kengan

修羅の庭

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 全治二週間と医者から診断結果を聞き、鷹山はせせら笑った。創傷や打撲なら医者の話など無視するが、骨ではどうしようもない。滅堂の護衛を始めて二ヶ月近く、老人は表の生活でもまあまあ物騒な目に遭いがちなのはよく解った。実業家として表で活動している時は問題ないのだが、裏社会寄りの事柄に少し首を突っ込むだけで、向こう見ずな襲撃者や逆恨みした連中の報復を受けるのだ。滅堂曰く『己が老いた証拠』だそうだ。
「拳願会を牛耳っとるのが気に入らんのじゃろ。儂がいなくなれば拳願試合が変わると思っとる野良の闘技者もおるようだしのう」
 ニヤニヤと面白そうに笑って語る老人を見た鷹山は、その噂の出所は滅堂本人ではなかろうか、と疑っている。老いて尚盛ん、火遊びが止められない老人なのだ。滅堂も長く奉公してその点はよくよく解っている。なので、危険が及べば身を投げ出して対処する。秘書としてはまだ至らない分、護衛として尽くすつもりで体を張ってきた。
 今回は滅堂老人ではなく、鷹山本人を狙ってきたらしかった。滅堂が王森と共に建物内に入り、外で一人待機しているところを闘技者崩れと思しき複数人に襲われた。多対一の闘いは鷹山の得意とするところだが、獲物を持った連中と徒手空拳で遣り合うのに無傷とはいかなかった。鈍器で腕を滅多打ちにされ、砕かれた拳の全治に二週間。悪くない戦績か、間抜けな勲章か、いまいち判断に困る。片方の拳が使えないくらい、護衛の任務に支障ないが、秘書の仕事は休まざるを得ない。
 今日はもう休んで良い、と滅堂に言われている。片手が使えないのでは出来る事も知れている。滅堂の屋敷にある医務室を後にすると、寝起きしているアパートの部屋に戻ろうとして、屋敷の裏口に向かった。
 途中の廊下に、加納アギトが佇んでいた。鷹山は行く手を阻んで立ちはだかった好敵手に、覆面の下で舌打ちする。明らかに、鷹山が医務室から出てくるのを待ち構えていた様子だ。無様な怪我を笑いにきたかと思いかけて、そんな真似をする男ではないと思い直した。かといって、同僚として心配するような性格でもない。普段から寡黙な加納が何を考えどう感じて動いているのか、闘い以外ではてんで解らない。スーツ姿で黙然と立ち尽くす様は、うら白い顔と表情のない目と相まって不気味だった。
 行く手を阻んでおいて無言の加納に、鷹山がぶっきらぼうに声を掛ける。
「なんだよ」
 加納は無言のまま、鷹山のギブスを嵌めた手をじろりと見た。
「多勢に無勢だ、これぐらいの怪我は仕方ねえんだよ。それとも、てめぇなら無傷で切り抜けられたとでも言いたいか?」
「お前を襲撃した連中は、御前が引き取った」
「あぁ?」
 加納の答えは会話としてさっぱり噛み合っていない。鷹山が怪訝に睨むと、加納の視線がギブスの上から鷹山の目元にゆっくり移動した。手以外、どこも欠損していないのを確かめる目は、何かのセンサーを思わせる。機械的で、有機的な温もりに乏しい眼差しだった。護衛としての能力を測定でもしているように思えて、鷹山はずいと歩み寄っていった。距離を詰めて加納の目を睨め下ろし、「何か言いたいことでもあんのか?」と凄む。
「忠道、大義だった。お前が御前の隣にいる間、私は安心して己の牙を研いでいられる」
「てめぇに忠義を労われる謂われはねえぞ。喧嘩売ってんのか?」
 低く吠える鷹山に、加納が沈着な目元を少し開いてみせた。驚いた顔を見せる加納に、鷹山の方が逆に戸惑った。しかし、今の言葉は嫌味や皮肉でなく加納なりの労いだとすぐに理解した。嫌味や皮肉で人を挑発する芸当をする男ではない。本当に、大義だと思って労い、おかげで自分は研鑽に励めると感謝しているに違いない。それがどれだけ悔しさを煽り立てるのか解っていない、事実が逆に鷹山を怒らせた。奥歯を噛みしめて黙り込む鷹山に、加納の視線がギブスと目元を交互に見やる。
「痛むか」
「別に。だいたい、テメェにごちゃごちゃ労われる筋合いはないだろ」
 鷹山が乱暴な口調で低く吐き捨てた。険しい目元を観察していた加納が、気が済んだのか身を引いて塞いだ道を開いた。鷹山はじろりと一瞥し、加納の前を通り過ぎていった。
 疵が痛む。ギブスをした手の方ではない、覆面の下の、口元の疵の方だ。
(クソ……見てろよ、すぐにそこから引きずり落としてやる)
 胸の奥で吐き捨てて、疵痕の古い痛みを奥歯の間ですりつぶすように、ぎりと噛みしめた。

