いて、トオルは、ふーん、と目を細めた。
 うっすら微笑するミカエラを眺める。アルコールで靄のかかった視界に何を見ているのか。トオルはおもむろに身を乗り出す。ケンにもたれかかってビールをちびちび啜るミカエラの頭に手を乗せ、整った髪をわしわしと撫でた。普段なら可愛い弟でも、整えたオールバックを乱すのは許さない。だが、今は吸血鬼マイクロビキニではなく、トオルの兄ミカエラだった。
 頭を撫でる弟を怪訝に見上げるミカエラに、トオルがぽつりと尋ねる。
「ミカ兄、楽しい?」
「?楽しいとも。兄さんとトオルと、一緒にいるんだから、当たり前だ」
 ミカエラの返事に、トオルは撫でた髪をもっとくしゃくしゃにした。弟の乱暴な手つきを嫌がらず、ミカエラは目を閉じ、されるがままになっている。傾けたグラスからビールを溢しかけると、横からケンがグラスを取り上げてちゃぶ台に置いてやった。
 酩酊しているのか、うたた寝しかけているのか、ぐらぐらと頭を傾げている。ケンはぐらつく頭を引き寄せて、肩を貸して寄りかからせた。部屋いっぱいに、ソースと油、アルコールと微かな血のにおいが満ちている。ありふれた幸福ではちきれそうな部屋は、暖房もつけていないのに十分暖かかった。
 ミカエラがリラックスして、両手を投げだし、深々した溜息と共に全身が弛緩させる。寝入る一歩手前の状態で目を閉じたミカエラは、しばらくしてから、熱っぽい唇を微かに開いた。
 喉の先を微かに震わせて、低い声が鼻歌を紡ぎ出す。世界中で配信されている耳馴染みいい流行歌とは、律動も音階もまるで違う。この国でまず聞かない旋律だった。
 深い森の闇、寒々しい夜空の瞬き、荒野につけられた一筋の道、そうした景色が、ミカエラの呼吸と歌の合間から立ち上ってくる。緩やかで物悲しく、深い呼吸に似た抑揚が、かすれつつ、リフレインする。
 上機嫌で泥酔した時だけ口ずさむミカエラの歌は、トオルだけでなく、ケンにも馴染みない歌だ。それは、遠い昔に絶えた子守歌だった。
「今夜のミカ兄、ホントにご機嫌だね」
「……だな」
 酔いの間に間にだけ、景色を懐かしむように口ずさむ、ミカエラだけが覚えている歌は、いつでも兄弟の団らんをしめやかな空気にする。お開きの合図であり、次の黄昏まで眠りにつく潮時を知らせる歌なのだ。
「素面の時も、歌えばいいのにさあ」
 トオルが呟く。もう、ミカエラの鼻歌は終わっていた。代わりに、熟睡するゆっくりした寝息を立てている。ケンが、起こさないようにミカエラを引き離してから、腕を回して支え起こし、立ち上がった。促されるまま立ち上がったミカエラだが、ほとんど意識はない。これだけ深く眠っていれば雑に運ばれても解らないだろう。だが、ケンはいつもするような、荷物を運ぶ雑な担ぎ方はしなかった。
 手伝う気のないトオルが「転がしとけば?」と言うのを、ケンは「まあな」と曖昧に返事して聞き流した。ミカエラの歌でお開きになると、決まってケンは、らしくなくセンチメンタルになる。トオルはそれを知っているので、あえてさばさばした口調で呼びかけた。
「あっちゃん置いてきたし、俺は片付けて帰るよ。ケン兄は泊まってくの?」
「そうだなァ」
 応とも否ともつかない返事をしながら、ケンは和室を出た。片付けを末弟に任せて、洋室の並ぶ屋敷の廊下を歩き出す。
 この和室は、ケンが兄弟で団らんするのにあると便利だからと、嫌がるミカエラを説き伏せて強引に作らせた部屋だ。他はすべて洋室で、ミカエラの寝室と、使用人が使う部屋以外は、すべて空き部屋のままだ。和室を出ると、屋敷全体の寒々しさが一気に襲ってくる。
「だから広すぎんだって。暖房行き届いてねえじゃん」
 ケンのぶっきらぼうな声が廊下に虚しく響く。担ぐ弟の体は、バカみたいな薄着なのもあって、どんどん冷えていく。
 初めて屋敷に来た時、ホールのエントランス階段に佇むミカエラを見て、ぞっとした。押し込めたはずの記憶にある洋館とどことなく似た景色に、端麗な弟の姿があまりに収まりよく、うっすら絶望を覚えもした。
『ミカ。洋室ばっかじゃつまんねえだろ、和室作ろうぜ』
 まるで馴染みない様式の部屋を、ひとつ設けるだけでも何か変わるはずだと、根拠のない祈りに似た思いつきから、そう口走っていた。作らせるまでに、さんざん揉めて癇癪を起こされもしたが、ケンが強引な手を使うまでいかず、ミカエラは渋々了承し、十分な広さの和室を用意した。
 今になって思い返してみると、咄嗟とはいえ、悪くない提案だったように思う。兄弟がいる間は、ミカエラも合わないだのなんだの文句を言いつつ、和室で過ごすようになった。ケンやトオルが思い思いに持ち込んだ私物も、捨てずにちゃんと使用人に手入れさせている。あの部屋を自分の領域のひとつと認めて、愛着を抱いているのが伝わってくる。
 この土地に来てから、何事も、まあまあ悪くない。退屈せず、時々面倒で、幸福がほどほどの距離にある。
 眠りこけている弟を寝室に引きずっていきながら、ケンは苦笑い気味に独りごちる。
「酔ったお前が初めてあの歌を歌った時は、ちとビビったなァ。……そりゃあ、お前は覚えてるもんなあ」
 ひたひた、ずるずると、覚束ないふたつの足取りが夜気を踏み分けていく。静まりかえった窓の外にぽつねんと浮かぶ、深夜の半月はいつか見た形とそっくりだった。ケンは立ち止まり、ずり落ちそうなミカエラを担ぎ直す。
「あの歌、陰気で大嫌いだが、お前が歌ってんのは、まあまあ聞けるんだよなァ」
 無意識にか、肩に回した腕がぎゅっとケンの首に抱き付いてくる。ひんやりした弟の体を抱き支えるケンは、澄んだ夜の中にそっと吹き込む口調で、聞いていないはずの弟に囁いた。
「いつか素面で歌える日が来たら、兄ちゃんを寝かしつけてくれ。なぁ、ミカエラ」

 

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