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所信表明

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 賭郎が会員を招いて行う新年会の席には、立会人たちも出席する。門倉は部下の黒服を引き連れずに、単身で参加していた。他の立会人も、子飼いの黒服はほとんど置いてきている。
壱號立会人・能輪美年だけは、幹事役なので数名の黒服を連れている。
 そのほかの、会場にいる黒スーツは、すべて立会人だ。
 門倉は、会が始まってからしばらくは、専属会員・梶の側に控えていた。梶は賭郎会員であり、お屋形様のひとり・斑目貘の右腕である。通常の会員と、交流の範囲が違う。
今は、他会員と話す獏の隣で、いじられ役になっていた。梶の隣には、大皿に料理を山盛り乗せたマルコが、しかつめらしい顔で並んでいる。おそらく、獏たちの会話をほとんど飲み込めてはいないだろう。ただ、腹のさぐりあいの空気を邪魔しないよう、食べるに徹している。行儀がいいといえば、良いのかもしれない。
 ひとまず梶の付き人的な役目から解放され、門倉は悠々自適に酒を飲んでいた。梶が助けを乞うてくるまで、放っておくつもりだ。
 新しいビールをもらいに、バーカウンターへ向かい、グラスと小瓶ビールをオーダーする。
待っていると、隣に黒スーツの人影が並んだ。
 門倉が一瞥するより先に、落ち着いたテノールボイスが話しかけてくる。
「飲んでいるかね、門倉君」
 棟耶に呼ばれ、カウンターにもたれていた門倉は姿勢を正した。
「判事。どうも」
 バーテンダーがグラスとビールの小瓶を置く。門倉が口を開くより先に、棟耶がビール瓶を手に取った。
「グラスが空いているようだ」
 そう言って、グラスを差し出すよう促してくる。門倉は気まずさに口を引き結ぶと、諦めて、空のグラスを向けた。
「恐れ入ります」
 手酌で構いませんのに。一応、そう弁解する。
 弐號と参號、號数では門倉が上回ったが、〝判事〟の称号は、ほぼすべての立会人の上位に在る。門倉にとって、棟耶は號に関わりなく、永遠に薫陶を仰ぐべき〝判事〟であり続ける。
 門倉のグラスに波々とビールを注ぎ、棟耶はウィスキーグラスを片手にカウンターにもたれかかった。
「会員の皆さま方とは、もうよろしいので?」
「今夜はもう、無礼講だ。会員を放っておいても良かろう。それに、君とは今年、あまり話す機会がなかったからな」
 棟耶の言葉に、門倉は怪訝に眉を上げた。
「そうでしたか? 自分は、相変わらず判事の薫陶を受けていたつもりでした。判断を仰がせていただく局面もありましたし」
 門倉の反駁に、棟耶は「そうだったかな」とうそぶく。ウィスキーを舐めるでもなく、グラスをゆすりながら、ホールの騒がしさを眺める棟耶の態度は、いつになくリラックスして見えた。
 門倉は、がやがやとうるさいホールを見回してから、棟耶に視線を戻す。棟耶は、そんな門倉の視線に気づきながら振り向かず、つらつらと語りだす。
「弐號立会人として、専属会員を得、お屋形様から直接指示を受ける機会も増えた。以前よりずっと、やりやすくなっただろう」
「それは……否定しません。今年一年、立会人の本分から逸脱しない範疇で、好きにさせて頂いた自覚はありますので」
 ひとり語りめいた棟耶の言葉に、門倉は穏やかに肯定した。
 弐號になってから、門倉の世界はいろんな意味で変わった。景色も、立場も、心持ちも。
 そして、棟耶がこの変化を歓迎していることを、門倉も察している。
 言葉通り、後進の成長を歓迎しているなら、門倉も褒め言葉として素直に受け取れた。だが、棟耶がそうした人間でないことを、門倉はよく知っている。
 門倉を顧みずに、棟耶の独白めいた話は続く。
「私も、基本的に君の独り立ちを歓迎している。面倒を見なくてはならない者は他にもいる。君の指導は、そろそろおしまいにしなくてはな」
「それは、……急に、寂しいことをおっしゃる」
 門倉は思わず、不満丸出しの低い声で言い返してしまう。卒業証書をもらった経験はないが、ご丁寧な証書付きで「卒業しろ」と言われた心地だった。
 棟耶は、門倉の面食らった顔を横目で見てから、少し目を細めた。
「社交辞令はいい。君の野心は、心憎からず思っているのだ。むしろ、〝判事〟の称号をかけて、君に挑まれる日が楽しみなくらいだよ」
