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Pain aux olives et au fromage

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 五階は、事務的な手続きのために、オープンな共有席が用意されたフロアだ。
 門倉が入室すると、共用スペースで、亜面と銅寺が並んで立ち話をしているのが見えた。二人の陰になって見えないが、机にだらしなく突っ伏して腕を伸ばしているのは、弥鱈だろう。ここに巳虎もいれば、上位號数の若手四人組が揃う形だ。
 三人──正確には弥鱈を除く二人が、部屋に入ってきた門倉を振り向いた。
「噂をすれば、御本人の登場ですよ」
「……」
「おつかれさまですー」
 にこやかに会釈する銅寺、無言の亜面、やる気なく間延びした弥鱈。三者三様の挨拶に、門倉は抱えてきたファイルを握力だけでつかみ、持ち上げて自分の肩をとんとんと叩いた。
「若手が雁首揃えて油売っとんのか」
 門倉の嫌味に、亜面はふいと前に向き直る。弥鱈は唾玉を飛ばしてスルーした。他意のないにっこりした表情の銅寺が、はっとして同僚二人を振り向く。
「ちょうど良かった、門倉立会人に直接聞いてみたらいいんじゃないですか?」
「それは……気の毒では?」
「そうかなあ」
「私はどっちでもいいし、どうでもいいですよ、別に。まだ巻き込まれてませんし~」
 話題を曖昧にしたまま話し続ける三人に、門倉は無言で歩み寄り、睨め下ろす。
 とはいえ、ここには門倉の体格表情に圧倒される人間はおらず、不愉快を隠さず睨む年上を、興味深そうに・淡々と・面倒くさそうに見上げる、三組の視線が返ってくるばかりだ。門倉は、ちょうど銅寺の後ろに隠れる位置でうつ伏せている弥鱈を見やり、彼の伸ばした手の先に、持ってきたファイルをばさばさと下ろした。
「なんです~?」
「おどれ、まだ巻き込まれとらんそうじゃのお」
「たった今、巻き込まれましたね」
 机にもたれて携帯ゲーム機を触っていた弥鱈は、ハァ~と心底だるそうにため息をついて、体を起こした。門倉の苛立つ視線を見返してから、長テーブルの対岸にいる銅寺のスーツをちょいちょいと引っ張る。
「え、僕から話すんです?」
「一番、当たり障りなく話せそうな人から話すのがいいと思いますけど」
「OK、危機回避OK」
 弥鱈の丸投げを受けた銅寺は、スーツの胸ポケットから折りたたんだ紙を取り出し、門倉に差し出した。紙には店舗名と住所の一覧がプリントアウトされている。
「南方立会人が最近回っているパン屋さんのリストです」
「パン屋?」
 リストは十行以上あり、最後の一店舗まで赤線が引かれていた。
「あと、最上立会人の黒服さんたちからもらったメモと、……真琴さん、心当たりの情報、もう送りました?」
「ええ、先程。お礼と、業務のあとに立ち寄る旨の返信をいただきました」
「これらの情報をもとに、南方立会人は探しているんです」
「……??」
「門倉立会人が『もういっぺん食べたいのに店がわからん』と言っていたパンを、です。ヤンキーのくせに健気ですよね~」
「悠助くん、サビの横取りはずるくない?」
 わいわいと言い合う若手を前に、門倉は絶句した。
(なんじゃ、それ。身に覚えがな、……くはないかもしれん……なんか、先月くらいにそんな話、したような、せんような気がする)
 門倉は、無言で平静を装いつつ、頭の中で記憶を探った。だが、南方とどこかにいた記憶は、公私ともに複数ある。パンと紐付く記憶がパッと出てこない。
 顔色を観察していた弥鱈が、狼狽ぶりを愉しむ口調で声を上げた。
「見てくださいよ、やっぱり言い出しっぺは忘れてるんですよぉ。ちょっと顔色悪くなってますもん」
「ホントに? 門倉立会人、血圧上がりました? 脈取らせてもらっても?」
 遠慮なしに門倉の手首を取ろうとする、怖いもの知らずの銅寺に、亜面が「あっ」と声をあげる。門倉は流れる手さばきで、銅寺の腕をねじりあげて押さえこんだ。痛い痛い、と大して痛くなさそうな顔で銅寺が訴える。門倉は、小柄な後輩の腕を優しめに極めたまま、弥鱈をじろりと睨んだ。
「おい、弥鱈。どういう話じゃ」
「どうって……今話した通り。門倉立会人がご所望の『酒のツマミになりそうなぶち硬いパン』を、南方立会人が激務のスキマ時間に探し回ってるんですよお~」
「自分はパンに詳しくないからと、教えを請う態度で訊かれたので、私も探すお手伝いをしていました」
 静観していた亜面が口を開く。じっと見上げてくる怜悧な視線に真正面から責められて、門倉は珍しく気圧された。
 年下組から突き上げを食らっているうちに、薄らぼんやりと、先月の出来事を思い出し始める。

