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夜間周遊

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 焼肉屋に一番近い地下鉄の駅までは徒歩十分もかからない。だが門倉は、最寄りから駅一つ分、歩きたいと言い出した。
「それはええが、お前、終電は」
「お前んち泊まればええじゃろ」
 なんならタクシーを捕まえるか、と言いだしそうな南方に、門倉は先回りして答える。僅かに困惑する間があってから、それは構わんが、と語尾を濁すような答えが返ってくる。
 焼肉屋があったあたりから最寄りまでは、官公庁やオフィスビルが建ち並び、深夜は街も通りも完全に死んでいる。時々、流しているタクシーがものすごい速度で走り抜けていく以外に、車通りもほとんどない。だだっ広いだけの幹線道路沿いには、一里塚よろしく、コンビニのまばゆい照明が、ぽつりぽつりと灯っていた。
 門倉は、隣あって歩く南方に何を話しかけるでもなく、ただ無言でそぞろ歩いている。門倉も南方も、立会人制服ではなく、普段仕事で着ているスーツを着ている。門倉はダークグレーのジャケットに濃い臙脂色のシャツ、ネクタイは派手な柄物だが眼帯は模様のないシンプルなものを着けてきた。南方は淡いグレーのジャケットにネイビーのシャツでノータイ、オフの格好をしている。昼間なら、仕事仲間か同僚が肩を並べ合っているように見えるか、もしくは、そういう筋の人間同士の付き合いに見られたかもしれない。
 しかし、二人が歩く通りは本当に、人っ子ひとり、通らない。
 最寄り駅の入り口を過ぎ、さらにまっすぐ、道すがら歩く。
「あんまり食べとらんかったな」
「んー?」
「わしと行くときはアホほど食うじゃろ。遠慮か?」
 南方の問いに、門倉はフフッと胸を揺すって笑う。
「あの場で、誰に遠慮するいうん。お前か? 弥鱈たちか? 単に、アイツらの食いっぷり見て食欲が失せただけじゃ」
「ならええけど」
 対岸の二人が高級和牛を次々焼いては腹に流し込む様を肴に、門倉は焼酎や日本酒をちんたらと舐めていた。たまに肉をつまみつつ、舐めるように呑みつつ、時々横顔を見やる南方の視線を感じていた。南方がそれとなく焼いて寄越した肉を、巳虎が無頓着に攫っていくのにも口を挟まなかった。網を焙る炭火の熱と同じくらい、南方の視線を左頬で熱く感じていた。向き合っているときにはない、他人を交えた場で時々感じるまなざしが、門倉はだいぶ前から好きだった。
 今夜呼び出したのは、別に財布が目当てではない。いや、それもあったが、久々に南方のほのかな嫉妬を感じたかったのだ。
「そういうお前も、そんなに食うとらんのと違う?」
「連中の食いっぷり見てたら、おちおち自分の分まで頼めんわ」
 南方は渋い顔でそう言うと、あ、と思い出したように懐から札入れを取り出した。抜き出した領収書を門倉の胸元に突きつけ、ジロリと鋭く睨み付ける。
「ほれ。折半やぞ」
「渋ちんじゃの~、気前よう奢らんかい」
「おどれの始末の支払いを、なんでわしがするんじゃ。今回は折れんからな」
「チッ……これじゃけぇ、宮仕えはのお」
 仕方なく領収書を引ったくり、丸めて懐に押し込んだ。払えよ、と釘を刺してくる南方に思わず笑ってしまう。
 駅一つ分、移動しただけで通りの景色は大分変わっていた。やはり変わらず煌々と一定間隔にあるコンビニの他に、深夜営業している居酒屋、様々な店舗が詰まったテナントビル、ビジネスホテルなど、営業中の店舗がぽつぽつ増えていく。巨大なオフィスビルの死骸をとりまく明るさは、昼間の賑わいとは別の活気を、通りに吐き出していた。明るい通りにきてようやく、門倉は隣の南方を振り向く。店の軒先や看板をなんとは無しに見ていた視線が、すぐ門倉の眼差しに気づいて振り向く。
「なに?」
「いーや。……ほうじゃ、ラーメン食うて帰ろうか。腹ァまだ入るじゃろ」
「ええけど、太るぞ?」
 快諾と言いがたい返事を返す南方に、門倉はニタニタと目を細めた。
「その心配、おどれだけしとったらええよ。ワシは、なに食うても肉つかんし」
「せせろーしいわ」
