ソファの購入と発送手続きを終えて、二人はショールームのある建物を出た。
この一帯は最近、再開発が行われて、広大な面積に新興住宅地と大型店舗が建設された。この一帯で生活のすべてが賄える設計になっている。どの商業施設も徒歩圏内でアクセスでき、ショールーム以外に、大型ショッピングモール、ホームセンターが広い車道を挟んで並んでいた。
てっきりすぐ帰ると思っていた門倉だが、南方がショッピングモールにある店で食事をして帰ろうと言ってきたので、怪訝な顔をしながら肯いた。別にこれいって用事のない休日だ。無計画に、思いつきのまま過ごすのも悪くない気がしていた。
南方の勧める店でランチを済ませたあとは、腹ごなしも兼ねてショッピングモールをぶらつく流れになった。
相変わらず客は多い。しかし、ショールームの数倍以上ある売り場面積と、広々した通路のおかげで、混み具合はマシに見える。ランチに入った店があるエリアが子供向けの店舗と離れていたので、走り回る子供にも出くわさずに済んでいる。
二人の歩調は、ショールームにいたときより鈍かった。南方がのんびりと歩くのにつられて、門倉もだらだらと歩いている。
「気取った店やったのお」
「美味かったろうが」
お勧めの店と言ってオイスターバーに案内され、門倉は南方の正気を疑った。東京で牡蠣を食べる意味が解らない、そう思ったが、南方が「ここは美味い」と主張するので、仕方なく付き合った。
こっちで食べられる牡蠣の中では、かなり美味いし新鮮な部類だった。しかし、どうしても故郷で食べた味を思い出して比較してしまう。十代で巣立った故郷に大した思い入れもないはずが、味や匂いだけは妙にハッキリ覚えている。
生牡蠣、蒸し牡蠣、燻製(そんな食べ方をしてもったいないと門倉は舌打ちしたが、南方は美味いと言って譲らなかった)、アヒージョ、パスタ。南方は次々に牡蠣料理を頼んで全部に手をつけていった。門倉は、生牡蠣と蒸し牡蠣、パスタだけ食べた。
南方は向かいの席から、牡蠣の殻を積み上げる門倉を眺めていた。南方の視線にとき、美味い不味いよりこの光景を見たくて連れてきたのでは、という気がした。南方も南方で、次々に食べては殻を捨てて、ときどき指先の汚れをナプキンで拭った。食べてる間、お互いにほとんど喋らなかった。店員たちに、そんなに腹が減っていたのか、と呆れられたかもしれない。
「確かに、料理はまあまあやった。ただ、おどれが向かい側で気取ってワイン飲んどる絵面が最悪なんじゃ」
門倉が口を歪める。南方は、どういうわけかずっと機嫌が良く、調子づいて白ワインを注文した。別に調子づいて、ではないかもしれない。だが、門倉には南方の態度が浮ついているように見えていた。
「人の食い合わせにごちゃ言う気か?」
「おどれの食い合わせなんぞ知らん。じゃけえ、ワシに勧めんなや」
「飲みたそうな顔しとったろ」
「しとらん」
「しとったよ。グラス二つ言わんかったら、足蹴っ飛ばし取ったろ。絶対」
どうでもいい会話の応酬が続く。会話のテンポも噛み合い方も快適すぎて、いっそ腹が立つくらいだ。南方が端から自分の隣にいたような気がしてくる。そうではない。この男は自分が置き去りにしていったのだ。門倉は、自分の錯覚を嘲笑う。
(コイツと、こんな場所をぶらつくとはの)
施設内の照明で、自分たちの長い影が様々な角度に散らばる様。南方と自分の、規則正しい靴音。ときどき、どちらからともなく店先で立ち止まり、中には入らず、また歩き出す。
日向の場所、日向の時間に、南方と連れだって歩く機会は少ない。ガラでも無いと思うのはお互い様なのだろう。南方の口数は徐々に減って、やがて黙りこみ、あてどなく明るい道を並んで歩くだけになっていく。
施設内のいたるところがクリスマスカラーで、店先のディスプレイやデコレーションも浮かれていて、アトラクションの中を歩いている気がしてくる。そんな経験はほとんどないにも関わらず、だ。門倉は現実離れした感覚に陥りかけて、口の中を舐めた。
さっき食べたランチの後味が、確かに現実なのだと教えてくる。
門倉は南方の横顔をそれとなく見やった。
部屋にいるときの、寛いだ表情をしている。沈黙さえ楽しんでいるのが、緩んだ目元から伝わってくる。門倉はせせら笑いたくなった。
(ワシとこんな時間を過ごすんが、そんな面白いんか? ……コイツの考えることは、時々まるで解らんな)
