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その名を呼べ

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 賭郎勝負は会員が望めば、勝負の相手が非会員でも開催可能だが、立会人は必ず二人必要になる。賭郎勝負には賭郎立会人が最低でも二人。絶対不可避のルールにより、秘密結社の同胞は敵同士の審判役として対面する。
 そのように、勘違いされがちだ。
 賭郎立会人が仕える相手はこの世に唯一人、お屋形様だけである。もし、立会人と会員が肩入れし合う関係に陥ったとしても、立会人はこの唯一無二の理に絶対服従しなければならない。
「そしてお屋形様には、私達を所有するだけの器量を持つ者がなる。どういうわけか、そのように出来上がっている」
 だから私は貴女のものにはならないのよ。最上妙子は、専属になったばかりの会員・鞍馬蘭子に言い含めた。
 薄く白い脂肪が気持ちよくほどけあう、上も下もないバニラセックスのあと、少し食べ足りない欲望を甘いロゼのグラスでごまかし合いながら、最上は賭郎立会人の心得を、会員になったばかりの蘭子に説いていた。
「もし私がお屋形様になったときは、貴女を手に入れられるってこと?」
「もしもっていうのはね、仮説が成り立つときに使う言葉なのよ」
 有り得ないと断言されても、鞍馬蘭子は不愉快な顔をしなかった。最上の世界の理がそうだと知れた、今はそれで十分だと、下見に訪れた狩人の行儀良さを見せていた。
 最上の話がどういう事か、実際にきちんと理解するのはもっと後のことになるが、当時の最上も専属立会人の心得を語りながらその実、それがどういう意味合いなのかを理解していなかった。
 鞍馬蘭子には、天与の勝負強さがあった。豪運を引き寄せる度胸があり、他人を踏み潰しても上を目指す貪婪さがあった。修羅場に持ち込むには柔らかすぎる慈悲と義侠心もあった。
 だからこそ、彼女はお屋形様にはなれなかった。
 ただ、女傑鞍馬蘭子には生涯、九拾號立会人〝女王〟最上妙子が侍り続けた。
 これは、非常に稀な、そして恵まれた専属会員と専属立会人の例である。

  

 会員の勝負強さや野心と、立会人の能力は比例しない。──立会人の人を見る目を問われるとはいえ、会員の何に心酔し、納得して、専属を申し出るのか、あるいは専属の要請を受け入れるのかは、立会人が決める。立会人にとって唯一、お屋形様の意思が介在しない自由な領分だ。
 専属の関係は、立会人が拒否するか、会員が会員権を剥奪される──つまり死亡するまで、継続する。
 南方恭次は、己の専属会員の死に顔を、静かな面持ちで見送っていた。勝負に自分の命まで賭けたのは会員の意思だ。南方も止めなかった。何を賭けるのか、その決断に立会人が口を挟む資格はない。できるのは、勝負がいたずらに不利にならないよう、中立を逸脱しない範囲で手を添えることぐらいだ。
 干渉が、必ずしも局面を好転させるとは限らない。会員と立会人の間に信頼関係がなくては、成り立たない。
 会場となった廃屋には、新鮮な血の臭いが充満していた。黒服たちが納体袋を持ってくると、南方が淡々と指示を出す。結果を予想していたような冷静さだ。
「遺体の扱いについては、指示を頂いている。取立の手続きが済んだら、私が遺体を回収に向かうまで、焼却処分はするな」
 遺体から換金できる要素を取り上げられた亡骸は、ほとんどの場合、遺族に元に届かない。ある程度、社会的に力のある人物でない限り、賭郎勝負に踏み込んでしまった時点で、まず失踪者扱いとなる。社会のつながりを絶たれて、孤立する。負けたときの負債回収をしやすくするために、事前に手を打つのだ。
 勝利の先にある富や権力を、近しい人々と分かち合うことはできない。
 しかし、この会員は珍しい例外だ。遺体は荼毘に付し、遺族に届ける。それが、専属立会人である南方の、最後の仕事だった。
 死亡したのは、南方が搦め手のために懇意にしていた警視である。指揮中枢に近いキャリアの南方とは、ある帳場で知り合った。搦め手になってから数年、会員になって半年にも満たない。
 彼が賭郎会員になるまでには、紆余曲折があった。
 
