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昔日菜譜

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 その日、帰りは車で送らせずに電車で帰宅した。最寄りの途中にあるスーパーで、庁舎内で走り書きしたメモを見ながら、必要な材料を買う。
 門倉の黒服たちが話していた店を調べてみると、随分昔に忘れた記憶がおぼろに蘇った。行った記憶はあるが、それが家族とだったのか舎弟たちとだったのかは、はっきり思い出せないし、何を食べたのかも覚えていなかった。もちろん、門倉を見かけたかどうかもだ。
 いつも、昔にこだわってるのは自分ばかりと思っていたのが、俺は俺で薄情な真似をしていると知って、それなりに落ち込んだ。
 とはいえ、くさくさしていてどうなるものでもない。今度、門倉が来た時に思い出の味に近いやつを作ってやろう、そう思い立っての買い物だった。
 門倉には合鍵を渡してある。好きなときに勝手に出入りしていい、と言って渡した結果、まあまあの頻度で部屋に来てくれるようになった。気づくと、門倉の私物が収納や部屋の一画を占拠してきていて、このまま門倉の別宅にされてしまいそうな気配がある。だが、断固として一緒に暮らす気はないという。門倉には門倉の、上京以来の生活があるという。
 黒服を着た自分直属の部下を連れ歩く門倉は、群れを率いる美しい猛獣の頭蓋だが、人と群れるのが好きな性分というわけではないらしい。慕ってきた者を自分の傘の下に入れてやる懐深さは、プライベートの親密さと直ちにイコールにはならない。むしろ、舎弟たちにこそ、普段の生活を見せないだろう。
 自惚れかもしれないが、昼間で部屋着のままだらけて過ごしたり、風呂上がりの下着一枚でテレビ前に陣取ったり、酔い潰れて床で寝たり、そういう姿を見せるのは、俺だからなのだと思う。俺に対して肩肘張る必要がないと思っているのは確かだ。打ち解けているとも言えるし、意識されてないとも言える。
 そんな門倉でも、やはり腹の内の、底の底までは見せていない感触があった。明かさなくても、俺らは必要な部分で通じ合えていたし、いい大人の関係とはそうしたものだとも思っている。俺が、踏み込みたい、踏み込んでくれと思っているからといって、門倉に強要はできない。
 この平行線が、一生のうちのなるべく長い時間続いてくれたらいい、そう思っていたのだ。
 店で買い物しているうち、まともに食料品を買うのが何日かぶりと気づいてから、ここ数日間、門倉が部屋に来ていなかった事に気づく。昼飯を一緒に食ったのも、割と久しぶりだった。
(その席で、あがいな薄情をなあ……)
 門倉から昔の話を持ちかけるのは、初めてだったかもしれない。あの店に俺を連れて行こうと提案したとき、そうしても良いと思ったのかもしれないし、考え無しに口を突いて出ただけかもしれない。真意は全部、門倉の胸の内にしかない。
 人間関係は、ちょっとした気まぐれとタイミングで距離が縮まることがある。多分、アレはそういうきっかけになるはずだった。
 思い出として話してくれれば、とも思うが、門倉のプライドが許さないといわれたら納得できる。門倉に対しては、惚れた弱みがある。奴の自尊心を尊重してやりたいし、どこまでも譲歩できる確信がある。釈明ができなくとも詫びるくらいなら出来るだろう。
(わしの料理が詫びになるかは解らんがのう)
 部屋に着いてドアを開けると、玄関と廊下の明かりがついていた。門倉はよく、廊下の電気を点けっぱなしにする。
「門倉か?」
 声を掛けると、「おぉ」と低く伸びた声が返ってきた。昼間聞いた予定からして、来ていると思わなかったので、嬉しさより驚きが勝った。靴を脱ごうとする足が、焦りでもつれる。
 ダイニングキッチンとリビングに繋がるドアを開けると、システムキッチンの前でメモを睨んでいる門倉がいた。
「おかえり」
「ただいま、じゃのうて。急にどうしたんじゃ」
「急なのはいつもじゃろ」
