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係留索

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 その日の業務が終わる頃、夕方から深夜にかけての立会が入った。門倉が別件で車を出しているというので、南方は退庁したところを拾ってもらって、現場に向かった。
 立会そのものは、大した勝負ではなかった。非会員が会員権を求めて挑んだ勝負で、双方、名のしれた用心棒を連れてくると申告していた。そのため、勝負後の負債回収に難のない立会人が選ばれた。
 南方はここ最近、本職に忙殺され、立会の機会を逃しており、壱號立会人・能輪に非会員の立会人を自薦して申し出た。立会には立会の勘がある。下手に鈍らせてしまうと死に繋がりかねない。
 勝負は会員が勝利し、あっけなく決着した。挑戦者の非会員は、負けたあとが本番と考えて準備してきた節があった。もちろん、勝負がついたあと、決着に不服申し立てし、負債回収を拒むのは粛清対象だ。まして、手駒を使って勝者を亡き者にするなど、許されない。
 人主だったこともある非会員は、立会人の強さをよく知っていたはずだった。それでも、画面越しに観戦するのと、実際目の当たりにするのでは、開きがあったのだろう。雇った用心棒は、仕事らしい仕事もできないまま、門倉の拳の前に沈んだ。即死だった。泡を食って逃げ出そうとした非会員は、南方が沈め、昏倒した男は「支払い」を済ませるために、担がれていった。
 用心棒の死体は、門倉の黒服たちが粛々と回収していった。死体をどう始末するか、南方はあえて確かめないことにしている。この国では、どんな人間も基本的に何がしかの記録を残して生きている。どこかの所轄が、行方不明者のリストを更新する手続きを任されるのだろう。
 後片付けを終えた頃には、夜中二時を過ぎていた。
 門倉の黒服が会員を送り届け、門倉は来たときと同じく南方を助手席に置き、がらがらの道路を飛ばして帰った。
 法定速度を遥かに超える門倉の運転に、南方は閉口したが、いちいち文句はつけなかった。こんな夜中に、運転を引き受けてくれるのだ。道交法に目をつむるくらい、してやってもいいと思えた。
 途中、南方の住まいと門倉の住まいで方向が分かれる、大きな交差点まで来た。
 門倉は一言も確認せず、左折レーンに入る──左折すると、南方の部屋に向かうルートになる。
「うちに寄るんか? 送るつもりなら、気ぃつかうな。ここでおろしてもええぞ」
「お前の家の風呂、借りよう思うてな」
 門倉はそう言い、返り血で汚れたシャツを軽く引っ張ってみせる。
 用心棒は、門倉を侮って挑みかかり、顔の形を失うほど重たい一発を食らった。鼻骨どころか、顔面の骨が砕ける音が、部屋に響いたくらいだ。衝撃で目玉が飛び出し、前歯は口の中にめり込み、顎はおかしな方向にへしゃげた。絶叫もなく、血を吹いて倒れる男を、門倉は無感動な表情で見下ろしていた。
(死因は、顔面陥没と脳挫傷といったところだろうな。相変わらず、えげつない拳じゃ)
 門倉の横顔を見やる。服や手袋は悲惨な有り様だが、顔は汚れ一つなかった。黒服に渡されたタオルで顔を拭っていた様子を思い出す。鼻筋、口元と見て、喉から髪のかかる項まできて、首筋にまだ血糊がついていると気づく。
「着替えはどうする」
「お前のシャツ、ワシならちょうどええじゃろ」
 応えた門倉は、信号が変わると同時に、速度を出しつつ左折した。ぎゅっと負荷がかかり、南方もさすがに「おい」と声を荒げる。
「事故ったりせんよ。警視正殿が半グレと同乗してた車で事故とか、シャレにならんものなあ」
「冗談になっとらん……」
 南方が苦々しい声で唸る。門倉は、血濡れた胸元を揺すっておかしそうに笑った。

