地元のスーパーで安売りしてた菓子パンが、今日の昼飯。世に呪いは数あれども、金ばかりは如何ともしがたい、祓えども祓えども猶わが暮らし楽にならざりじっと手を見る。
「甘いパンより惣菜パンのが良かったけどなァー」
売り切れへの細やかな呪詛を天に向かって呟く。こういうのも天に唾吐くうちに入るんだろうか。
七海さんとの合流場所、某駅前ロータリーには凝った植え込みとベンチを並べた小公園みたいなのがあった。俺は、割と目に付く位置にあるベンチに陣取って、七海さんが来るのを待っている。七海さんは時間に正確なので必ず五分前には到着する。今は、集合時間二十分前。あと十五分もある。
さもしい昼飯をさっさと腹に押し込み、コーヒー牛乳のパックをほとんどひと息で飲み干した。腹はくちた、決戦まで一時間二十分、ただし渋滞に捕まらなければの話。
「やっぱ一個じゃ物足りねえー」
バス、乗用車、バス、タクシー。回遊する車の音、ロータリー中央を横断する人々の足音、埃に紛れる下級の他愛ない呪霊たち。非呪術師の生活動線が集まる場所は、呪いの芽が立ち籠めて、いつだって煙たい。天気はいいが、排気ガスと呪霊が入り交じった淀みが足元から立ち上っていて、薄ら暗い。
あんまり気持ちのいい景色じゃなかった。全然、眠くはないけど、目を閉じる。
「居眠りですか」
「へっ」
降り注いだ声に、間抜けた声を上げつつ顔も上げた。目を閉じて体感数分だったのに、五分前集合がポリシーの七海さんが、もう、目の前にいる。
「俺、居眠ってました?」
「端から見ればそのように見えました。お疲れですか」
「いや、そんなことないっス。絶好調っスよ」
三分目の空きっ腹を抱えて居眠りなんて恰好がつかない、意気揚々ベンチから立ち上がろうとしてみせる。七海さんにちょっとでも不信感を持たれたくない。意気込んで立ち上がる俺とあべこべに、七海さんはベンチの隣に腰を下ろした。
「迎えが来るまで、まだ十八分あります」
「えっ」
「私も早く着いてしまったんです。ああ、勘違いさせましたか」
「いや、あ、そうすか、そんなら俺も」
意気込んだ拳のやり場に困って、中途半端なファイティングボーズそのままに腰を下ろす。
七海さんの静かでどっしりした存在感がすぐ隣にある、手応えに鼓膜がざわつく。これは七海さんの呪力量を感知しての鳥肌か、至近距離にある七海さんの心身に高鳴ってるのか、もうよく解らない。解るのは、あと十八分、七海さんが俺の隣に座っているという未来。
七海さんの視線が、俺の手元に向いた。さっき食ったパンとコーヒー牛乳のゴミを詰めて丸めたコンビニの袋だ。あ、そうだよな。迎えの車に持ち込むのはなんか、アレだよな。
「捨ててきます」
貴重な十八分の数秒を手放す惜しさで、尻の裏が剥がれるかと思う、それくらい腰が重くて気持ちも重くなった。いや、戦いに赴く前のマイナス思考は良くない、呪いどもにつけいる隙を与えやすくなる。というか、五分前が十八分前になった幸運の前に、ゴミ箱までのほんの数秒、誤差の範疇じゃないか。
すぐ近くにあったゴミ箱に走って行って、駆け戻り、そそくさと七海さんの隣に腰掛け直した。俺が行きつ戻りつしたことに関心なんてあるわけなくて、俺が隣に腰掛けても、七海さんは真正面を見据えたまま無言だ。俺は、そろっと整った横顔を見る。
会話が弾むシチュエーションじゃないのは、百も承知だ。口数の多い人じゃないし、「労働はクソ、呪術師もクソ」が信条だそうなのでこれからの時間だってなんにも面白くも楽しくもないわけで。
「猪野君」
「ひゃいっ!?」
唐突に呼ばれ、七海さんの気配に聞き耳を立てつつ考えに耽っていた俺は、またしても素っ頓狂な返事をしてしまった。眼鏡越しに、七海さんの冷ややかな視線を感じる。落ち着きのない奴だと失笑されるかもしれない。信用を損ないませんようにと祈る気持ちで振り向くと、七海さんは淡々と問い掛けてきた。
「昼はちゃんと食べましたか」
「あ、はい。さっき菓子パン食いました、ぱぱっと」
「それは感心しませんね」
俺のさもしい昼飯に難色を示し、七海さんは短く嘆息した。そうっスよね、冴えない昼飯だと俺も思ってます。と元気に同意するのもなんか違うし、豪華な飯が食いたいっスね。と返すのもなんか違うし、俺は「なはは…」とか力無く笑ってごまかすことしか出来なかった。
淡々とした七海さんの、揺らがない呪力、揺らがない表情。ここにいるが俺でも別の誰かでも、同じ話題を振ったんだろうか。
七海さんが、持参したビジネスバッグの中を探り出し、中から紙袋を取りだした。
「このあたりに来る時、私が買いによるパン屋のサンドイッチです。明日の朝にと思って取って置いたものですが、どうぞ」
「!もらって、いいんですか?」
「ええ。猪野君が仕事中、空腹に気を取られる方が私にとって望ましくない」
紙袋を受け取り、中身を覗く。野菜やチキンやチーズ、ぎちっと具材が詰まった、ゴマ入りパンに挟まれたサンドイッチは、いかにも七海さんの朝食に似合う彩りとボリュームで、俺は無意識に唾を飲んだ。開けた紙袋の口を、大事に大事に閉じる。こんなの、勝利の味にしたいにきまってる。
「食べないのですか」
「仕事終わりに、とっといてもいいですか?すごく、その、美味そうなんで、ご褒美にしたいっつうか」
「……それでは、差し上げた意味がないじゃないですか」
七海さんがまた小さく溜息をつく。これは間違いなく、呆れられてる。でも、咎める風でもない。仕方ない、と許容された感覚があった。七海さんの重く静かに据わった気配が、揺らいで、呪力のたわむ手応えがあったような気がした。
俺は隣の七海さんを振り向いた。
七海さんの面持ちは、ニヒリズムの漂う淡々とした表情で、喜怒哀楽の全部がフラットなままに見える。俺を見ていない。
けど、多分、確かに。俺のどうしようもなさを、ちょっと笑っていた。
[了]