 振り向かないまま答える門倉に、俺はひとまず買い物袋をキッチンテーブルに置いた。ジャケットや鞄をリビングに適当に放り出す。
「まだ帰っとらんかったから、夕飯作ったろう思うてな。ちょっと借りとるよ」
 ネクタイを外して腕まくりしつつ隣に並ぼうとすると、門倉がしっしと手を振って追い払おうとする。
「ええから座っとれ」
「いや。そんなん、手伝うわ。だいたい、冷蔵庫ろくなもんなかったじゃろう」
「そう思うて、いくらか買うてきとるよ」
 答えながら、門倉はメモ書きから目を離そうとしない。俺は横からメモの内容を覗き見た。
 卵4、かに缶、ごま油。水、酒、しょうゆ、鶏ガラスープ、片栗粉。その下に別の筆跡で「野菜・キクラゲ」と書き添えられている。門倉の手元を見ると、水を張ったボウルでキクラゲを戻しているところだった。
 俺はキッチンテーブルに置いた荷物を振り向いた。
「これが足りんかったと違うか?」
 卵パックや野菜炒め用のカット野菜の袋、鶏ガラスープの素を見せる。門倉は俺の顔を見てから、片頬だけ歪ませて笑った。おもむろに冷蔵庫を開けてみせると、未開封の卵一パック、カット野菜の袋が放り込んである。
 どういうわけか門倉も、懐かしの味を振る舞ってやろうと考えてくれたらしい。
「飯は炊いとる」
 炊飯ランプの点灯している炊飯器を見て、思わず笑ってしまった。シャツの袖をまくって門倉の隣に並ぶ。
「どうせじゃ、分担するか?」
「お前、作れるの?」
「難しい料理でもないじゃろ、多分」
 フライパンを並べて答えると、門倉がニタリと笑った気配がした。俺が卵パックとボウルを手に取ると、門倉は野菜炒め用の袋を勢いよく開ける。
 炊飯器から炊き上がりの音がして、俺たちは顔を見合わせた。
「お前が焼きめしと卵。ワシがあんかけ」
 有無を言わさず分担されてしまう。門倉がもうフライパンで炒め野菜を作ろうとするのを見て、思わず待て待てと声をかける。
「焼き飯作る時間がないじゃろ、ちょお待っとれ」
「マルチタスクはお得意なんじゃろ、エリート警視正殿」
 冷やかしながら、門倉が冷蔵庫から焼きめし用に刻んだ野菜とチャーシューを入れた皿を出してきたので、俺はホッと息をついてしまった。
 よく考えると、門倉は一人で三工程の二人前(俺らが食うので三.五人前にはなる)をやろうとしていたのだ。作る前に間に合って、そして分担出来てよかった、そんな安堵に胸をなで下ろす。
 炒飯には一家言あるが、今日はスピード勝負なので下ごしらえを多少すっ飛ばした。ちゃっちゃと焼き飯を作る手つきに、門倉が感心した声を洩らす。
「案外、美味そうじゃの」
「案外は余計じゃ」
 寮生活時代、先輩方に仕込まれた得意料理の一つが炒飯だ。この話はまだ門倉にしていなかったな、と思う。食べる時にするか、旨いと言われてからネタ明かしするか、と考えてから、そもそも詫びるところからだと思い直す。
 一合ちょっと多めの、炊きたての白飯で作る炒飯はなかなか難易度が高い。ぱらっとさせるのに苦心していると、隣の門倉があんかけの味付けを整え始めた。よく煮込まれた野菜炒めからは、鶏ガラと醤油の香ばしい匂いがしてくる。
 門倉がフライパンを揺すりながら、ぽつりと呟いた。
「本当は、覚えとらんのやろ?」
 さりげなく確認する声には、柔らかな諦めが含まれている。俺は、フライパンの取っ手を握り込んで強く前後に揺すり、勢いよく振る。
「スマン。まだ、思い出せん」
 いや。思い出せないのではない、覚えていないのだ。俺は、門倉が見たというその日、門倉に気づいていなかった。少なくとも、高架下で正面きって向き合うまで、門倉雄大と相対したことはないと──何故か、思い込んでいた。とんだ思い違い、いや、関心の希薄さだ。ガキだった頃の自分に、苛立ちや悔しさがこみ上げてくる。そんな男だから、門倉に負けたのは当然だ。
 隣の門倉が、ふと含み笑いを洩らした。振り向くと、俺の自己嫌悪に気づいているのか、目を細めて小さく笑っている。