南方は無言のままだ。振り向きもしない。話題が尽きても、気まずくなる気配はなかった。なにより、門倉がこの場に気まずさを一切感じていなかった。
そうして、南方と連れだって歩くなら、日向だろうと日陰だろうと大して違わないらしい、と気づいた。お互いの影がお互いの足下を遮るのだ、一歩先はいつも暗い。
ショッピングモールの通路は、店内を満遍なく歩き回らせるため、冗長に曲がりくねっている。緩慢と誘導されるがまま歩いているうち、南方が雑貨屋の前で立ち止まった。漫然と立ち止まったのではなく、目的があって止まったようだ。近づいて、店頭の商品を眺めはじめる。
門倉は隣に並び、店頭から店内までをざっと見回した。
ぱっと見て何を売っているのか解らない店だ。店内の照明は控えめで、通路から見えるあたりに展示してある様々なクリスマス向け雑貨だけ、はっきり照らされている。
さっきから、南方が足を止めるのはクリスマス向けの商品を表に出している店ばかりだったと気づいて、門倉は声を掛けた。
「南方、クリスマスとかするつもりなん」
オーナメントを眺めていた南方は、振り向いてちょっと目を丸くした。門倉が口を挟んでくると思っていなかった顔だ。
「それは……お前がしたいなら、するか?」
「おどれがしたいならする、って話しとるんじゃ。質問に質問で返すな」
即座に投げ返されたボールを、再び投げ返す。門倉の答えに、南方は拗ねたように口を歪め、言い返してきた。
「わしは、門倉がどう思うとるのかを聞いとる」
きっぱりと言い返した南方が、じっと見つめてくる。直球で返ってきた言葉に、門倉は主語を判じかねて口を噤んだ。
腹を割って話せる間柄になってからも、南方は門倉の感情を問いただす真似をしてこなかった。野暮と思ってか、今更言質を取る真似を女々しいと思ってか。門倉に、南方の真意は判じかねる。門倉自身も、自分がどう取り扱っているのか、判然としていない。
少なくとも、友情より濃度の高い感情なのは間違いなかった。
この関係の呼び名が、友情でも、旧敵でも、腐れ縁でも、恋人でも、門倉は一緒だと感じる。いずれも、門倉の多面な感情の一部を指しているに過ぎない。
南方は、四角四面な世界でも息が出来る男だ。名付けた途端、名に引っ張られて陳腐になるのを警戒しているのかもしれなかった。臆病と笑うには、真摯な懊悩だ。門倉の感情を、門倉が抱えている形で留め置きたいと、考えているのかもしれない。それは南方の義侠心だと思えた。南方も、自分に対して複雑な──惚れた腫れたで括られる以上の何かを抱いていると、門倉は確信している。
しばらく見合ったあと、門倉は肩をすくめた。
「別に。ワシはどっちでもええし、お前が決めたら?」
ぽいと匙を投げる真似に、南方はあからさまに困惑した。
あとは好きにしろ。門倉がプライベートでこの手札を切ると、南方は決まって困惑する。情事の場でも、この困惑が見たくて好きにしろと言い放つことが、しばしばある。南方は用心深く踏み込む手つきで触れてから、最終的には「好きにする」。門倉が手放しで無防備になる瞬間に、怯むのかもしれなかった。
(立会やら搦め手やら、立場のあるときは、主導権握るとイキがるくせにのう)
それも、この間の躾で変わるのかもしれない。恐る恐る触れて鬱憤を溜めるくらいなら、初めからほしいままに振る舞えばいい。どれだけ欲しがったところで、南方のすべてはとっくに自分のものなのだ。門倉は、そのように躾けたつもりだった。
門倉の表情を探るように見つめていた南方が、口を開く。
「……なら、するか。世間でやっとるような、はしゃいだやつ」
手探りで答えつつ、店内の雑貨を見回す。
銀色にペイントされたツリーや、控えめに明滅するライト、シンプルなオーナメントや、上品な色合いのクリスマスリース。大人向けの静かなクリスマスを演出する品々は、門倉がぼんやり覚えている緑と赤と白のクリスマスツリーからだいぶかけ離れている。
門倉は、くぐるように狭い店内に入ってみた。何に使うのか解らないオブジェや、およそ使い勝手がいいと思えない棚や籠、壁掛け時計などもある。額縁のバリエーション豊かな写真立て。小さな間接照明たち。なにもかも、自分たちの生活空間には不似合いな形をしていると感じた。
頭にぶつかりそうな吊り下げランプを避けつつ、後ろからついて来た南方を振り向く。南方が意外と楽しげに商品を見繕っているのを見て、門倉は無意識に呆れ顔になっていた。
