「ごちそうさま」
「ご馳走様でした~」
対岸の二人が満腹の晴れ晴れした顔でそう言った。さすが高級焼肉店、二時間近く焼いては食べてしつづけた卓上は、脂のにおいが漂っているものの、煙たさは皆無だ。
掘り炬燵の後ろに手をついて腹をさする能輪巳虎、弥鱈悠助の二人に、対面の南方は苦い顔をした。
「奢りだからって容赦なく食ったな、アンタら……」
「そりゃ、奢りですもん。容赦する必要あります?」
口直しに水を含んで飲み下した弥鱈が、あっけらかんと言い放つ。弥鱈の視線が、斜向かいの南方から正面の門倉に向いた。
「門倉立会人はあまり召し上がらなかったようですが、もうお歳だからですかねえ?」
「奢ってもらっといてその口の利き方、育ちが知れますよ。弥鱈立会人」
「門倉立会人の度量に応えようとしたまでなんですが~」
嘯く弥鱈の嫌味を、門倉はせせら笑って受け流す。吐き出す紫煙は席上に設置された換気扇にあっという間に巻き取られていく。
先日、門倉が担当した立会は規模に比べて準備期間が短く、門倉の黒服以外に立会慣れした人員が必要になった。手の空いていた弥鱈と巳虎に手伝いを頼み、今夜は返礼とねぎらいのため、焼肉を振る舞っているのだった。
好きな店でいい、と丸投げしたのか失敗だった。おかげで、門倉も滅多に来ない高級店で食べ放題のような食べ方をされている。
今回、立会云々に無関係の南方は、門倉から「肉食いに行こうや」と誘われ、何の気なしの二つ返事で受けてしまった。店に着き、弥鱈と巳虎の二人がいるのを見て、自分が呼ばれた意味を悟った。多分、巳虎の分くらいは自分が支払うことになるだろう。多忙にかまけて、出世に関係ない散財はろくにせず、貯金だけは唸るほどある身分だ。若人の胃袋一人前くらいは屁でも無い。
だが、久々に門倉と下町の焼肉店で差し呑みできるかと期待していたので、その点だけ、肩透かしだった。
「ああ、お財布を気遣って召し上がらなかったんですねえ」
「ウザ絡みやめーや。財布なら連れて来とるじゃろ」
門倉が手を振って、隣の南方を指し示す。
「半分しか出さんぞ」
「チッ……ケツの穴の小さい男じゃな。ああ~、官僚のケチくささに染まりすぎているんじゃないですか? 南方立会人」
「売るなや。もう腹ァくちたんなら、会計するぞ」
門倉に紫煙を吹きかけられ、南方は閉口気味に片手であしらった。まったりしている年下先輩立会人の二人を一瞥し、会計しようとコールボタンに手を伸ばす。
「あ、待ってください。能輪立会人、いけます?」
「お。そうだった。オッサン、デザート頼むわ」
「はぁ?」
「ここのシャーベットが絶品だって書いてあったんですよぉ、食べないで帰るのはナシでしょう。そちらも、デザートくらいならお財布も胃袋も大丈夫では?」
目を細めて言いやる弥鱈に、南方は呆れ気味に溜息をついた。まだ入るという、若人二人をちょっとだけ羨ましいと思ってしまう。
「南方、ワシも」
隣から門倉が当然の顔で注文してくる。年功序列の組織に長く居すぎて麻痺しているが、世の中には実力成果主義の組織は山ほどある。賭郎も例に漏れない。一番下っ端の自分に意見する余地はないと諦めて、コールボタンを押した。
「わかったわかった、全員分な」
押してからしばらくして、弥鱈は號数も年齢も下では、と気づく。言ってやろうかと振り向いた瞬間、携帯に視線を落とした弥鱈が言いやった。
「私は自分都合で弐拾八號に収まっているだけですし、実力に関しては以前の卍で披露したはずですが」
「……」
先手を打たれて黙り込む南方に、門倉が横から呟いた。
「ソイツの相手しとると、悪態が無限に返ってくんぞ。悪態と唾玉はなんぼでも出てくるけな」
「そういうことです」
澄ました顔で門倉の嫌味を肯定する弥鱈に、南方は降参の意味をこめて片手を上げた。
デザートも食べ終え、やっと会計の段になり、南方がカードで支払いを済ませる。時刻は二十三時を回っていた。各人の都合で二十一時頃から始まったのだが、この時間までまったり呑み交わす間もなく、ひたすら食べ続けていたことになる。改めて、弥鱈と巳虎の健啖ぶりに呆れとも共感ともつかない感慨を覚えた。多分、十年前なら自分も同じくらい食べていたはずだ。
先に座敷を出た三名は、律儀にも店先で待っていた。自分が来るのを待っていたのかと思いきや、弥鱈が携帯を切って巳虎に「タクシー来ますけど」と告げる。二人は車で帰るらしい。
「お二人は? 乗っていきます?」
「車代までせびられたらたまらんわ」
弥鱈の提案を門倉がしっしっとあしらった。
南方にとって癪に障る年下の先輩格だが、門倉にとっては年下の後輩にあたる。三人で語らっている様子は、職場の先輩後輩にしか見えない。
門倉は、年下や後輩や目下の人間に対して、面倒見の良いところがあった。ヤンキー気質の一端とでも言えばいいのか。任侠と利己を抱き合わせたような感覚だ。頂点であると認めさせたあとは、足下の連中を利害が一致する限り、面倒を見る。ヤクザにおける「親子の情」ほど形式的でなく、門倉の気分次第でどうとでもなる、理不尽なルールだ。ただし、理不尽に釣り合うだけのカリスマが、門倉にはある。
