kengan

my junk is you

kengan

 テレビ横のデジタル時計が深夜の十二時を示し、日付表示が変わる。
 鷹山は意味もなく付けたテレビを消すと、だらだらした晩酌を切り上げた。帰宅してすぐ、ルームウェア代わりにしているポロシャツとデニムスラックスに着替えたが、頭の中は仕事中から切り替えられていない。明日午前締め切りの仕事を持ち帰っていて、いい加減片付けなければならない。カレンダー上は休日でも、鷹山のタスクは山積みだ。検眼試合の調整を列堂と三朝でやってくれるようになり手は空いたが、それも束の間だった。今は踏ん張り時と観念している。主・滅堂のために奔走してきたが、それもようやくひとつの結果を出せそうだった。
 鷹山の身丈に合わせた大型のデスクに置きっぱなしのラップトップを開き、電源を入れる。さてと腰を据え、タッチパットに触れると、インターホンが鳴った。一度鳴って、それから鍵を開ける音が続く。部屋の合鍵を渡してある人物は少ない。続く足音で誰が来たのか察し、鷹山はドアに背を向けたまま、仕事を続けた。
 来訪者はリビングを経由し、仕事デスクのある寝室のドアを控えめに開ける。鷹山が起きているのを確認すると、隙間だけ開いたドアを遠慮無く全開にした。
「起きていたのか」
「仕事だ」
 振り向きもせず返事をする鷹山の耳に、ビニール袋の中で缶がぶつかり包装紙が擦れる音が聞こえる。来客は無言で立ち尽くしたまま、動く気配がない。リビングで寛ぐなり部屋に入ってくるなりすればいいのを、鷹山のちゃんとした応答を待っているのだ。
 仕方なく振り向くと、逆光のせいで表情はよく見えなかった。だが、棒立ちの輪郭から落胆の気配が伝わってくる。雄弁な影法師に鷹山は素顔を向けて、はっきりした調子で呼びかけた。
「あのな。何時だと思ってんだ、仕事がなくても晩酌は終わってる」
「そうか、……もっと早く来るつもりだったのだが」
 珍しく弁解めいた調子を隠さず訴えてくる、加納の声に鷹山は片眉を釣り上げた。ドアの境にたたずむ加納からは、異国情緒を思わせる独特の香辛料の香りが漂ってくる。鷹山は改めて加納を見やると、手に提げているビニール袋を見た。袋の中身から漂ってくる、甘く香ばしい匂い。加納の土産が、コンビニで買える乾物のつまみでないのは確かだ。外で誰かと──いや、複数名だろう──飲んできたに違いない。
「煉獄か?拳願会か?」
「両方いたようだ。今日は人数が多かった。だから解散も遅くなった」
 本当はもっと早く来るつもりだったのに、と語尾に滲ませて口を噤む。加納の雄弁な沈黙に、鷹山はタッチパットをいじる手を止める。
 こんな夜更けに押しかけた事を、加納自身も少し後悔しているのだろうか。鷹山はそう思い、逆光の奥の表情をどうにか見極めようとしたが、見分けられなかった。
 誰かと飲んだ帰りに立ち寄るのは、かなり以前から、珍しくなくなっていた。
 煉獄と拳願会が統合してからそろそろ二年になろうとしている。その間、加納も新しくなった拳願会に貢献する形で、滅堂への報恩を続けている。どんな形で貢献するかは、すべて加納が選択して決めてきた。その過程で人間関係も広がり、日銀と無関係の人間と交流する機会も目に見えて増えた。
 鷹山が情報としてしか知らない誰かを、加納が一個人として深く知っている。最近はそんな状況がよくある。
「なんでもいいが、栄養管理はちゃんとしとけよ」
 鷹山の忠告に、加納は寝室に入るでもリビングに陣取るでもなく、立ち尽くしたままで答える。
「これは先方が土産にと持たせてくれたものだ。鷹山と食べようと思って、手を付けていない」
「じゃあ明日食うから、冷蔵庫にでも入れとけ」
「飲酒も控えた。今はしらふだ」
「そりゃ、見れば解る」
 だいたいお前酔わないだろ、と言いかけた鷹山だが、はたと気づいて口をへの字に歪めた。手土産を貰って自分と晩酌出来るように、加納自身は飲まないビールを買い足し、遅すぎただろうかと思いつつも、えっちらおっちらやって来た。着いたのは日付が変わる深夜で、相手は飯も酒も終えて仕事をしている。話しかけても雑な答えが返るばかり、仕事から意識を逸らさず、まるで迎え入れる素振りを見せない。
 今更、「泊まっていけ」の一言が欲しくて寝室の前で逡巡する間柄ではない。それくらい加納も解っているだろう。解っていても、何のサインも寄越さない態度でいるのは、だいぶ意地が悪すぎる。
 そんなつもりはなかったが結果的に加納を不安にさせるなり不機嫌にするなりしてしまったと気づき、鷹山は苦虫を噛んだ表情を浮かべる。遅きに失すると思いつつも、寝室の中に目配せした。
「泊まってもいいが、俺はコイツを片付けなきゃならん」
 加納は無言のまま、こくりと頷く。鷹山から欲しかった返事を引き出して、ようやく戸口から動いた。
 リビング側の光を遮る巨体が退くと、こうこうとした照明の下で、片付けていないテーブルが浮き上がって見える。一応、寝室の照明も付けていたが、加納のいるリビングの方がより明るく見える。不思議な光景だった。明るい場所にいる加納は、欲しい答えを握りしめてあからさまに満足げだ。
 冷蔵庫を開け閉めする音がして、加納がまばゆいリビングを通り過ぎていく。バスルームに向かう足音に、鷹山は「タオルは勝手に出していい」と声を掛ける。
「わかった」
 加納の返事はドア越しなのにはっきりと聞こえた。端で聞けば抑揚に乏しい無感情な応えだが、鷹山には十分上機嫌の声に聞こえる。
 しばらくして、風呂を追い焚きする給湯器の物音が、静まりかえった空間を通して聞こえてきた。 

