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雛の見る夢

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 パーシヴァルが、ウッドワス卿の足音の話を聞いたのは、たまたま、屋敷で自分の部屋に戻る途中に、人間の小間使いたちがひそひそと噂話しているのをたまたま聞いてしまったからだ。
「急に足音がしなくなったと思ったら、……だなんて、ねぇ…」
「他の氏族の方のところで働いてる子に聞いたんだけれど、……だそうよ」
「まぁ」
「だって、牙の氏族なのに……なんて、おかしいじゃない?」
 潜めた声の間に混じる忍び笑い、声らしい声のない笑い方が、ざわざわと耳障りで、あまりに不快だったので、パーシヴァルは手に持っていた鍛錬用の棒を廊下に倒してしまった。棒術の鍛錬に、まず重さに慣れるところから。姉に等しい、美しい人はそう言って微笑んだ。ようやく持ち上げ、振りかぶれるようになったパーシヴァルが、棒きれをうっかり取り落とすわけはないのだが、取り落としてしまった。
 まめの出来た手から放れた棒きれの転がる音は、がらぁん、と人気の無い廊下に響き渡った。
 物陰にいた小間使いたちは飛び上がった。慌てて振り向き、パーシヴァルを見留めると、胸を撫で下ろす。
「君、知ってるよ。ここで育てられてる、──の代わりに為るかもしれないんでしょう?」
「今の話は内緒よ、誰の耳にも入れたら駄目よ」
 苦笑いする小間使いたちの目が、やたら自分の顔立ちや体格を観察してくるので、パーシヴァルは慌てて手放した棒きれを拾い上げた。返事は出来なかった。──の代わりになる子たち、という噂は、姉に等しい人も、父に等しい人も否定していたので、パーシヴァルにとって「解らない」ことだったし、誰の耳にも入れたらいけない話なら小間使いたちも知らないはずで、だから内緒の話ではないと判断したからだ。
 だんまりのパーシヴァルに、小間使いたちは肩をすくめた。仕事途中なのだろう、買い物籠を提げて、ひそひそ耳打ちし、笑いながら立ち去っていった。
 ──の代わりだなんて!妖精が気まぐれで育ててるだけなのに!
(内緒話というのは、廊下の一番向こう側にいても、聞こえてくるものなんだ)
 美しい、姉に等しい人の囁きも、庭の端と端にいても聞こえる。それは夕暮れ時の気持ち良い涼風に似て、パーシヴァルの焦り藻掻く心を撫でてくれる響きをしている。あの小間使いたちのひそひそ声はモースたちの不吉な臭いのように、胸の奥がざわざわして落ち着かない。ひそひそした響きが風に混じり漂った挙げ句、一番耳に入れたくない人を掠める未来が見えるかのようだ。
 不吉さが、寒気になって背筋を這い上っていった。パーシヴァルはぶるっと身を震わせてから、慌てて首を振る。
「夕飯を貰ってこなくちゃ」
 たくさん汗をかいた後は、水と穀物と塩を取るように、人間なら肉を食べるのも良いだろう。姉に等しい人の言いつけは、パーシヴァルにとって絶対だった。パーシヴァルは疲れた体を、ぎくしゃくと、木組みの人形のように動かして厨房に向かう。今日は屋敷の別棟に賓客が来るとかで、厨房で直接夕食を受け取ることになっていた。
 厨房は無人だった。が、テーブルにナプキンをかけた大皿が置かれていた。パーシヴァルの夕食用に、厨房係が準備しておいたものに違いない。ナプキンのかかった皿を見ただけで、みぞおちあたりから盛大に音が鳴った。パンと、まるごと蒸かした芋と、塩漬け肉。思い出して、口の中に生唾がこみ上げてくる。パーシヴァルは棒きれを棚の横に立てかけると、そそくさと歩み寄った。
 ナプキンをめくる。パンが半切れと、塩をまぶした肉。芋は、ひとかけだけ。
「残念……」
 呟いてから、パーシヴァルは肩をすくめる。ありつけるだけ十分に幸せなのだ。このパンのひとかけ、肉のひときれも味わえないまま、ここから追い出された同胞がいた。慢心への自己嫌悪はすぐ空腹に塗りつぶされそうになる。首を振って、皿のパンを掴んで頬張った。乾いた口の中で、水気のないパン生地がぎゅっと唾液を奪い取っていく。ぱさぱさになった口の中で、固くて、ざらざらとしたパン生地を噛みしめる。
 そのうち、どうしてもうまく飲み込めそうにない気がしてきた。無理に嚥下しようとすると、喉を詰めそうな予感がする。
 パーシヴァルはコップを探して、皿の周りを見回した。噛みちぎれなくて固いパン生地を、うっかり丸呑みしないよう用心しながら、コップを探す。ポットでもいい。水を汲める食器を探す。が、どういうわけか、普段あるポットも木のカップも、ボウルもない。なんというか、厨房全体がすっきりと片付けられてしまっている。パーシヴァルは慌てた。空腹のあまり卑しく齧り付いた一口が大きすぎたせいで、パンを喉に詰めて倒れそうになるなんて!