 その日、門倉は贔屓にしている賭郎会員の妻からパンをおすそ分けされた。立会のあとのことだ。
 会員は、箱入り娘の妻が、詐欺まがいの業者に騙され、大事な着物を二束三文で買い取られたと訴え、探してきた業者に無理やり賭郎勝負を受けさせた。少々悪どい買付業者たちは、買い付けた品々の他に、片手の指もなくしたところで、解放された。妻は着物にも家具にも頓着していなかったようたが、夫の会員は年下の妻を溺愛していた。そういうことだ。
 小物の悪事に過剰な報復が履行されたあと、うっすら血なまぐさい現場で、世間知らずの細君は、門倉にバケットの紙袋を手渡してきた。
『売り切れ続出のパンなんですって。今日のお仕事のお礼に、どうぞ』
 で、そのパンを持って、南方の家に寄った。立会は夕方に終わったので、明日の朝食べれば、くらいの気でいたように思う。
 帰宅した南方はパンの経緯を聞いて複雑な顔をした。だが、一切れ切って囓ると、「酒に合いそうだ」と言い出した。食べてみると、確かにツマミになりそうな味だったので、洋酒と合わせるかという話になった。南方の家にはもらい物の洋酒があるのだ。
 パンのおかげか、酒も進んだように思う。翌日の予定がなかったのもあって、門倉は気分良く酒を過ぎ、南方に絡んで、リビングでたっぷり飲み明かし、ベッドに移動してからは早朝まで南方の体を堪能した。
 心身ともにとろけて満たされた時間は、翌朝──というか昼過ぎに目覚めると、全部消し飛んでいた。食べたものも飲んだ酒もほぼ記憶から消え、激しい情事の名残にきしむ体と、二日酔いの耐えられない頭痛だけが残ったのだった。