「こういうの、部屋中に並べたり飾ったりするんか? ライトアップとかして?」
話しているうち、可笑しくなってきてしまう。門倉は悪気なく「あほらしい、似合わんわ」と呟いてしまっていた。これといって決めずに商品を手に取っていた南方が、苦い表情を浮かべて振り向く。
「やりたくないなら、そう言えや。わしは別に、気にせんから」
なにやら噛み合わない受け答えをし始めた南方に、門倉は明後日の方を見やって、呟いた。
「世間のはしゃいだクリスマスなんぞ、ワシはよう知らん。そういうのは、おどれの領分じゃろ。おどれが仕切らんかい」
門倉の答えを聞いて、南方がなにか言い返そうとし、そのまま言いよどむ。気まずい息づかいが聞こえ、門倉も継ぐ言葉を見失ってしまった。
はるか昔、子供の頃の思い出さえ遠く霞んでいる門倉に、今の南方が想像するクリスマスを想像しようがない。客観的な情報として知っていても、実感を伴わない知識は所詮、文字列や画像の羅列に過ぎない。
南方が賭郎の中を知らないように、門倉は「世の中の普通」に疎くなって長い。南方の見てきた世界とやらには、門倉の知らない景色が、思いの外たくさんあった。驚きをもってそれらに触れるとき、門倉は自分の欠落が補われ、より一層、完璧に近づく手応えを得る。南方は今も昔も自分の糧なのだ、と噛みしめる。噛みしめるたび、胸が沸き立ち、愉快が溢れてくる。
あの昂揚感を、情事の息づかいや手触り以外でどう伝えられるのか、見当もつかなかった。
用途不明のきらめくオブジェを手に取りつつ、門倉はぼそぼそと呟いた。
「あれじゃろ。ケーキとか、肉とか、食うて……プレゼント交換とかするんか?」
南方が隣に並んで、同じようによく分からない小物を手に取り、可笑しそうに答える。
「まあ、だいたい合うとるな」
「交換はやりとうないな。おどれのセンスは最悪やから」
鼻で笑って悪態をつく。隣から、笑い混じりの悪態が返ってくる。
「センスが最悪ちゅうのは、聞き捨てならんが」
「したり顔でワイン頼むエリートのセンスなんぞ、最悪に決まっとるわ」
呟いてから門倉が隣を振り向くと、こちらを見つめる南方の視線とばったりぶつかった。ずっと横顔を見ていたと気づいて、急にむず痒い照れくささを覚える。南方の眼差しは穏やかで、愛おしむ感情を包み隠さず向けてくる。その甘ったるい視線に耐えかねて、視線を少し下にずらす。
くつろげたシャツの襟元、首筋と鎖骨のあたりに、一昨日の晩、自分のつけた歯形を見つけた。力をこめたのに、痕はもう小さな赤い線になっている。南方は気づいていないらしい。
門倉は目を細めた。
(ワシのもんやと、見せびらかしてるのにも気づかんで。この男は)
噛みしめた瞬間を、はっきり思い出せる。覆い被さってきた南方の、あまりある手応えと重みに息が詰まる衝動がこみ上げて、目の前に晒された肉に食いついたのだ。南方は悦に入ったため息をついていた。抱きしめてやっていた背中が快感に膨れあがり、噴き出した汗が手のひらを濡らした。感覚のすべてを腕の中の男に向け、深く沈み込む感覚に耽る、抗い難い気持ちよさ。歯の間で皮膚と肉を噛みしめ、体の奥で相手の脈動を噛みしめた。自分の貪欲さに、どこまでも付き合う南方が、愛おしいと思い、阿呆だとも思った。
もしかすると、世の中ではあの瞬間の昂ぶりを、恋慕だとか、愛情だとか、呼ぶのかも知れない。
門倉の視線に気づいた南方が、怪訝な顔をして己の身なりを改める。
「なんかついとるか?」
食べこぼしでもあったのかと気にしている様子に、門倉はほくそ笑んだまま、首を振る。
「なんも」
「……なんかあるじゃろ、その顔は」
そう呟き、南方は棚に陳列された化粧用の鏡を見つけ、襟ぐりを確かめる。あ、と小さく声を上げると、渋い顔で門倉を振り向いた。
南方は立場上、私生活の乱れを指摘されないよう気を配っている。痕をつけるなと、強く言い含めるのは、どちらかというと南方の方だった。そのくせ、南方は門倉に痕をつけたがる。一度、お互いに痕はつけないと取り決めたものの、ろくに守られた試しがない。
門倉は、南方に同じ事をされたときは冷ややかに詰めるくせ、自分がやらかしたときは、しらばっくれている。惚けた顔でそっぽを向いていると、南方が苦々しい声で「門倉」と叱ってきた。
「どうせかっちりスーツ着たら見えんじゃろ」
見つかっても平然と開き直る門倉に、南方が憮然と言い返す。