 あたふたと振り回した腕を、しっとりと固く柔らかな感触に握りしめられた。目の前に、優美なティーカップが差し出される。パーシヴァルは考えるより先に飛びついて、薄い陶器の縁に口を付けた。温く芳しい紅茶を、味わう余裕もなく、パン生地と一緒に飲み干す。喉の入り口でごくりと危うい嚥下の音がして、パーシヴァルはほっと息をついた。
「何をしているのだ、お前は」
 真後ろから響いた声に、恐る恐る振り向く。豊かなたてがみをいつもよりずっと細かく編み込み、装飾をあしらったウッドワスが、解るほど呆れた目つきで見下ろしている。そこでパーシヴァルは、自分がウッドワスに半ば抱えられているのを知った。パーシヴァル自身が思っていたより、もっと激しく藻掻いて、暴れていたようだ。恥ずかしさで耳の後ろまで真っ赤になるのを感じ、パーシヴァルは言い訳すら出来ずに黙り込んだ。
 ウッドワスの視線がパーシヴァルから厨房全体に移り、一巡する。
「慌てて礼儀作法もなく齧り付くから、喉を詰めるのだ。まったく、野蛮な……」
「す、すみません」
 ウッドワスの不興を買ったと思い、パーシヴァルはあたふたと向き直って、深々と頭を下げた。その頭を、大きな手がぽんと叩く。部下を叱責するときの打擲と比べものにならない、愛玩する手つきだった。あるいは、至らない子を叱る親の手つき。パーシヴァルはますます顔が熱くなるのを感じる。今度は、居たたまれなさからではない。
「そんな事では、お前をオーロラに紹介することもできん。鍛錬に励むのは当然、ゆくゆくは、テーブルマナーなどの礼節も身につけてもらわねばな」
「はい」
 恥ずかしさで項垂れたまま顔を上げられないパーシヴァルは、正面に立つウッドワスの足先を見つめた。姉に等しい彼女の脚とはまた違う、牙の氏族特有の優美でしなやかな脚、その足先が音も無く厨房の床を踏みしめて、台所の前に移動していく。
 パーシヴァルは顔を上げる。ウッドワスは、彼にしては少々天井の低い台所で、棚からポットと茶葉を出して、紅茶を淹れようとしていた。
 彼がそんなふうに尽くすのは、賓客が来ている時に限る。
 それで、パーシヴァルは解ってしまった。さっき自分が飲んだのは、客が口をつけないまま温くなってしまった紅茶だったのだ。ウッドワスは大事な客のために、手ずから新しい一杯を淹れなおしに厨房を訪れただけなのだ。だから、ウッドワスはもうパーシヴァルに関心を向けていない。ポットで湧かしている湯加減に意識を集中している。パーシヴァルが知る服装でも一番上等の服を着込んで、毛並みを整え、無粋な足音がしないよう爪先を削ったウッドワスは、見るからに上機嫌だ。
 パーシヴァルは、背中に向かってもう一度お辞儀をすると、皿にナプキンをかけ直して抱え、そろりと立ち去ろうとした。
「おい、お前」
 背を向けたまま、ウッドワスが呼びとめる。パーシヴァルはぎくりとする。
 賓客をもてなす庭にまで、小間使いたちの耳障りな囁きが届いていたなら、彼女たちの忍び笑いがたてがみから覗く耳に触れてしまっていたなら。
 そんなのは妄言だと、つまらぬ噂だと、取るに足らぬ中傷だと、打ち払うための得物を、パーシヴァルは持っていない。手にしているのは、今日生き抜くためのパンと肉だけ。自分のことだけで手一杯の有様に、この皿を投げ捨てられたらと震えた。悔しさと情けなさ、どっちなのか解らない。解るのは、自分がただただ、弱い、ということだけ。
「それを食うなら、水がいるだろうに。さっきの有様をもう忘れたのか」
「えっ」
 きょとんとしたパーシヴァルに、ウッドワスが鼻先から長い溜息をついた。
「そら、持っていけ」
 ウッドワスは振り向くと、空いたボトルに半分ほど汲んだ水を差し出してきた。白銀のたてがみが、厨房の小窓から差し込む西日できらめていてる。鍛錬の疲れと自責の念に打ちのめされた体に、優しく降り注ぐ木漏れ日のようだった。ウッドワスの理知的であろうと努める目が、狼狽えたままだったパーシヴァルの心を冷やし、平静さを取り戻させた。
 しっとりと濡れた手からボトルを受け取る。ありがとうございます、と力をこめて応えたつもりなのに、嬉しさに震えて力の入らない声になっていた。パーシヴァルを一瞥したウッドワスは、火に掛けたポットを見やったまま、呟く。
「お前が、我が氏族の者だったならな」
 独り言の真意は、パーシヴァルには判らない。ただ、非力な自分のままでは、この人の懊悩の、欠片でも肩代わり出来ないことだけ、はっきり理解できた。
 理想のために誇るべき爪ですら削る彼の強さに対して、生きるだけで精一杯の自分はどれほど非力で無力なのだろう。
 でも、せめて。必ず、いつの日か。
(貴方の矜持の欠片でも守れるほど、強くなれたら)
 後ろ姿を見つめて立ち尽くすパーシヴァルの視界で、ポットの下の火が、不幸せな巡り合わせをほのめかすように、ちらちらと揺らめいていた。

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