シャッと音を立てて爪やすりを滑らせ、いびつだった爪を指先に収まる形に整えていく。小指の爪の角を削り終えると、鷹山がふと息をついて、加納の手を離した。
「終わったぞ」
丸めていた背中を伸ばしてから、手の中に納めてあった爪のかけらをダストボックスに払う。爪切りと爪やすりを元の場所に片付けようとして、場所が解らず、サイドボードの引き出しを適当に開けて放り込んだ。
一連の動作を黙って見ていた加納が、崩して伸ばした足の先を、鷹山の胡座の上に乗せる。
「なんだよ」
「足は?」
「それは自分でやれ」
鷹山が呆れて、加納の乗っけてきた足首を掴んで押しのけた。加納の笑う気配を聞いて振り向くと、薄明るい室内でも見分けわれる程、はっきりと微笑している。上機嫌の微笑なのか、挑発の笑みかは見分けられなかった。
鷹山がもう一度「なんだよ」と声をかけると、加納は投げ出していた脚を引いて四つん這いになり、ぐっと顔を近づけた。今ではもう、息がかかる近さになっても身構えなくなった。鷹山の無謀場さが、加納の胸をくすぐり沸き立たせ、同時にチクチクと刺す。
鷹山の怪訝な顔をじっと見据えていた加納は、おもむろに口を開いた。
がぶ、と鼻先と上唇に噛みつく。
「っ?」
鷹山が体を引こうとするのを、強く噛みしめて制止した。一度口を離して、角度を変えて口全体にもう一度、噛みつく。鷹山は顎を掴んで、口づけで返そうとした。だが、加納は素早くその手を払いのけた。愛撫の合間にじゃれ合う動きではなく、相手を押さえ込む意志をもった手つきだ。闘いの身振りだった。
加納はそのまま、力強く鷹山を押し倒した。マットレスの下からベッドの基礎部分が悲鳴を上げるのが聞こえる。のしかかり、鷹山の顔のあちこちをかじりながら、鍛えられた下腹部にゆっくり馬乗りになる。内腿から股間あたりの皮膚はまだしっとり濡れて、熱を持っている。何度も射精して最後には透明な飛沫を飛び散らせた陰茎は、大人しく萎えているが、腹の奥はその分熱く爛れているのが容易に想像できる体温をしていた。
鷹山がほとんど無意識に腰のくびれに手をやると、加納はその手も両手で叩きのけた。不満げな態度に、鷹山がため息をつく。
「なんだよ、急に」
「……」
仕方なく尋ねた鷹山に、加納はむっつりと黙り込んだ。
鷹山も、加納がこんな真似をし始めたのか見当がついている。鷹山もまた、同じ記憶をたぐっていたからだ。ただ、甘苦い感傷に浸った自分が気恥ずかしくて、素知らぬふりをしていただけだった。しかし、加納は違ったらしい。懐かしさから戯れたのに、鷹山が快い反応をしなかったので拗ねたらしかった。
(にしても、表情豊かになったもんだ)
以前──それこそ二年と少し前までは、鉱物めいた無表情を読み解けなければ何を考えてるのか解りようのない男だった。今は、黙り込んでいても喜怒哀楽の輪郭をなぞれる。加納の輪郭に人間らしい凹凸を見つけるたび、自分以外の誰かが、何かが、あの鉄面皮に表情を与えたのかと想像して、微かな嫉妬を覚える。加納が自分の変化を余さず見せる数少ない相手に、自分が含まれている事に浮かれる心地もある。
睥睨する加納に、鷹山は仕方なく口を開いた。
「あのな。俺が忘れたと思ってんのか?」
「違うのか」
「むかつくが、お前とああだこうだした事は大概、覚えてんだよ。だいたいあんな事、忘れられるか」
では何故、と言いたげに目を丸くした加納に、鷹山は口をへの字に曲げた。恥ずかしいだろ、と白状するのが悔しくて舌打ちする。答える代わりに上体の力だけで跳ね起きると、加納の頭を片手で引き寄せた。口端から頬への縫い跡が引き攣れるほど大口を開けて、加納の鼻先から口に噛みつく。鋭い鼻筋を加納がしたよりも強く噛みしめると、半分塞いだ口からむずがる含み笑いが漏れた。
加納の腕が首に回るより先に、鷹山が弾みをつけて、胡座の上に乗り上げていた加納を押し倒した。たくましい両脚が、鷹山の腰をがっしりとホールドする。噛みついた口を離すと、次に相手の顔のどこを噛むか、お互いに読み合う格好になった。結局、加納が口を開いて見せた隙をついて、鷹山が口の中の舌に噛みついた。汗のひいたはずの肌が、触れあった場所からぽつぽつと再び熱を持ち始める。
加納は、背中に回した手のひらでひっかき傷を確かめてから、手をほどこうとした。鷹山は小さく笑い、加納の腕を引っ張ってあえて背中に回すように促す。
「好きなだけ縋っていいぜ。もう引っかかれる心配はねえしな」
「なら次は、足の爪でひっかいてやろう」
減らず口を叩いて返す加納に、鷹山は「できるもんならやってみな」と挑発し、腰に巻き付いた脚を腰から腿にかけて愛おしげに撫で、再び滾るものを互いの腹の間に強く擦りつけた。
Muzzle Grab
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