「だったらわしも、見えるところにつけたるからな」
「お前はしつこいけぇ嫌じゃ。つけたら殺すど」
「おどれは好き放題しといて、わしには見せびらかすな言うんか」
悔しげに言い返してくる南方に、門倉は黙って振り向いた。そのまま何も言わず、ふいと店内に背を向ける。
門倉が店先に出て、南方も吊り下げられた照明機器を避けつつ、後を追った。門倉が大股の急ぎ足で歩き出すと、南方が釈然としない顔で追いかけてくる。
「? おい門倉、待たんか」
隣に並ぶと、まだ説教したりない顔で何か言おうとする。門倉は、その南方の手を取って無言でぐいぐいと道を急いだ。引っ張られ、南方は狼狽えた声を上げた。
「っ、門倉?」
やがて、店と店の間、スタッフルームに続く人気のない通路まで引っ張ってくる。大柄な男二人組が物陰に紛れるのを、誰も気に留めなかった。ここでは皆、自分たちの生活をイメージするのに忙しくて、他人に関心を払わない。
門倉は、通路から完全に見えない壁に南方の上体を叩きつけた。そのまま胸ぐらをぐいと押し上げると、驚いて開きかけている南方の口を塞いだ。塞いだ口の奥から制止の声が漏れたが、門倉が舌を押しつけると、呻きは引っ込んで、すぐに大人しくなった。余所でするより、南方の舌はぎこちなく強ばっていた。塞ぎあう唇にも力が入っていない。
南方が周囲に気を逸らしているのを感じ取り、門倉は唇を密に押しつけたまま、両手で耳を塞いでやった。
鼻先から反発する呻きが洩れたが、それもまた、すぐ止んで、観念したように背中に腕を回してきた。添えるように回された腕は、すぐに力をこめてきた。分厚い冬物の服装の下で、力強く脈打つ鼓動を感じる。南方の鼓動が伝わっているということは、自分の鼓動も筒抜けだろう。南方の意識が自分にだけ向く手応えを、絡ませた舌と啜り合う呼吸からはっきり感じる。
息苦しさに負けて顔を離す。南方が何か言い返そうとするのを見て、もう一度唇を押し当てた。次に顔を離すと、抵抗を諦めた目で、じっと門倉を見つめ返してくる。翻弄されるばかりなのが悔しいと書いてある顔だ。門倉はその顔を、平手でぺちぺちと叩いてやった。
「ゴチャゴチャ抜かしよって、これで少しは気が済んだか?」
「わしの意志はどこまでもシカトなんか、おどれ」
南方が舌打ちし、口づけで煽られた情動を押しやろうと小さく頭を振る。蜘蛛の巣を払うような仕草で抵抗する様に、門倉は悪ふざけの続きとばかり、ぐいと腰を押しつけた。
「おいっ」
これには南方もたまらず怒鳴る。思わず上げた声を慌てて潜めてから、叱り飛ばしてくる。
「やりすぎじゃ、ボケッ。人通りがあるんやぞ。そら、デート中かもしらんが、限度っちゅうもんが……」
低い小声で怒鳴りつけてきた南方に、今度は門倉の方が目を丸くした。
「……ワシ、買い出しのつもりやったけど。デートやったんか?これ」
今度は南方か目を丸くする。まじまじと門倉を凝視し、返ってきた言葉が揶揄や冗談ではないと解ると、額に手を当てて天井を仰いだ。しまった、と呟くのを聞いた途端、門倉は今日一日で一番、愉快な気持ちになっていた。
「ほーん。こういうのをデート言うんやのぉ~」
「やめえや! クソ、気ぃ回しとったのがアホみたいじゃ……」
門倉はニタニタ笑いを浮かべ、顔を押さえて耳まで赤くなった南方を覗き込む。その門倉も、鼻先を少し赤らめていた。南方の口から飛び出してきた青臭い単語の意味を、やや遅れてじわじわ実感し始めたのだ。しかし、南方は自分の気恥ずかしさと格闘していて、門倉の顔色に気づかない。間抜けめ、と門倉は笑い、その顎先をくすぐってやる。
「恭次クンは、ワシも知らん堅気のコト、よう知っとって、感心やねえ~」
「っ、せせろーしいんじゃ」
冷やかす門倉に、南方が言い返した。笑っている門倉の口元をじっと見つめると、意趣返しとばかり、抱きすくめて一度深く口づけ、すぐ体を離す。それ以上をどうにか堪えた表情で顔を逸らすと、がやがやとした通路に目配せしてみせた。
さっきまでの、のんべんだらりとした顔つきから一変、じりじりと焦れる横顔は一刻も早く帰りたそうだ。
「もうデートはお開きか?」
「……帰ったら覚えとれよ」
歩き出した南方を門倉が後ろからからかうと、南方は恨みがましい視線でじろりと睨み返してきた。その視線に、一昨日の記憶が過り、門倉は疼く歯を噛みしめてニッと笑ってみせた。
[end]