「ご冗談を……」
 初めて棟耶と目が合い、門倉は顔に出さず狼狽えた。
 棟耶の語る野心が、皆無かと言われたら、否だ。あらゆる強者に挑み、己の強さを更なる高みに引き上げること。それが立会人を志した初心だ。門倉の初心は、ハンカチ争奪戦を経て揺るぎない信念となった。信念に照らせば、棟耶もいずれ超える壁に違いない。
 しかし、まだ今では無い。棟耶から学ぶべきことは、まだいくらでもあった。
「私の寂しいという言葉、嘘ではありません。私たちはいつまでも、貴方の指導を受けたいと思っていますから」
 真摯な気持ちで口走ってから、門倉は失言に気づいた。南方恭次。不倶戴天の盟友が、「私たち」の複数形に含まれてしまっていた。
(ひどい失言じゃ)
 前後不覚の泥酔でもしない限り、こんな失言はしないだろう。それくらい、棟耶の言葉に動揺してしまっていた。
 門倉が黙り込むと、棟耶が意を汲んだように、柔らかい口調で応えた。
「仮に今、君が挑んできたとして、私に応じる余地はない。目下のところ、南方の指導にかかりきりだからな」
 棟耶の言葉が真面目な返答ではなく、茶化した答えだと気づくのには数秒かかった。ウィスキーグラスに口を付けた、その横顔からあえかに漂う悪戯っぽさに気づいて、門倉は内心で胸をなで下ろしつつ、小さく笑う。
 棟耶が視線を上げた。
 判事、と呼ばわる馴れ馴れしい声が、奥のテーブルから飛んで来た。集まった会員数名が、棟耶に向かって手招きしている。立会人としての棟耶を推している会員たちだ。
 棟耶は、贔屓たちにグラスを掲げて挨拶すると、彼らの元へ向かおうとした。呼ばれた以上、無視はできない。仕方なく、会員相手におためごかしをするのだろう。
 門倉は、舌打ちの代わりに、不在の男をあげつらった。
「こういう場面でこそ役に立つ男が、今日に限っていないとは……」
 門倉の悪態に、棟耶が振り向く。いつもの淡白な面持ちで門倉を見やってから、さらりと告げた。
「本職を優先して良いと、私が言った」
 門倉はきょとんとした。
 賭郎立会人になっておきながら、賭郎より優先すべきことがあるものか、という信条の門倉には、信じられない判断だ。
搦め手でも、お屋形様の指示でもないのに、賭郎の新年会を後回しとは!
 面食らっている門倉に、棟耶は珍しく、見てわかるほどはっきりと微笑してみせた。
「意外だったか?」
「はい。判事がそのような指示をされるとは、意外です」
 棟耶の指示も、従った南方も、門倉には意外だった。
虚を突かれた門倉の表情を振り向くと、棟耶が尋ねる。
「君たちに、少し距離を取らせたくてね」
 からかいの調子を含んだ棟耶の声に、門倉は瞬きした。視力の欠けた目は、棟耶の項から愉快の色を拾っていた。
「今年の君の活躍ぶりは、目を見張るものがあった。拾陸號の頃とは別人のような、大胆な判断も多く見られた。怪我の後遺症の話は聞いている、そうした変化もあるのだろう。だが、実際のところは違うだろう?」
「……ご想像にお任せします」
 門倉が頬を歪め、不謹慎な笑い方で棟耶を見つめ返す。
 門倉にとって南方は、部下にも会員にも他の立会人にも求められない、完全な理解者だ。自分にまつろわぬこと以外、南方は完璧な相棒といってよかった。手に馴染んだ銀玉鉄砲、写し鏡、きな臭い通底器。門倉にとって、南方恭次という男はそうしたものだった。
そんな至高の玩具を手に入れたのに、大人しくしろというのは、無理な話だ。
 門倉の表情に答えを得たのか、棟耶の顔から笑みが消え、いつもの淡白な表情に戻る。その目に、諦めと呆れの入り混じった色がよぎった。
「お前たち二人をまとめて叱責するような厄介は困る。私情を挟むのは、ほどほどにしておくように」
「それは、もう」
 門倉は笑んだまま、もちろん、と答えなかった。
(いかに判事といえども、それは出来ん相談じゃのお。南方が隣で張り合おうとしとる、今この時が、これまでの人生でいっとう面白いけぇ)
 門倉の答えなど分かっているのだろう、棟耶は苦笑いを思わせる視線で門倉を一瞥し、バーカウンターから離れる。
(貴方の気苦労が終わるとしたら、ワシか南方、いずれか、くたばった時じゃろうのぉ)
 会員の下へ向かおうとする棟耶の背中に、門倉の慇懃な挨拶が投げかけられた。
「ご苦労おかけします、判事」

 

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