「大昔のことやし、ワシも全然忘れとったよ。お前が天津飯なんて食べよったから、忘れてたのを思い出しただけじゃ」
 門倉は、黒服たちから話を聞いたと知っているらしい。俺が当時の話を聞いた上で詫びたと、把握している表情だった。
 過ぎたこと──門倉が俺の顔を見に来た、その事実も含めて全部を、過去のひとつに回収してしまおうとする門倉に、俺は言い返す言葉がなかった。そのとおり、過去の事だ。そして門倉は、過ぎた事に拘泥しない男だった。
 ただ、ひとつだけ、話を聞いたときからずっとひっかかっていることがあった。
 肘の触れあう距離のまま、料理の音に紛れる声量で訊いてみる。
「なんで、わしの面ァ、拝もうと思うたんじゃ」
 訊いてから、門倉の横顔を見やる。
 門倉は、懐かしさを手放すような横顔で、野菜を炒め煮たフライパンを見下ろしていた。左側から見る門倉の、眼帯をした横顔はいつも表情が読み取りづらい。今この瞬間もそうだ。読み取れるのは口元に浮かぶ笑みだけ、微かに頬を歪めた表情からはいろんな感情が読み取れそうで、逆になにもわからなくなってしまう。
「さぁな。……同じ真似しとる阿呆がおるなら、面くらい拝んじゃろう、そがいな気まぐれやったかのう」
「……」
「いや。やっぱり、そんときのことはみんな、忘れてしもうた」
 昔のことなど、と小さく笑う門倉から、らしくないアンニュイが伝わってくる。俺はたまらずに口を開こうとした。それを先回りして、門倉が振り向く。
「別にええじゃろ、昔の話は」
 哀感を思わせた笑みは消えていた。気のせいだったのかもしれない、門倉は可笑しそうに俺の顔をまじまじ眺めてから、そんな顔しくさって、と呟く。どんな顔をしていたのか、自分では解りようがない。ただ、門倉が仕方なさそうに笑ってしまう、情けないツラだったのは間違いなさそうだった。
「今、隣におるのに。昔の話がまだ要るの」
 門倉が、おかしそうに口元では笑いながら、真剣な目で見つめてくる。その目を見た途端、こみ上げた衝動に突き動かされて、手を伸ばしていた。横抱きに引き寄せてから、両手で一度、力一杯抱きしめる。俺の情けなさを笑っていた口元に噛みつくと、門倉がびくりと肩をそびやかした。
 門倉とは、何度も体を重ねていた。相手との距離を解り合い、どこか収まるところに収まったつもりでいた。だが、全然そんなわけがなかったと気づく。こんな衝動が、ごうごうと胸の奥で渦巻いているのに、それをまともに伝えてもいないのに、収まるもなにもない。
 激しい欲情の絡まないキスに、俺も門倉も戸惑った。舌を押し込もうと閉じた口をなぞると、門倉は「なんで」と言いたげに口を開き、ぎこちなく舌先を差し込んでくる。お互いに、自分の戸惑いを溶かすように、舌を舐りあう。
 門倉の言葉が、頭の中でぐるぐるとリフレインしている。今、隣におるのに。
(そうだ、隣におるんじゃ、なら話すのでもなんでも、なんべんでも、やりようがあるのんに)
 体を傾ける必要も、かがめる必要もない、ほとんど同じ位置にある顔を撫で、同じくらい逞しい体を抱きしめる。セックスしている時よりも密な空間に、息苦しささえ覚える。口を離して抱きしめた耳元で、ずっとお前に惚れとるんじゃ、と呻く。
「おどれのことは、なんでも知りたい。わしの我が侭じゃろうが、門倉。わしの知らんおどれを、なんもかも教えてくれ」
「……」
 やがて、門倉も手を伸ばしてきて、後ろ髪をくしゃくしゃと撫でる。こんな真似をするのも、されるのも初めてだった。
 自惚れかもしれない、と思って目をそらしていた事実に、実感が追いついてくる。俺にとって門倉が特別なように、門倉にとっても俺は特別な何かだったのだ。多分、十六の時から。
 抱きしめている門倉が、項に少し顔をもたせかけたきた気配があった。阿呆じゃ、と嗤う息づかいがした。そんな優しい囁き方が出来たのかと驚くくらい、ささやかな声だった。胸がいっぱいになる。
 感情のまま腕に力を込めると、門倉が肺を膨らませて笑い声を洩らしてから、回した手で力一杯、背中をつねった。
「痛った!」
「焼き飯、焦げとるよ」