 護衛者に返り討ちにされて路上に転がされたところで記憶が途切れている。目覚めると、ちゃんとした病室らしき場所で外傷に適切な手当を受けていた。病室には、襲撃の際に組んだ闘技者くずれの男たちもいた。どこかの病院の大部屋で、襲撃で返り討ちされた面子がまとめて手当を受けている。どこか奇妙な状況に、最初は混乱した。対応する看護士や医師に質問しても、彼らは回復に努めるようにとしか言わない。ある種の監禁状態だったが、満足に動けない状態では脱走もできない。
 やがて、完治までいかないまでも十分体が動かせるようになった頃、病室にいる面々は示し合わせて、不気味で快適な病院から脱走することにした。病室には窓もなく、他に病室がある様子もない、どんな建物のどこにいるのかも定かではない。だが、病室に出入りする人間は医療関係者だけで、他に患者のいる様子もない。一般人しかいないだろう医療施設なら、体さえ動けば追われても出口までは逃げ切れると踏んで、夜と思しき時間に病室を抜け出した。
 建物が通常の病院でないことはすぐに解った。監禁された病室を出ると、備品倉庫やロッカールームらしき部屋があり、後方には手術室もあったが、他の部屋はなかった。廊下の突き当たりには階段があり、そこが唯一の出入り口らしかった。今は怪我人の他に人はおらず、重く静まりかえっている。
 地上に出ればなにか解るはず、そう言い合って階段に殺到した。
 駆け上った先のドアは、施錠されていなかった。医療用の寝間着のままドアを開けて飛び出す。
「……?」
 リノリウムの暗い廊下は、左右と正面に続いていた。正面は上り勾配で明るい。まだ屋内の気配だが、広い場所に出られそうだった。進路をどうするかで揉めたが、左右の道は先が暗く地下から上がれる気配がない。選択肢はひとつしかない。ひんやりした手すりを掴んでゆるい勾配を上がっていく。先に見える明るさが人工的な照明なのは明白だった。誰しもが、何かひっかかりを覚えた。こういう通路をどこかで経験した気がしたのだ。おそらく全員、嫌な予感を抱いていた。が、他に出口に繋がる道はない。進むしかなかった。
 開けた場所に出る。
 男がいた。黒髪を撫でつけ、表情のない白い貌をして、ぴったりとしたバトルスーツに身を包んだ大男だ。鍛え抜かれた体躯は、闘いに臨む人間として完成されすぎていて、人造的だった。無表情の男は、地下から這い出てきた相手に向かって、静かに告げた。
「そこに貴様たちの得物に近い武器類を用意した。必要であれば手に取れ」
 逃げろ、と誰かが呟いたのが聞こえた。が、誰も足を動かせなかった。闘気にしては寒々しく、殺気にしては無色の、淡々とした威圧感が喉を締め上げてくる。背中を見せた瞬間、首をねじ切られる──そんなビジョンが全員の脳裏に張り付いていた。
「御前の命だ、生かして帰すと約束しよう。だが出て行くならば、武器を手に取れ。あの男にしたように、私に仕掛けてくるといい」
 無形の男に構えはない。しかし、すでに開始の合図が鳴らされたのだと誰しも理解し、戦慄した。相手が何者なのか誰もが解っていた。なのに、誰かが堪えきれなくなって、喘ぐように呻いた。
「滅堂の牙……」
 言葉にされ、各々の脳裏に浮かんだ絶望の形が、目の前の男の姿形に結実する。だがもう遅い。このバトルフィールドから、誰一人逃れる術はない。

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