 
 南方は常に、所轄現場で搦め手たちの手先になりそうな人材を物色している。それが、立会人であり警察内部の搦め手である南方の役目だ。
 警視は、主要な所轄の課長クラスに同期も多く、現場に広く顔が利いた。人脈の広さ、口の堅さ、清濁飲み合わせる頭の柔らかさ。そしてほどほどの正義感。賭郎の搦め手として、うってつけの人物だった。
 南方は思う。この警視が会員に成り上がった賭郎勝負が、過ちの始まりだった。
 その勝負で警視が相手取った会員は、勝負相手を負かした後にいたぶる悪癖があり、賭郎のシステムを使ってどうにか抹殺したいと、先代の頃から悩まされてきた老人だった。長らく勝負を所望しなかった老人が賭郎勝負の開催を要求してきた際、右も左も解らない素人を人身御供にするより、見どころのある人間を差し出しては、というので、南方が搦め手から人選することになった。
 そうして、男は老会員に勝ってしまった。
 搦め手の人間が、優秀さを買われて賭郎内部の人員にスカウトされる例はままある。南方自身、警察にいながら立場を見込まれて賭郎入りした人間だ。その警視も同じように、賭郎の空気に馴染み、新しい歯車になれるだろうと、南方は見込んでいた。
 結果的に、大きな見込み違いとなった。
 南方は、警視の正義感を低く見積もりすぎていた。
 権力中枢の上部で、司法の外から、悪でもって悪を制する「倶楽部賭郎」の暗躍。その一端を知った警視は、自分がこれまで荷担してきた様々な指令の、正しい意味を理解した。
 なぜ極秘だったのか。なぜ行政の枠を飛び越えて動けたのか。誰のためだったのか。
 それらの枠組みを知り、彼は激しく後悔した。警察官としての誇りを踏みにじられたと、感じたのだ。賭郎のシステムの深部にまで至ることで、賭郎へ不信感を募らせた警視は、独自捜査を試みようとした。
 南方は、警視を監視するために専属立会人となり、二人は疑心と不信で結ばれた専属関係のまま、何度かの賭郎勝負を勝ち抜いて、──今日、敗北した。
 