 鷹山は加納が風呂に入っている間に、終わりのめどが立つくらいまで仕事を進めるつもりでいた。が、表形式の細々したデータを確認している間に、バスルームのドアが閉まる音が聞こえた。ドライヤーの音はなく、代わりに重量のわりに静かな足音がして、さっきと別のドア──バスルームに繋がる廊下と繋がるドアが遠慮なく開く。
 振り向こうとした鷹山の背後に加納が歩み寄る。肩を掴み、椅子ごとぐるりと向き直らせた。加納は、とんでもなく高温の風呂が好きで、おまけにそこそこ長風呂だ。やや離れていても、茹で上がって上気した肌から熱気が伝わってくる。椅子に座ったままの鷹山が見上げると、熱湯風呂でじんじんに熱くなった手が首を緩く握ってきた。加納の皮膚は赤く火照っているが、僅かに滴る水滴はもう冷め始めている。
「髪はちゃんと乾かしてこいよ」
「拭いてくれ」
 睨め上げて叱る鷹山に、加納は肩にひっかけてきたバスタオルを掴んで突きつけた。面倒くさそうな溜息ひとつ、鷹山はベッドに目配せする。指図されるがまま、大人しくベッドに腰を下ろした加納に歩み寄ると、頭をバスタオルでくるんで、雑に引っかき回してやる。大きな手でぐしゃぐしゃに撫で回されるのを楽しむように、加納はかすかに項垂れた姿勢のまま、びくともせず黙っていた。
 頭を委ねる感触に甘えたな手応えを感じ、鷹山は鼻を鳴らす。額を拭い上げるようにして前髪をかき上げてから、手を離した。
「あとは自分でやれよ」
 鷹山が途中で投げ出す素振りを見せる。加納が、離れようとする鷹山の手を掴んだ。本気の力で引っ張り、ベッドの上に引き倒す。何の身構えもなかった鷹山はあっけなくマットレスの上に転がり、上体を起こす間もなく、重量ある裸体に飛びかかられる。
 寛いだ空気が一瞬、ぴんと張り詰める。素早い身のこなしでマウントを取った加納は、両脚で腰を押さえつけ、タオルを被ったまま鷹山を見下ろした。鷹山は文句を言いかけ、口を噤む。微かに笑いの呼吸を聞き取った。逆光で影深い加納の表情を探ろうと手を伸ばし、垂れかかるタオルを跳ねのける。
 加納は、うっすら笑っていた。ほろ酔いの上機嫌を思わせる微かな笑みだ。伸びてきた鷹山の手を取って頬を押し当て、そのまま手を掴んで、腹からみぞおちあたりに滑らせていく。胃のあたりをさするように促しながら、まったりと緩んだ声で、ぽつぽつと呟いた。
「今日は成島光我の鍛錬に付き合っていた。鍛錬のあとに昼食に誘われて、ハンバーガーを食べた、完全なジャンクフードだ。その後、何故か成島光我の呼ばれた会にも連れて行かれた、私だけでなく、何人かの闘技者たちがな。道中で人数が増えたように思う。私は飲酒しなかったが、あまり食べ付けていないものを、満腹になったあとまで食べた。不思議なほど腹に入った。料理か場の空気か解らないので、食べた料理を持ち帰らせてもらった、鷹山と食べれば、また違った感じが、もっと旨いという感覚が、得られると思った」
 つらつらと一日の出来事を報告しながら、加納は鷹山の手で胃袋のあたりを何度もさすらせる。触れている肌が次第に湯冷めして、うすら冷えていくのを感じ、鷹山は下敷きにした布団を被らせるべきか迷う。加納の饒舌が鷹山の家に辿り着いたあたりで止まり、続く気配がないと見極めると、少し間を置いてから見下ろす加納に尋ねた。
「楽しかったのか?」
「ああ」
「楽しい晩餐会の話を聞かせたくて、わざわざ来たわけじゃねえだろ」