(酔っ払った口で、パンがうまいとかなんとか、言うたんじゃろうな。もらいもんで店もわからん、て話した記憶があるような、ないような……)
 腕組みしたまま、高速で記憶を巻き戻している門倉に、弥鱈がゲーム機から視線を上げず、言って寄越す。
「都内の旨いパン屋探しっていう無理ゲーを、頑張ってたわけですね~、南方立会人は~。おかげで私たち、ちょくちょく名店のパンをお裾分けされて、正直助かりました」
「どれも美味しかったです。でも、思い出のパンではなかったようで……」
「門倉立会人、南方立会人から何も聞いてないんですか?」
 三人三様に言ってくるので、門倉は堪らず手袋をした片手を上げて、「待て」のポーズを取ってしまった。
「南方立会人が、皆さんに迷惑をかけていたのは、把握しました」
 すぐあのダボに言うてやめさせる、と続けるつもりだった門倉に、斜向いの亜面から厳しい声が飛んできた。
「私は迷惑していません。南方立会人は友達思いなところがあるんだと解って、むしろ協力して差し上げたい気持ちです」
 語る亜面の面持ちには、強さや正論を重んじる彼女にしては珍しい、穏やかな優しさが浮かんでいる。
(あ~、ヰ近立会人と話しとるとき、こういう顔しとったなぁ……)
 門倉がよそに思考をずらしていると、穏やかな表情が一変、立会人のギラリとした顔に切り替わった。
「ですが聞いた話では、門倉立会人は『そんな食べ物覚えていない』とおっしゃったとか。あんまりなのでは?」
「えっ」
「南方立会人、本当に困っていたんです」
「確かに。南方立会人は、門倉立会人を甘やかしすぎだと思いますね」
「そうですねえ、門倉立会人、南方立会人が賭郎入りしてから態度がデカくなってますもんね」
 完全に南方側の立場を表明する亜面、多分亜面から聞いた話だけまるっと信じている銅寺、単に面白がっている弥鱈と、三方向から意見が飛んでくる。
「亜面立会人。それは親しい間での適当な会話というやつで、けして他意はありませんよ。銅寺立会人、甘やかされとるとはなんじゃ。売っとんのか? あと弥鱈。どさくさに紛れて言うてくれるのぉ、後で覚えとれよ」
 三方向からのツッコミに三面展開で応酬するが、どうにも分が悪かった。
(そもそも南方のヤツがいかんのじゃ! とっとと戻ってきて、この場を収めんか~!)
 ほぼ八つ当たり同然に、内心で南方を呼ばわる。
 やいやいと盛り上がっている一同の前方で、部屋のドアが開いた。全員の視線がドアを向く。
 白い紙袋を抱えた南方が、浮かれ様子で入室するところだった。上げた視線の先に門倉がいるのを見とめるや、「げっ、門倉!」と声を上げる。
「! 南方、おどれェ……」
 ババを引いたような顔で声を上げた南方に、門倉はイマジナリ鶏冠を逆立てて、ずかずかと歩み寄る。
 肩を掴むと同時に、香ばしい小麦粉の匂いがふわっと立ち上った。つかもうとした胸ぐらの前にある紙袋に、視線を落とす。
「……」
 南方は荷物がばれてしまうと照れを含んだはにかみ笑いを浮かべてから、嬉しげに話しかけてきた。
「実はな、お前が旨い言うとったパンをだな……」
「聞いた」
「へ?」
「なんもかんも、そこのガキどもに聞いたわ。よう恥ずかしげもなく、おどれは……!」
 のんきな笑顔で見返す南方に低く凄んでみせた門倉だが、背中に刺さる視線に気づいて、ハッとする。振り向くのが怖いが、一応確認しておかなければ、と己に言い聞かせると、肩越しにそろりと振り返ってみる。
 にっこりと晴れやかな微笑の亜面、大団円に拍手喝采とばかりの笑顔の銅寺、絶対この展開を周囲に言いふらしまくるに違いない凄まじい笑みの弥鱈、三人それぞれの笑顔が、門倉と部屋に来たばかりの南方を送り出そうとしている。
 賭郎入りして以来、門倉は今日ほど號奪戦で相手をタコ殴りにして記憶を奪ってしまいたいと願ったことはなかった。
「最悪じゃ……」
「門倉?」
 南方の両肩を掴んだままぐったりうなだれ門倉に、焼き立てパンの匂いがする南方が心配して声をかけてくる。門倉は掴んだ肩をぎりぎりと握りしめると、問答無用で部屋の外に同じ身丈の男を押しやった。
「な、なんじゃ、どうした?」
「どうしたもこうしたも、ワシに隠れてコソコソと、くだらん話を触れ回りおって、おどれという男は……」
 そこまで悪態ついた門倉だが、南方の怪訝な顔を見つめているうちに、どっと脱力した。
(何の疑いもなくワシを甘やかす顔しよってからに、コイツは……)
 門倉は南方の抱える紙袋を取り上げ、中のパケットを引っ張り出す。おい、と声を掛ける南方の前で、がぶりと一口かじりついた。
「硬った……」
 堅く噛み応えのあるパンは、記憶にあったパンと似てるよう似てないような味がした。正直、門倉もそのパンの味をろくに覚えていないのだ。ただ、旨い旨いと言いながら堅いパンと格闘している南方の顔は、よく覚えている。
 わしわしとバケットを噛みしめた門倉は、残りを紙袋にしまい、南方に突き返した。
「これじゃ」
「え?」
「『酒のツマミになりそうなぶち硬いパン』、これで合うとるよ」
 真偽はどうでもよく、先月過ごしたような愉快な時間が過ごせたら、それで十分だった。そのまま言葉にするのは面はゆくて、出所の解らないパンの話を振ったのだ。
 自分の望みが、わりと安穏な形だったのに気づいた門倉は、らしくなく照れくさくなり、南方に背を向ける。
「ワシはもう上がりやし、なんか合うツマミ、揃えて行くわ。おどれも早う上がれよ」
「門倉……!」
 今夜の晩酌を宣言して、その場を立ち去ろうとする。振り向かなくても解る喜色満面の気配に、口元が自然と緩んでいた。
 そして視線を上げた門倉は、げっ、と声を洩らす。
 視線の先には、顛末を見届けようとドアの隙間から顔を覗かせる、銅寺、亜面、弥鱈(下から順)の顔が並んでいた。門倉が凄まじい形相になるや、銅寺の「般若だ!」の声と共に、ぴゃっと部屋に引っ込んだ。
「……んの、クソガキども~!」
 ぽかんとする南方を置いて、門倉は三人に厳しく口止めすべく、再び会議室に飛び込んでいった。

 後日、賭郎の掲示板に「南方立会人セレクト・都内のオススメベーカリー」の表が写真付きでアップされ、賭郎本部のランチで大いに有効活用されたのだった。

 

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