〝弐〟月〝弐〟日だから今日は雄大くんの日じゃなあ、とウキウキした黒服たちの声が聞こえ、南方は事務スペースの入口を振り向いた。
表向きは一般企業の形態を取っている賭郎支部は、定時を迎えて堅気の職員が次々に退社していた。そこへ、門倉が黒服と共に、外向きの用事を済ませて戻ってきたのだ。
黒スーツを着た、明らかに訳ありの集団が出入りすることを不審に思っている職員もいるはずなのに、二度見したりコソコソと耳打ちし合う人間はいない。「彼らはそうしたファッションが必要な客を相手にしている、会社の番犬的な要員」と説明しているそうだ。門倉は、厳つい黒服たちを束ねる強面の上司、ということになっている。
(何が強面の上司じゃ、反社のアタマ張っとるくせに)
南方は、まるっと信じる人間が本当にいるのだろうか、と内心で失笑していた。しかし銅寺立会人いわく、「髪を下ろすようになって、皆さんやっぱり本当だったんだなあ、って納得してましたよ」だそうだ。それを聞いた南方は、堅気の目は節穴しかおらん、とやっぱり腹の中でせせら笑った。
どやどや歩いていた一行が、事務スペースに入ってくる。全員ではなく、門倉と側近の数人だけだ。なにかの手続きがあるのだろう、門倉以外がさっさとデスクトップPCに向き合う。
上司の門倉はというと、
「精が出るのぉ、警視正殿」
ニタニタと笑みを浮かべながら、画面に向かう南方の背後に歩み寄ってきた。同郷旧知の仲とはいえ、持っている案件を知られたくはない。南方は広げていたアプリのウィンドウを、手早く閉じた。必要なファイルを共有サーバーに更新し、背後を取った門倉を振り向く。
「お前は暇そうだな。ぞろぞろ舎弟を連れて、大名行列気取りか」
「自分に人望がないからって、他人の人望を妬むのはみっともないよ?」
「独裁に人望もクソもあるかよ。意に沿わん舎弟を叩き出した噂、知っとるぞ?」
「いつの話しとるんじゃ? ボケが。おどれは十六ん時から、キャリア以外なんも成長しとらんのじゃのぉ」
なんでもない会話は、嫌味と悪態を応酬しあいながら、テンポよく転がっていく。腕組みし、座ったまま横柄に構えた南方は、離れた席で雑務を請け負った門倉の黒服たちを一瞥し、見るからに機嫌の良い門倉を見上げた。
「で? これから舎弟ども連れて乱痴気騒ぎか。弐號立会人ちゅうのは暇だな。羨ましいわ」
「部下が祝うてくれるのを、渋い面で諫める器やないけぇの」
作業を終えた黒服たちが、門倉の元に集ってくる。皮肉な表情で門倉を見上げる南方をひと睨みし、すぐ門倉を仰ぎ見た。
「南方なんぞに構っとらんで、引き上げようや」
「コイツがええ店押さえとるんで、雄大くんも退屈せんと思うよ」
「ほうか。楽しみじゃのう」
南方には悪態を、門倉には追従を、次々に口走る黒服たちに、南方は閉口し、門倉はニカッと笑って見せた。不良少年じみた笑いは、髪を下ろした端整な顔に不似合いで、門倉の飾らない素顔そのままに見える。
実際、門倉には、悪戯気の抜けきらない、乱暴な純朴さがあった。それは普段、剥き出しの暴として拳に宿っている。身内に向けられるときは、寛くて温かい頼もしさに見えるのだろう。南方が気づいているように、門倉を慕う部下たちも、そうした側面をよく解っている。
「それにしても、また南方は絡んできとるんか」
「まぁ、コイツいつの間にか賭郎におって、別に歓迎もされとらんかったし、雄大くんを嫉んどるんじゃろ。南方やし」
「好き勝手言ってくれるな」
「事実じゃろが。おどれの賭郎入りを祝うてくれるヤツなんぞ、どこにもおらんものなあ~」
黒服たちの挑発は、少し懐かしさを覚える幼稚さだった。もしかすると、南方の立場や経緯を知らず、あの町で南方の兵隊を威嚇したのと同じ気持ちで絡んでいるのかもしれない。南方は目を細め、唇を歪ませた。
「おどれらが評価されたわけじゃなし。大っぴらに寿ぐようなことか?」
「あ? なんじゃあ!!」
「売っとんのか、南方のくせに!!」
わっといきり立った黒服たちが、今にも南方に掴みかかりそうになる。二人分の体躯を、門倉は片腕で遮って押しとどめた。
「やめんか、お前ら。こいつのことは、構わんでええ」
雄大くん、と反発した一人に、門倉がじろりと目線をくれる。肩を怒らせていた黒服は、不承不承に肯いて引き下がった。門倉が目顔で指示すると、先に部屋を出て行く。
「表で待っとるよ」
最後に退室した黒服が呼びかける。南方も顔見知りの男だ。ツメエリ時代から門倉の側近をやっていた、筋金入りの舎弟だった。
「今日の、企画したんはアイツなんよ。応えてやるのがアタマ張ってるモンの勤めじゃろ」
「お前の選んだ道では、そうじゃろうな」
南方は肩をすくめた。門倉は南方の冷静な鼻先を見つめていたが、ふと含み笑いを洩らして背を向ける。
「同郷のよしみで誘ってやろうか思うたが、おどれには場違いやったわ」
「……」
門倉が部屋を出て、ドア越しに大勢がぞろぞろと歩き去る足音が聞こえ、遠ざかり、やがて部屋はしんと静まりかえる。
南方は作業していたPCを片付けると、ジャケットや鞄を持って立ち上がった。警視庁に帰る身支度をしながら、ひとりごちた。