「先にシャワー行ってこい」
 部屋に着くなり、南方は門倉をバスルームに追いやった。
 門倉が汚れを落としている間に、夜食を用意しようとキッチンに向かう。途中で、血で汚れたシャツをランドリーボックスに入れるなと言いそびれたのに気づいた。
(いかん、ランドリーボックスがわやんなる)
 ゴミ袋を引っ提げ、慌てて脱衣所に引き返す。
 ドアを開けると、門倉はまだ浴室に入っておらず、全裸のまま洗面台の前に立ち尽くしていた。南方を振り向く。前頭部の、白いケロイド状の傷跡が、うす赤く色づいている。門倉の左目は何も見ておらず、右目もどこかとろんとしていた。
「門倉、……汚れた服はこっちによこせ」
 事務的に話しかけると、門倉の片目が南方をとらえる。目尻を細め、ぽつりと尋ねる。
「なあ。粛清しとるワシは、どうじゃった?」
 つぶやいた門倉は、南方の差し出したゴミ袋を一瞥もせず、緊張した面持ちを凝視しつづける。うっすら浮かんだ笑みは、凄艶として、底が知れない狂気をはらんでいるように見える。南方は固唾を飲んで、そのまま黙り込んでしまった。
 門倉が利き手を見下ろす。真っ赤に染まっていた手袋を通して、白い肌に血が染み付いている。その手を握って開き、握りなおすと、独り言をつぶやく。
「久しぶりに殺ったけえ、妙なかんじがしとる。舎弟どもも、驚いとったな」
 門倉は、足元に脱ぎ捨てた血に染まったシャツを見下ろして、囁いた。
「それで、おどれは? 南方。あの用心棒を殺ったワシを、どう見た」
 健やかな足が、血溜まりを踏みにじるようにシャツを踏みつけている。愉しげな門倉の横顔は、狂気と正気の境で揺らぎ続けている。南方は、自分が門倉の揺らぐ視界に捉えられているのを自覚して、本能的に息を潜めた。
 門倉の唇が、笑みを深くする。捕食されまいと身構えた気配に耳を傾けて、首を傾げると、南方を呼ばわった。
「のう、南方」
「……」
 返事ができない。応えたら引っぱられる、南方にはその確信があった。狂気に近づく門倉の眼差しを真っ向から見据え、胸の内から訴える。
(いいや。いけん。わしまでそっちには、行けんのじゃ。門倉。わかるじゃろう、……門倉) 
 この訴えが、門倉に届かないとわかっている。それでも、己が係留索になって繋ぎ止めておかなくては、門倉は自分の知らないなにかになってしまうかもれしないのだ。
 南方は、表情をこわばらせ、手を差し出すことも声をかけることも出来ずにいた。得体のしれない焦りばかり、先走る。
 やがて、門倉の視線に焦点が定まり、危うい精神が「こちら側」に振り戻したのがわかった。
 それらは、ほんの数秒のことだった。南方は、危うい綱渡りをさせられる心地から開放され、小さく息をつく。何事もなかった顔で、門倉が踏みつけているシャツを拾い上げ、引っ張って回収する。
 門倉が足を避け、身動ぎした。なにか言いたげに南方を見つめる。南方は、拾い上げたシャツをごみ袋に詰め込み、肩をすくめる調子で答えた。
「別に。おどれには、昔からああいうところがあったわ。今更、驚きもせんよ」
「ほうか」
 門倉が静かに応える。長い前髪で横顔が隠れて、どんな表情をしているのか、南方にはわからない。
 南方はバスルームのドアを開き、裸の背中を軽く小突いて、入るよう促した。
「夜食、作っといたる。髪もちゃんと洗えよ」
「わかった」
 背中を向けた門倉が、らしくなく殊勝な調子で応える。出ていこうとした南方は、思わず振り向いてしまう。
 門倉は、すりガラスのドアを閉めて、シャワーコックをひねっていた。しばらくして、遠慮なく湯水を流す音が聞こえてくる。
 南方はひとまずキッチンに引き返す。
(今、できることも話すべきこともない。わしにできるんは、夜食を用意して腹を落ち着かせてやることくらいじゃ。……)
 冷蔵庫を開けて、自分に言い聞かせる。奇妙な不甲斐なさが、八つ当たりめいた怒りになって、南方は無言で野菜室の引き出しを蹴っ飛ばした。