 事実、同じだけ食べても南方のほうが体重にはねやすい。そういう体質なのだ。門倉がちょくちょくからかうので南方は気にしているが、門倉としてはストレートで重量ある体格は、それはそれで武器なので気にしなくていいだろうに、と思う。戦闘スタイルが同じ人間ばかりいても、組織として多様性に欠ける。何より、河原で本気の殴り合いをしたとき、易々と投げ飛ばせなかった南方の重心に、記憶の中でずっと、一目置いていたのだ。つまらない見栄で変節されては面白くない。
「おどれはどっしりしとった方が様になるよ」
「褒めとるんか? 売っとるんか?」
「褒めとる、褒めとる。おっ。あの店、空いとるな」
 食ってかかってきた南方をたしなめつつ、目に付いた町中華の暖簾を指差す。南方の返事を待たずにさっさと店に向かうと、さっと引き戸を開けた。暖簾と戸口を屈むようにくぐって入ると、店内は思ったよりも混雑していた。何軒かはしごしたと思しきサラリーマンや、風俗業の人間らしい派手なスーツの客が、テーブル席を埋めている。
「カウンターでお願いします」
 後から入ってきた南方と並ぶと、狭いカウンターに収まるには上背がありすぎる二人組だ。店主も少し戸惑った顔をした。構わず、門倉は南方に顎をしゃくって、入り口に一番近いカウンターを陣取る。入り口を背にした二人分のスペースは、少し余裕をもたせてあったが、二人が収まるとみっちり埋まってしまった。
 文字だけの手書きメニューを裏表とめくり、門倉が目配せする。南方は「お前とおんなじでいい」と適当に言い返した。
「チャーシュー麺大盛り二つ、ビールグラスで二つ、あと餃子二人前」
「……」
 はいよー、と店主が景気よく応じ、店員が水とおしぼりを持ってくる。
 ラーメンだけで済まさなかった門倉に、南方が無言でじろりと視線を寄越した。責めるような呆れたような目に、門倉が「なんじゃ」と澄ました顔で返す。
「わざとか?」
「腹ァ減ったんじゃ。餃子、無理やったら食べんでええよ」
「いや、食うけど……」
 南方の言い淀んだ返事は、テーブル席の方で沸いた笑い声にかき消された。
 他の席では、酔っ払い特有の声量がめちゃくちゃな会話と笑い声で溢れていた。サラリーマンたちは会話になっているかも怪しい上司の話を部下達が適当に流して笑っている。奥テーブルでホスト風の若者たちが店員に追加注文しながら絡んでいる。店の一番奥に壁掛けテレビがあり、深夜バラエティがうっすらしたBGMとなって、がなり声や笑い声の隙間を埋めていた。店主が鍋を振る音と一緒に、店内は明るい音の濁流がぐるぐると巡っている。どの客も、門倉たちの出で立ちを気にしていなかった。
 少し前にいた焼肉店の静かな個室と真逆の空気に、南方は長々と息をつく。
「門倉、こういう店好きなんか」
「特に好きってわけじゃないが」
「お高くとまった店よりは好きだろう」
「そうじゃね。来る相手にもよるが」
 喧しい店内のおかげで、逆に肩を寄せ合って喋っていても違和感がない。門倉は頬杖をついて、隣の南方を振り向く。
「それで、どうなんじゃ。最近」
「なにが」
「立会人になって、ちょっとは視野広がったか?」
 門倉がわざと上から目線の物言いで尋ねると、南方はひと睨みしてくる。その視線を、そのまま手元に戻して、手を開いたり閉じたりしてから、低く呟いた。
「まあな」
「なに、はっきり言え」
「面白いとこに来れたんは、間違いない」
 少し悔しさを滲ませて答える南方に、門倉は軽く背中を叩いて笑った。
「ほうじゃろ。二足わらじで付いて来られるかと思うたが、杞憂やったな」
「それは本当に杞憂じゃ」
 肩を並べている後ろから、餃子を持ってきた店員が面倒くさそうに「餃子です~」と声を掛けてくる。ぱりっと香ばしく焼けた餃子を見て、注文に閉口していた南方の方が、ちゃっちゃと箸と取り皿を配って、先に口を付けた。さも旨そうに餃子を頬張る南方に、それみたことか、と門倉は黙って笑う。
 そうしている間に、ビールも運ばれてきた。門倉も、うんと冷えたビールを飲み干し、餃子を頬張る。
 気がつくと、南方の皿の餃子は残り一つになっていた。黙って、自分の分を一切れ乗せてやる。南方は見とがめるや、すぐさま門倉の皿に戻して「それは要らん」と渋い顔をした。食べ過ぎたと後悔している顔だ。この後にラーメンが来るのを、思い出したらしい。
 ビールを飲み干して、突き返された一切れを頬張る。間を置いてから、ぽつりと告げた。
「ワシものお。最近また、面白うなってきた」