「その場所は、わしには敷居が高すぎるんじゃ。阿呆」
本庁での仕事を終えてマンションに着くと、いつも通り深夜だった。南方は、鬱屈した疲労で重たくなった体をどうにかまっすぐにして、エレベーターに乗り込む。もともと、デスクワークより体を動かす方が性に合っているのだが、地位と職務の関係上、座して指揮を執るか企画立案で会議三昧か、座り仕事ばかりだ。立会人との二足草鞋を始めてからの方が、体の調子が良いくらいだった。
しかし、今日は重く苦い疲れを感じる。
(門倉のヤツ、今頃ええ店とやらで羽目外しとるんじゃろうな)
舎弟たちに囲まれて笑う門倉を思い浮かべると、南方は口元をほころばせた。己のカリスマ性にあてられ、慕ってきた連中への心の開き方からして、門倉とは相容れなかったのを思い出す。だがそれが、あの頃の南方が手に入れたくて切望した、門倉雄大だった。
エレベーターを降りて部屋に向かおうとする。
「……!!」
自分の部屋の前に、黒い塊がうずくまっているのを見て、目を丸くして立ち止まってしまう。それはくるりと南方を振り向くと、ゆっくりと立ち上がり伸び上がって、黒いロングジャケットを翻す門倉になった。得体の知れない獣が人のかたちになるのに似て、不気味で恐ろしく、同時にどこか長閑で寛いだ動きだ。
南方が歩み寄ると、門倉は機嫌良さそうに剥き出しの右目を細め、頬を歪ませた。顔色を見分けられる距離まで近づくと、アルコールの匂いがほんのりと漂ってくる。
「バケモンかと思うた」
「なんじゃ。けたくそわるい口は、この口か? おん?」
門倉がそう言いながら、手袋をした手で南方の口元を掴む。ちょっと掴むのではなく、顎の蝶番がギッと軋むほど強く、がっしりと掴んでくる。酔って力加減があやふやなのか、南方の頑健な顎をぎちぎちと鷲掴みにしたまま、鼻先を近づけてから、握りしめられて閉口している口にぱくりと噛みついた。肉を噛むように、唇をぐにぐにと切歯で咀嚼して、べろりと舐める。アルコール以外に、肴につまんだだろう料理の塩気が、南方の口にじわりと染みる。
「酔うとるんか」
「すこうしな。頭はしゃんとしとるよ」
南方は、嘘つけ、と口の中で言い返す。眼帯を捲って左目を確かめれば、きっと恍惚に蕩けて正気を無くしかけているに違いない。その様に、弐號昇進を祝う席の帰りだという事実に、南方の胸はざわついた。無意識に、間近にある門倉の目から視線を逸らす。
「ワシに。なんか言うことあるんと違う?」
「……」
「なんか言うたらどうなんじゃ」
黙りこくる南方に、門倉はつまらなそうな顔で言いやる。南方は視線を自分の手元に落としたまま、ぼそりと低く潜めた声で、応えた。
「そがぁな。ぱーっと祝う気になんぞ、なれん」
見下ろした手の中に、シルク製のハンカチの、すべすべとした手触りと刺繍糸の凹凸が蘇ってくる。南方はそのまま口を噤んでいたが、唇の薄い皮膚を炙るように門倉が見つめてくるのに耐えかねて、渋々、口を開いて続ける。
「おどれ、脳みそ飛び出しとったんやぞ。死んどったかもしれん。今でも思い出すと、腹の底がゾッとする」
話している間にも、あの時味わった喪失感が、薄ら寒い恐怖と共に過る。あんな成り行きで門倉を失っていたら、自分が今どんな形をしていたのか、南方には想像も出来なかった。
「生きて戻ってきたから良かったものの、…………」
シリアスな面持ちで黙り込んだ南方に、門倉はきょとんとしてから、憮然とした。深刻ぶった顔で面白くない話をする南方に腹を立てた態度で、顔を掴んでいた手を放し、胸ぐらを拳で軽く殴る。
「ワシは、賭郎立会人・門倉雄大じゃ。頭が割れたくらいで、死ぬるかよ」
啖呵を切って、歯を見せて笑う。南方が何か言いかけて口を噤むと、その唇を手袋をした手でぎゅっと摘まんだ。
「だいたい、ワシが弐號に昇格したから、ワシのお下がりの拾陸を名乗れとるんやぞ。もっと感謝せんか」
「しとるわ」
南方は、口元を掴む門倉の手を振り払い、つっけんどんに言い返した。再び、門倉がきょとんとした顔になって、まじまじと南方の顔を見つめる。その顔に、照れくささと友情以上の信愛の色を見て、門倉は目を細めて不謹慎なほどニコリと笑った。そうして南方の頭を、酔っ払い特有の力任せに撫で回す。
「今年は大目に見たるが、来年はおどれも盛大に祝えよ。ワシも賭郎入りを祝っちゃるけぇ。ええな?」
門倉は、やや斜めになっていた機嫌がすっかり戻った顔をして、南方の頭やら顔やらをでたらめに触って撫で回した。撫で回されるのを、両手を掴んでどうにかやめさせた南方は、門倉の笑顔をしみじみと見つめる。
「来年もやるんか、あの馬鹿騒ぎを……」
「やる。おどれがご祝儀納めるまで、やったるわ」
悪戯っ気を全開にして弐ッと笑う門倉に、南方はとうとう根負けしたように苦笑いしてから、自分の顔を撫で回す手に手を添えた。
「まったく、あくどい男じゃのぉ……」
そう言いながら、笑いの息づかいと共に唇を寄せてきた門倉の頭を両手で包み、抱き寄せると、おめでとうの言葉を喉で飲み込む口づけを返した。
[了]