「無論だ」
 臆面なく即答した加納は、素裸のまま鷹山の腹の上に腰を下ろす。しっとりと湿り気を帯びた膝の窪みを鷹山の脇腹に押しつけ、シャツの下の腹斜筋に食い込ませた。力を込めた筋肉の固さが、力を抜いた鷹山の肉体にゆっくりめり込む。鷹山は、加納のみぞおちに押しつけた手に力を込めた。素肌の下の筋肉、筋肉の下で蠕動する満腹の胃袋を鷲掴みにするように、ゆっくりと握りしめていく。鈍い痛みを伴って食い込む指に、加納が満足げな吐息を洩らした。
「お前は昔、言っていただろう。『あんな悪いモノを食べたなら、後で負債を支払え』と」
 加納が、ゆっくり口を釣り上げた。獣の名残を思わせる歪な笑み。馬乗りのまま、ゆっくりうずくまって鷹山の鼻にかじりつく。相手の手を、自分の腹から腰に添えさせながら、小さく口を開いて白い歯を見せる。
「だから昔のように、お前に支払いにきたんだ」
「テメェの自己管理に付き合えってか?」
 ふざけやがって、と呟いた鷹山は、掴まれた手を振りほどき、その手で加納の頭を引き寄せた。開いた口に噛みつき、口の中をぐるりとひと舐めする。加納の口の中には、ジャンクフードの痺れる味も、異国情緒溢れる香辛料の後味も、微かなアルコールの臭いもない。歯磨きの後の涼やかな呼気と、無味無臭の唾液の味わいだけがあった。湯冷めし始めた肌に比べてずっと熱い舌の、甘えて弛緩した手応えに、鷹山は下唇を強かに噛みしめる。加納の体が小さく震え、鼻にかかる息づかいで続きを誘ってきた。
 胸元から鳩尾を掴ませようと押しつける手に、鷹山は鼻を鳴らす。腰を突き上げてのしかかる加納の体を弾き飛ばすと、ばっと跳ね起きた。あっという間に白い裸体を仰向けに組み敷く。膝立ちになり、抵抗する片脚を捕まえて力任せに開かせた。股関節を外さんばかりの力で押し開いても、加納は難なく体を柔らかくして受け流す。逆に、鷹山の胸ぐらを掴もうと両手の指が喉元をかすめた。
「暴れんじゃねえ。テメェの後始末に、付き合ってやるって言ってんだよ」
 鷹山の言葉に、仰向けにされた加納がうくと喉を鳴らした。歓びの笑いだと解ると、鷹山の腹の奥が一息に熱を持つ。
 吐き捨てた鷹山が、シャツのボタンを外し、そのままがばりと頭を抜いて脱ぎ捨てる。デニムスラックスのボタンを外す間に、加納の片脚がその手の甲を軽くひっかき、ひっくりかえされた上体をしなやかな動きで起こした。鷹山の頭を両腕で抱き寄せ、押し開かれた脚を捕食する虫の動きで閉じて、鷹山の腰を捉える。しめやかに折りたたまれていく脚が、やがて力をこめて締め付けるのを感じ、鷹山は口づけを強請る加納の口元に囁いた。
「テメェは腹一杯なんだろ。なら、食うのは俺の方だ」
「お前に私が食い散らかせるか?」
「んなの、当たり前だろ。何回テメェの我が侭に付き合ってやったと思ってんだ」
 せせら笑う加納に鷹山が舌打ちする。それが合図だった。加納が引っ張り寄せたのか、鷹山が押し倒したのか、解らない力加減でもろともに倒れこむ。剥き出しの体を掴み、抱きしめ、羽交い締めて、やがて隙間なくぴったりと重ね合う。獣の息づかいで、昂ぶる脈動と熱い肉置きの噛み応えを耽溺する。
 そうして、空がうっすらと白むまで、歯で、指で、他の、あらゆる場所で、お互いの過剰を食い合った。

[了]

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