「なにが」
「色々じゃ」
 雑に濁した答えに、南方が視線だけちらっと振り向くのが分かった。探るような視線に、門倉の口元がうっすら笑みの形に歪む。
 南方が賭郎立会人の姿で自分の前に現れたとき、なんとも形容しがたい閃きがあった。欠けたまま、無い状態が当たり前になっていた空隙を、これ以上なくぴったり嵌まる存在感が収まった心地。
 門倉は自分自身を己のみで十全と考えていた。黒服たち──元を正すと地元で率いた舎弟たちは、門倉にとって手足や耳目の延長であって、己の一部ではない。群れは、自分の存在を拡張するための群体で、門倉雄大のかたちはつまるところ、門倉雄大に収束する。自分は己のみで十全、その感覚は疑いなく真実だ。
 しかし、十全だという門倉の主張には、反証がなかった。強さは反証を得て、より強靭になる。ロジックにおいても、暴力においても、それは同じだ。門倉はずっと、対岸から同じ主張、同じ強度で殴りつけるに足るものを、欠いていた。
 存在の反証が、あの街に置いてきた南方恭次であると、門倉も分かっていた。本当の意味で負けた男は、南方だけだった。
 門倉があるべき己に立ち戻るきっかけはいくつもあったが、うちの一つが南方の賭郎入りだったのは間違いない。南方恭次という反証を得て、門倉の血肉は新たな代謝を得た。
 今こうしている間も、門倉は自分の血肉が新しいものにどんどん作り替えられている手応えを感じている。肩や腕が触れる距離にある南方の、体温や呼吸、共感覚を通して感じる彩りが、門倉の缺けた場所を埋めていく。満たされる感覚と漲る感覚が、門倉の左瞼の裏で明滅している。
(ワシがそうだったように、南方も賭郎におれば変わっていく、コイツが変われば、ワシもまた変わるかもしれん。それも、面白い)
 ふと、南方がタクシー待ちの巳虎と話し込んでいた様子を思い出した。
「能輪の坊ンに、売られた言うとったな。そう言えば」
「年上の新人をいびりたいんと違うか? サツが嫌いそうじゃった」
 答える南方の横顔を見やる。うっすら嗜虐の冷たい笑いを浮かべているのを見て、コイツは、と内心で苦笑いした。舐めてきた相手をそのままにしておけないところ、自分とそっくり同じ精神構造をしている。
 育ちは違っても、時代と土地柄が同じなら、似た構造になるのかもしれない、と思ってから、首を振った。
(いや。誰でも、ではないな。あの町であそこまでしたんは、ワシの他にコイツだけやった。だからコイツならと思うた、……コイツならワシと真っ向勝負すると)
 ふと過ったノスタルジーに首を振ると、一応、忠告しておく。
「能輪立会人が警察嫌いじゃけえ、爺様の薫陶を素直に受けとるんじゃ。ほどほどにしたれよ」
「おどれよりは世渡り上手やけぇ、心配いらん」
 言いながら薄ら笑ってビールを呑む南方の顔は、迷宮のときに見た、冷ややかな面持ちだ。こういう顔をする南方を見ると、自分の対岸に立つのはこの男でなければ、という気持ちが新たにこみ上げてくる。
 能輪巳虎は、南方恭次がどういう人間かまだ知らない。どこでどんな勝負をするつもりか知らないが、自分の居た拾陸號に収まった理由をいくらか思い知るだろう。その様を想像すると、ほくそ笑みが浮かんでくる。
「さすが坊ちゃん、スカッシュできるらしくてな」
「なに?」
「おどれは知らんか。壁打ちでラリーする……」
 剣呑な勝負かと思いきや、なにかのスポーツ交流めいた話になり、門倉はがくりと項垂れた。
「ただの、坊ンのお守りやないか」
「ボーイズクラブの文化っちゅうもんがな……おどれにはわからんじゃろうなァ~」
 南方がしたり顔でろくろを回し始めたところに、店員がラーメンを持ってきた。
 大盛りのどんぶりだったが、門倉たちの前に置かれるとそれなりのサイズ感に見えてしまう。店員が餃子の皿ごと割り箸を下げてしまったので、南方が新しい箸を手渡してきた。門倉は雑に髪をくくり、南方はジャケットを脱ぎ、手を合わせてから、黙々と麺を啜り始める。
 さっぱりした醤油味のラーメンは、特別旨いわけではない。ありふれた味だった。そこまで空腹でもない。しかし、不思議とするする腹に収まっていく。門倉が途中でレンゲを取り、隣を見やる。南方は分厚いチャーシューにかぶり付いて、何度も頷きながら噛みしめている。旨いらしい。
「聞いてもええか」