 ハッとする。門倉の手応えに夢中になっていたが、香ばしいおこげの匂いが充満していた。火に掛けたまま放ったらかしになっていたフライパンを慌てて取り上げると、門倉が「あーあ」と呟く。様子を見ると、少し焦げたが台無しとまではいかないくらいで済んでいた。
 香ばしすぎる匂いで甘やかな空気が吹き払われてしまい、壮絶な照れくささが襲ってきた。門倉の顔をまともに見られず、黙々と料理を続ける。
 作った炒飯を取り分けてから、かに玉を作ろうとすると、門倉が冷蔵庫から蟹缶を取り出した。それを見た途端、吹き出す。
「それ、わしも買うた」
 同じ店で同じ物を買っている。一番高そうで一番旨そうなやつ、と思って選んだのを、門倉も選んでいたと知って余計おかしかった。
 笑う俺にむっとしたのか、門倉が蟹缶二つを押しつけてくる。
「いっそ、ワシの買うてきた分も入れたら?」
「卵より蟹が多くなるわ、アホ」
 言いつつ、缶一個はまるごと使った。何しろ卵が2パックもある。卵も蟹もふんだんに使って贅沢なかに玉──正確には蟹缶の卵とじに近いなにかを、二人前作る。
 この部屋で一番大きいどんぶりに、焼きめし、かに玉、と順に乗せると、最後に門倉が炒め野菜入りのあんかけをたっぷりとかけた。かけすぎじゃ、と言いかけたが、やめておいた。多分門倉は店の実物を覚えているのだ。どうせなら再現してほしかった。
「……リビングに持ってはいけんな」
「ほうか?」
「あんかけ絶対溢すじゃろ。ここで食うか」
 散らかした荷物や調理器具をあっちこっちに避けて、キッチンテーブルに腰掛ける。門倉も仕方なしに向かい側に座り、座ってから「れんげ」と呟いた。取ってやろうと俺が立ち上がるのと、門倉が立ち上がるのが同時で、お互いの脚がぶつかってテーブルがガタガタと揺れる。どんぶりの縁からあんかけがこぼれるのを見て、とうとう言ってしまう。
「やっぱり盛りすぎじゃろうが」
「こんくらい盛っとったんじゃあて」
 ようやく落ち着くと、材料だけ豪勢な、素人の天津飯にありつく。熱々のあんかけを上手にかき分けながら、かに玉と焼き飯を頬張る門倉はしみじみと咀嚼してから、ごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。大口で、よく味わって食べる、門倉の食べっぷり。黙って二口目を頬張る門倉に、確認する。
「味、どうじゃ?」
 門倉は口を動かしながら短く頷いた。それが同じ味になっていたのか、結局俺には解らずじまいだった。ただ、こうして向き合って食べる門倉を見ていると、あの町の、どこかの店で、大口で綺麗な食べっぷりの、ツメエリの他校生がいた気がしてくる。髪を下ろして一見、普通に見える学ランの他校生。一度くらいは、見かけたかもしれない。それは、門倉だった気もするし、似ても似つかない他人だった気もする。やはり、俺は覚えていないのだろう。
 だが不思議と、さっき噛みしめた悔しさはなくなっている。門倉の記憶の中にだけある自分がどんな奴だったのか、そのうち門倉から聞ける、そんな気がしていた。
 あんかけを溢れさせないように、慎重にレンゲを差し込んで、底から掬い上げて、口に運ぶ。食べた途端、甘酢あんよりこっちが旨い、たしかにあっちは”にせもん”だと、納得した。ほぼ自分で作った料理なのに、やたらと旨い。門倉と飯を食うようになって何度となく感じている、食事の楽しさそのものの味がした。旨い、と呟く間もなく、どんどん口に運んでしまう。
 対岸の門倉が手を止めて、ふは、と笑う。
「その顔見るんは、二度目じゃのお」
 視線を上げると、門倉はもう料理に視線を戻していた。あんぐり開けた口で、俺と向き合っているこの場とこの時ごと、余さず頬張る。
 俺の知らないその日も、門倉はこんなふうに食べていたに違いない。俺の記憶ごと、ごっそりたいらげて帰ったのだ。なにも思い出せないのに、何故かそう確信していた。

 
 

[了]
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