 
 門倉は、いつもより時間をかけてシャワーを浴び、リビングに戻ってきた。用意された服に着替え、乾ききっていない髪をタオルで拭いている。この部屋でくつろぐ、いつもの佇まいだ。見慣れたスウェット姿の門倉を見て、南方は無意識のうちにホッとしていた。
 門倉は、南方とまっすぐ目を合わせようとせず、そそくさとバスルームを振り向く。さっきの今で、気まずいのだろう。
「風呂、ためておいたけぇ。お前も入ってきない」
 珍しく気遣いしてみせた門倉に、南方はゆるく頭を振った。門倉が自分に対して気まずさを抱くのが、寂しいような、嬉しいような心地がした。
「わしはいい。それより、夜食。食うじゃろ」
 よく煮てふやかしたうどんをよそって、テーブルに置く。うどん以外、なにもないテーブルを見て、門倉が少し眉を寄せた。
「酒は」
 南方が呆れ気味に眉を上げて、時計を見やる。時間は深夜三時を回っていた。
「わしは飲まん。お前は、飲みたきゃ飲んだらええが」
 こんな時間だったが、今夜の門倉は泊まらず帰るに違いない。──独りきりになる場所へ戻りたがる、南方はそう確信していた。もし門倉が帰ると言い出したら、車で送るつもりだったので、勧められても飲まないと決めていた。
 その意を汲んだのか、門倉は冷蔵庫によらず、大人しくキッチンテーブルに着いた。
 根菜とかまぼこ、卵を落としたうどんが、二人分。しんと静まり返った部屋で、ふわふわとたちのぼる湯気から音がしそうだ。
 門倉は丼を両手で抱え、やわらかいうどんをつるつるとすすり始める。できたての熱いつゆに、時々、息をついて手を止める。南方は、ちゃんと味わって食べる門倉の所作と反対に、出汁ごと音を立てて、丸呑みする勢いですすった。門倉が落ち着いたのを見て、急に腹が減ったのだった。
 会話もなく、向き合って、大きなどんぶりを抱え、夜食を頬張る。
 先に食べ終えた南方は、まだ食い足りない気がした。遅れてくる満腹感を待つ間、門倉の様子を眺める。
(今更、人殺しに罪悪感もないだろう。が、やっぱり人一人殺したあとは、魂が重くなる感覚がある。……そこは、門倉も同じだと思いたい)
 南方も、賭郎入りする前は、あくどい警察官僚だった。門倉のように直接手を下したわけではないが、他人を死に至らしめた経験はある。死亡の報せを受けたとき、覚悟を決めていたはずの腹がずっしり重たくなり、罪悪感に輪郭があると知った。自分にそんな善性が残っていたことにも驚いた。
 門倉が殺したのは、どこの誰かもしらない、身内でもなんでもない、まるっきりの他人だ。善性を引っ掻かれなくても、別におかしくない。それでも、人ひとり殺すのは、精神を揺さぶる程度の違和ではあったのだろう。
「ごちそうさま」
 気がつくと、門倉のどんぶりは空になっていた。湯上がりに加えて温かいうどんをすすり、見るからに顔色が良い。ほろ酔いの赤ら顔に似ていた。
「スウェット着て帰ったらええじゃろ。お前んちのあたり、そういう格好のやつおるし」
 南方はどんぶりを下げると、門倉のスーツをランドリーバッグに雑に詰め込んでやった。
「ほいじゃあ、借りとくわ」
 そう言って立ち上がった門倉が、バッグを渡すよう促してくる。やはり、自宅へ帰るのだ。
「これも返さんでええぞ」
 そう言ってバッグを手渡す。
 なんの気無しに触れた門倉の利き手が、まだ冷え切ったままだと知って、南方はぎょっとした。視線を上げて、門倉を見やる。
 和やかな正気の微笑を浮かべる右反面と、あちら側の悦びを見て笑む左反面が、いびつなバランスで完璧に調和している。南方は、半身を狂気に浸した姿に見惚れてから、身震いした。
(門倉に、怯んでるのか、わしは)
 身じろぎせず立ちはだかったまま、自問自答する。だが、すぐ頭の中で首を振った。
(違う。門倉をまるっとこっちへ引き戻せん、己の不甲斐なさに憤っとるんじゃ)
 南方は、玄関に向かう門倉の行手を阻み、仁王立ちする。
「帰るな。今夜は、ここに泊まっていけ」
 門倉はまだ笑っていた。南方は、冷えたままの手をはしっと掴み、指が折れそうになるほど強く握り込んだ。
「門倉。おどれはただ、わしの前に立ちはだかっておればええんじゃ。かわりに、おどれはわしを、どうしてもいい」
 門倉雄大は、激しく内燃する男だったはずなのに、凍てつく狂気に蝕まれてしまった。その傷は、門倉本人以外にどうすることもできない。そうだと理解していても、南方は手を離せずにいた。
 門倉は、自分の手を握り込む南方の手を見てから、引き攣らせていた左頬を緩める。焦点の曖昧だった左目がすうっと、南方の眉間あたりに吸い寄せられた。
「ふ……、大きく出たのぉ」
 含み笑い交じりに呟き、力む南方の手を冷たい指で握り返す。握りしめられる痛みで南方が指を緩めた途端、掴んだ手を引っ張った。引き寄せた上体に胸元を寄せ、鼻先をつきつける。南方の、こわばった顔を覗き込むと、いたずらっぽく口を尖らせる。
「一度吐いた唾ぁ、飲まんとけよ」
 囁くと、言い返そうとした南方の口を、嗤いの息遣いで塞いだ。

 

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