 麺を啜り、スープを飲む合間に、南方が話しかけてきた。答える代わりに一瞥くれてやる。
「わし連れて人と呑みいくと、帰りにラーメン誘うじゃろ」
「ほうか?」
「結構食うたときでもしとるぞ。……前から、不思議やった」
 何故、とは言わず遠回しに尋ねる南方に、門倉は箸を止める。
「さぁ……なんとなく、そういう気分になるんよ」
「どういう気分じゃ、それは」
 可笑しそうに言い返して、南方が音を立ててスープを啜る。なんでも門倉より早く食べ終える南方は、ラーメンをもうほとんど食べ終えていた。門倉はチャーシューをしばらく噛みしめて味わってから飲み込み、南方を見やる。
「こういうの、お前が来るまで無かった時間やからのぉ」
「?」
 上京し、賭郎入りし、號をもらい立会人となり──その間、門倉を慕ってついてきた者、門倉が信頼できると見込んで召集した者、新たにこの街で門倉の元に集った者、腹蔵なく話せる舎弟、部下はいた。彼らは門倉を崇めて集った信奉者たちで、どうやっても対等にはなり得なかった。どれだけ気心知れた間柄になったとしても、はっきりした一線がある。
 門倉は部下たちの人生を掌握している。だが部下たちは門倉にけして影響しない。門倉が死ねと言えば死ぬしかない。その冷徹に怯んで裏切る者も皆無ではなかった。一方的な支配と恭順が、門倉をとりまく主な関係性だった。
 深夜に、気兼ねなく肩を並べ、旨いとは限らない適当なラーメンを啜る。そんな間柄になれた人間は、今や片手で数えられるほどしかいない。
 親友と呼べたかもしれない唯一の立会人・目蒲鬼郎を亡くして、対等な存在は過去形になった。そして南方と再会し──紆余曲折あって、南方は賭郎に来た。その後、屋形越えの前哨戦で、お互い死線をくぐり抜けて生きて戻り、こうして肩を並べている。
 門倉は、このひとときを長く手放さずに済めばいいと、思ってしまっていた。そう思ってしまう程度に、南方に強い執着を抱いている。
(……なんて、おどれに言えるわけないじゃろうが)
 門倉は、うっかり踏み抜いてしまった感傷ごと、どんぶりの中身を啜った。ふと息をついて隣を見ると、南方は食べ終えてこちらを見ていた。門倉の感傷を見抜いているのか、心中を探るように見つめている。聞くに聞けない苦い面持ちでいる南方に、門倉は思わず、ふは、と口を開けて笑った。
「どういう顔しとるんよ」
「どう、……って、別に。急に黙りこむから、どうかしたんかと」
 はっきりは切り込めずに口ごもる南方に、門倉はおもむろに手を伸ばして頬をつまんだ。だいぶ力を入れて、うにうにとつねる。顔をしかめ、されるがままになっている南方に、門倉は目を細めて答えた。
「別に、どうもせんよ」
 ふと近づいた距離から体を引く。伝票を持ってカウンター席を立つ。門倉が二人分の支払いを済ませて店を出ると、戸口からこぼれる灯りの影で、南方がじっと待っていた。まだ何か言いたげな面持ちで見つめてくる南方に、門倉は短く瞬きする。
(おどれっちゅう男は、本当に……)
 黙ったまま隣り合って歩き出し、店の灯りから離れたところで門倉は立ち止まった。
「どうした?」
 振り向いた南方の肩を掴むと、その鼻先に鼻面を突きつけて、緩く口を開く。脂でべたつく唇に噛みつき、スープやラー油の味が残る舌を、同じ味がする舌でくるりと舐りつつ、唇を甘噛みする。南方は、ぎょっとして体を強ばらせたが、口づけあう数呼吸の間に力が抜け、抱きしめたそうに片手で肩を掴んでくる。押してくる力が増す手応えを十分堪能してから、門倉から顔を離した。
 不意打ちのキスに南方が何か言い返そうと口を開く。だが、言葉が出てこないようで、ただ口をパクパクとさせるばかりだ。その口元を、門倉は押しやった手でぴたぴたと叩いた。
「おどれが心配してるようなことは、なにもない。じゃけえ、そんな顔しなや」
 そう言い含めると、門倉は短い髪をぐしゃぐしゃと撫で回してから、先に歩き出した。すぐに追いついてきた南方が、何か言いたげな態度と眼差しを向けてくる。隣から伝わる気配のやかましさに、門倉は含み笑いを洩らす。
「まったく、たいぎい男じゃなあ」
 笑いと共に溢すと、雑に南方の肩を抱き寄せる。そうしてそのまま、もつれるように駅へと歩いていった。

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