 
 納体袋の蓋を閉める黒服たちを、石のような沈黙で見守っていた南方は、ふと空気に涼しさを覚えて顔を上げた。
 気がつくと、廃屋に最低限引いてあった照明機器は撤去され、勝負のために置かれたテーブルを残して、すべて引き払われていた。南方は、片付けの間中、黙って立ち尽くしたままでいた自分に、ようやく気づいた。
 初夏の満月で、外は昼間のように明るい。窓の外れた窓枠から、真っ白な明かりがこうこうと差し込み、賭郎勝負が行われていたときよりも、明るく感じるほどだ。
 南方はこわばった足を踏み出して、瓦礫が掃除されたむき出しの床を、出口に向かって歩き出した。
 これから、遺体処理を行う病院に向かい、火葬場へ送られる遺体に付き添わねばならない。
 警視は独身で、地方には疎遠になった父が一人、残るのみだ。上京してから一度も顔を見せていないという、ほぼ絶縁状態に近い老父にどんな説明をするのか考えようとして、やめた。警察の立場で語る嘘を、老父は空虚に信じて、鵜呑みにすると解っている。南方には、何を聞かれても、見てきたような嘘を滔々と垂れ流せる自信があった。
 傷んだ階段を注意深く降りる。廃屋の二階から下りて建物の外に出ると、黒塗りの車が一台、停まっていた。
 ボンネットに寄りかかった、黒いロングコート姿の男。
「ずいぶんジメジメしとったようやね。気ィ済んだか?」
「……」
 くわえ煙草の門倉雄大が、ポケットに両手を入れたまま、軽く背中を反らす。気怠い表情のまま、顎先を上げて南方を見下す。南方は、まだ節々が強ばる脚をぎくしゃくと動かして歩み寄る。
 門倉は、ゆらりとボンネットから体を離して、向かってくる南方に向き直った。
「死んだのは専属で、お前じゃないぞ」
「わかっている」
「わかっている顔じゃないな」
 門倉が、咥え煙草を吐き捨ててつま先で踏み消す。ぱっとコートの裾を捌いて翻すと、腰だめに拳を引いて、無防備な南方の鳩尾めがけて打ち込んだ。手袋をした拳が筋肉にめり込み、南方の体を内側から揺さぶる。
「う、ぐ、……っ」
 下から思いきり胃袋を突き上げられた衝撃で、南方はくの字になって膝をついた。門倉の重たい拳をまともに食らった胃が、痛みに痙攣する。衝撃を逃がすためにせり上がってきた吐瀉物を、我慢せずに勢いよく戻す。えづいて地面に吐いたものが、門倉の革靴の先にまで飛び散った。
 南方が顔を上げるより先に、門倉の手がむんずと首裏を掴み、身丈の変わらぬ体躯を持ち上げる。ボディに鋭い一撃を受けて膝に震えがくるほどダメージを負った南方は、されるがままに持ち上げられるしかなかった。痛みに歯噛みしながら、片手を振り回し、どうにか門倉の肩を掴まえて抵抗を試みる。
 門倉が黒髪を垂らして、項垂れた南方の顔を覗き込んできた。苦み走り、怒りにこめかみを震わせる南方に、冷淡な一瞥をくれる。おもむろに、南方の吐瀉物と唾液で濡れた口回りを、肩を掴まれた方の手で押さえつけ、握りしめる。
 容赦ない握力で顎を掴まれ、南方は唸り、身をよじった。重量ある体の片足先が浮いて、南方は遮二無二、門倉の脛を蹴り上げようと足をばたつかせる。同時に、口を押さえる門倉の手に噛みつこうとすると、その手が離れた。
 首裏を掴む手も離れ、南方は投げ出される格好で、地面に下ろされた。
 南方はすぐさま、しゃがれ声で吠える。
「門倉おどれ、なにを……!」
「死人と一蓮托生したみたいな、湿気たツラしなや」
 南方が掴みかかろうとするのを、門倉があっけなく撥ねのけた。その手でそのまま、胸ぐらを掴んで揺さぶる。視線を逸らす南方に、門倉は情け容赦なく憐れみを浴びせかけた。 
「そんなに尽くし甲斐がある男やったか? 己の立場も、役回りも理解できとらんような、のぼせた男が」
「違う」
「なにが違う」
 警視は南方と同じ組織の人間だ。同胞と呼べなくもない、門倉はそう捉えているらしかった。相手の勘違いを冷たい自嘲とともに払いのけ、南方は汚れた口の中を、唾と一緒に吐き捨てる。冷ややかな門倉の視線を一瞥すると、襟元を握りしめる手を掴む。
「搦め手として十分使える男だと見込んでいた。実際、奴には適正があった。清濁に融通が利くところまで含めての、適正だ。それが、賭郎の深部を、お屋形様の意図を知った途端、……警察官としての正義とかいうのに、目覚めやがった。あの組織は今や、お屋形様の指先の一つに等しい。巨悪の中の秩序維持を司っている。それを、最後まで理解しなかった」
 だから賭郎勝負を通じて退場させられたのだ。南方は独白する。門倉は冷淡に突き放した表情のまま、黙って聞き流していた。南方の語り草に、欠片も心を動かされていないように見える。沈黙の間で独白が終わったのを確かめると、南方の襟元を締め上げていた手を解き、軽く突き飛ばした。
「つくづく自分が、悪徳警官だと思い知ったわ」
 南方は、よれた襟元を正してから、門倉に言うのでもなく、自分に言い聞かせるのでもなく、俯いたまま呟いた。
「清濁含め、高みに据わる歯車になりさえすれば変えられると思っていた、昔の自分より奴の方がまだ、潔かったかもしれん」
 心の隙から生じた世迷い言だ、南方も自覚している。弱音を漏らした相手が門倉だというのも、ひどく情けない気分にさせられた。誰よりも男振りを誇ってみせたい相手に、一番見られたくない弱さを見せている。だが今この瞬間、孤独に立ち尽くす力は残っていない気がして、口から零れる言葉を飲み込めない。それが、門倉に鳩尾を殴られたせいか、喪ったものの思いがけない重さに打ちのめされたせいかは、南方自身もわからなかった。
 何かに、誰かに、掴まっていなくては、自重と一緒にのし掛かる重さに押し潰されて、己の輪郭を壊されてしまう気がした。
 沈黙が下りる。白けて明るい夜に、しんと立ちこめる沈黙が、南方の両肩にひんやりと寄り添ってくる。
「おどれが、そがな阿呆やったとはのお」
 せせら笑う呟きが、南方の両肩に下りた冷気を吹き払う。南方の、自責と後悔に項垂れた頭を上向かせる。そんな、あっけらかんとした呆れ声をしていた。
 南方は門倉を振り向いた。
 門倉は馬鹿にした笑みで、視線の下がっている南方を睨め下ろしていた。南方が何か言い返す前に、その横っ面を軽く平手打ちした。そうして腕を組み、堂々たる立ち姿で言い放つ。
「おどれの前にいるワシはなんじゃ? 言うてみろ」
 促され、南方は口を開く。
 お前は。
 お前の名前は。
「賭郎弐號立会人、門倉雄大」
「なら、おどれは誰じゃ」
「……賭郎拾陸號立会人、南方恭次」
「ワシらは誰のものじゃ」
「賭郎お屋形様、斑目貘様のもの」
 門倉は白手袋をした片手を握りしめると、どん、と力強く南方の左胸を打ち据えた。
 萎えた心臓を蘇生させる、その力強さ。
 よろめきそうになった南方が、両足で踏ん張る。足裏に地面を、腹の底に力を、打ち据えた門倉の力強さに反発心を、覚える。敗北に打ちのめされるのは、なにも初めてではない。最初の敗北の痛みや、悔しさや、自分を見下ろす門倉の鮮烈な眼差しを、思い出す。
 視線を上げると、門倉の双眸が悠然と待ち構えていた。南方は、着崩れた立会人制服を正し、睥睨してくる門倉に負けじと背筋を伸ばし、顎先を軽く上げる。
「なんじゃ。ちゃんと自分が誰かわかっとるやないけぇ」
「……ぶち殴られて、目ェ醒めたわ」
 遅い、と門倉が舌打ちする。そうして、歯を剥いて笑ってみせる。
 門倉がそのまま助手席のドアに手を掛けるのを見て、南方は運転席に回り込んだ。殴られた鳩尾がまだムカムカする。確かに、運転した方が気持ち悪さはマシだろう。
 南方が乗り込むと、門倉は座席を後ろにうんとずらして、寝る姿勢を取った。徒労感の滲む長いため息をついてから、目を閉じたまま嘯く。
「貸しイチやぞ」
「覚えとく」
 南方が神妙に答えると、門倉は唇を歪ませて、悪びれない笑みを浮かべた。

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