とはいえ、弥鱈も巳虎も立会人をやっていける程度に、強く歪んだ人間だ。門倉の年下かわいがりを素直に受ける性格ではない。
「のう、南方。お前も歩いて帰るじゃろ」
「ええけど」
会話の外にいた南方に門倉が呼びかける。店の正面は、隠れ家を演出してか照明が絞られ、看板らしい看板もなく、四人が佇むあたりはほぼ真っ暗だった。そんな暗がりでも、門倉が笑っていると南方には伝わっていた。あまり食べず呑んでばかりいたせいか、ほろ酔いの上機嫌な気配がある。
南方は歩み寄り、領収書を門倉に手渡そうとした。
「ん、後でな」
南方が黙って差し出した紙を、門倉は一瞥しただけで、さらりと受け流す。
(これは踏み倒されるな)
しれっと全部奢らせるつもりらしい門倉に、南方は黙って領収書を折りたたんで懐にしまった。
門倉は弥鱈を呼び寄せ、今回の立会準備についてあれこれと話し始めた。半分助言、半分説教のような話を、弥鱈は一定のリズムの相槌で聞き流している。
「あいつら仲いいな……」
「仲いいっつうか、じゃれつく弥鱈の相手する律儀な奴が少ないってだけだろ」
いつの間にか隣に来ていた巳虎が、南方の独り言を拾った。振り向くと、煙草をくわえて手持ち無沙汰な様子だ。火を付けろ、と暗に促されているのに気づいて、南方は自分の煙草を取りだした。自分の一服ついでの形で、巳虎に火を貸してやる。
「最近の警察は吸わないって聞いたけどな」
「場合によりけりです」
南方は肩をすくめた。何度となく止めようと試みては、断ち切れずにいる悪癖だ。門倉と付き合いが戻ってからは、ますます禁煙が遠のいている。
巳虎は深く一服してから、門倉と弥鱈の方を見やったまま呟いた。
「アンタと門倉立会人の因縁は聞いてるぜ」
「それは、どうも」
「前からちょっと見てたが、門倉立会人の言いなりだよな、アンタ。負けた相手の犬になるのは、ヤンキー社会の鉄則かなんかか?」
南方はちらりと巳虎を見やる。巳虎も南方の澄ました顔を見ていた。弥鱈が門倉にウザ絡みしているように、巳虎は自分に絡んで、タクシー待ちの時間を潰すつもりらしい。南方は目を細め、門倉たちに視線を戻した。
「別に、そういうつもりはないですよ。持ちつ持たれつの間柄といいますか……まぁ、坊ちゃんには分からん世界の話でしょうな」
売るつもりなら買うぞ、と言外に滲ませて慇懃に応える。巳虎が一息、大きな紫煙を吐き出すと、口を歪めた。
「アンタ、立会人のくせに警察の臭いがしすぎるな。壱號立会人が嫌ってる臭いだ」
南方はその言葉に喉奥で笑いそうになってしまう。巳虎が爺ちゃんっ子という事実は、賭郎で広く知られているが、こんなときでも隠さないあたり、世襲の閉じた育ちの良さを感じる。能輪立会人の表の顔は、有能な経営コンサルタントであり、自身も会社を経営する実業家である。表から見ると、巳虎は美年の事業を継ぐ後継者で、まごうことなきお坊ちゃんの立場だった。
世間の世襲官僚・政治家に比べれば広い視野を持っているかも知れないが、生活の感覚は庶民と大いにズレている。巳虎の背景は、南方に馴染み深い生活感覚だった。
「アンタ、いけるクチだろ」
巳虎がラケットを振るフォームをしてみせる。ぱっと見、テニスに思われそうなフォームがスカッシュのものだと、南方はすぐ見抜いた。
スカッシュは、二人で壁に向かって打ち合いラリーを繋ぐ競技で、屋内で行われる。閉じた空間で行われるため、密談向きのスポーツといえる。南方は、警察キャリアとして横の人脈を広げるのに、年頃の近い連中と何度かプレイしたことがあった。そういう付き合い抜きに、好きなスポーツでもある。
「立会人の心得を教育してやるから、付き合えよ」
「いいですね。是非」
「アンタの方が都合つかないだろ、予定送れよ」
ぐいと指を突きつけてきた巳虎は、どことなく嬉しげな表情をしている。話の通じる相手だとわかって喜ぶ、素直な表情だ。南方はふと可笑しい気持ちになった。
(これはもしかしなくても、懐かれとるんかのう)
「タクシー、来ましたよぉ」
絡みにいって逆に門倉に絡まれていた弥鱈が、辟易した顔で巳虎に呼びかけた。店に向かってゆるゆる近づいてくるヘッドライトがひと組、あっという間に店の前に横付けされる。
巳虎は半分も吸っていない煙草を携帯灰皿に押しつけ、弥鱈の方に早足に立ち去る。タクシーに乗り込む前に一度、南方を振り返ると、「連絡しろよ!」と念を押した。
二人を乗せたタクシーが走り去ると、その場にぽかんとした沈黙が残る。
ざりざりと革靴でアスファルトを踏みしめながら、門倉が歩み寄ってきた。
「能輪の坊と、なに話とったん?」
珍しい取り合わせが気になったのか、門倉が尋ねてくる。南方は軽く肩をすくめつつ、付き合いで吸った煙草を消した。
「売られたん、言い値で買うただけじゃ」
可笑しそうに答える南方に、門倉は怪訝に顔をしかめて「なんじゃそれ」と呟いた。
