虚が活性化する盂蘭盆会の四日間は、持ち回りで現世への出撃が続くため、隊舎に泊まり込む死神が多い。もともと隊舎側の貸し長屋に住んでいる隊士はもちろん、隊舎通りから離れた場所に住まいを持つ席官や、檜佐木のように寮住まいの者も、隊舎の別棟にある仮眠室を利用する。
四日間、隊舎通りは出撃を待って詰めている死神で、普段より賑わう。勢い、通りの近くにある飯屋・居酒屋は大繁盛だ。
大規模な警戒期間とはいえ、例年のことで、対応の手順はほぼ定まっている。なので、各隊の隊長格は隊舎の近くに構えている自宅に戻り、いつも通りに登庁する。
しかし、六車は隊首室に詰めていた。副隊長の檜佐木が隊舎に詰めているのだから、自分も残るというわけだ。新しく赴任した隊長が
隊を三分して各日で担当決めしてあるため、今日の担当だった隊士たちはさっそく飲みに出かけたらしく、帰還してしばらくは騒がしかった隊舎は全体的に落ち着きを取り戻し、定刻過ぎの静けさに包まれつつあった。
六車は珍しく思案顔で頬杖をつき、中庭の見える窓を睨んでいた。
六車には、隊長として行動に自負と自信がある。なければ隊長職に復帰していない。今日、檜佐木を筆頭に浮き足だっていた部下を叱り飛ばしたことを、後悔していない。反省する話でもないと思っている。
だが。
(祝いの日に水を差したのは、間違いねえしな)
六車は腹をくくると、席を立った。隊首室を出て、向かいの副隊首室の戸を、合図なしに開く。
部屋は無人だった。副隊長の職務を六車が兼任しているため、他隊に比べて副隊首室の空気は閑散とし、人の気配の名残もない。以前はまめに詰めていたのだろう、放置されたままになっている戸棚に、業務に必要な冊子、古い年鑑、下ろしていない用紙の包みなどが収められている。机は綺麗に片付けられて、筆箱も文箱もない。今の檜佐木は、副隊首室ではなく編集室が根城だった。
檜佐木を筆頭に瀞霊廷通信に関わる隊士たちは、この時期だけは編集業を休む。死神の本業が忙しい時期に、副業にかまけている暇はない、という方針だ。六車は自分への気兼ねかと思ったが、編集要員の隊士から、東仙が隊長だった時からそうだと聞いて、なぜか胸をなで下ろしていた。
六車は、瀞霊廷通信ついて、ある決意をしている。
六車たち仮面の軍勢が藍染一行に対して復讐の刃を研ぎ続けている間、檜佐木は瀞霊廷の正義と安寧を信じて、人々に知識を広める活動に励んでいた。
護廷のために。尸魂界のために。死神の本分として掲げた意志に、自分とは真逆の姿勢で続けてきた仕事。
東仙と共に築き上げた、死神の本分からかけ離れた仕事。
瀞霊廷通信の業務は、自分が絶対不可侵でいるべき檜佐木の最後の砦だ。六車には、そのように見えていた。
もしも東仙要のことで、上司部下として上手くいかなくなったとしても、瀞霊廷通信に不干渉を貫けば、檜佐木はきちんと弁えた距離を探りだして、副隊長として接してくるはずだ。
六車は、檜佐木の死神としての立ち振る舞いや、有事に対する冷静沈着さを高く買っている。六車が相容れない隊長だったとしても、死神として私情を殺して向き合える男だろう。そのためにも、編集室に自分は進んで立ち入らない。
六車は誰に話すでもなく、そう決めていた。
とはいえ、檜佐木は編集室に立てこもりはしない(締め切りに追われて引きこもることはあるが)。用事があって訪ねる六車を、いつでも快く迎え入れる。編集の仕事について、なにくれなく相談もしてくる。なんなら、関わって欲しいと言ってきたことさえある。
極力立ち入らないというのは、六車が勝手に決めた自分なりのけじめにすぎなかった。
六車は、隊舎の離れにある編集室を訪ねるとき、いつも自分でつけたけじめと向き合い、苦い心境に陥る。この距離が隊長として本当に正しい判断だったのか。この一年ちかくの間で、確固たる自信が薄れつつある。
(俺らしくもねえ。テメェで決めたことに、うだうだと……)
思わず舌打ちした。眉間に力が入っていると気づいて、短く首を振る。
『そんな怒りんぼの顔ばっかして! けんせーは、だからみんなに遠巻きにされてるんだよ!』
久南の本気の忠告が脳裏にありありと蘇ってきて、腹の底がぐっと煮えそうになる。久南は、自由奔放で手に負えない仲間だが、半面、誰より六車の長所短所を知っていて、ストレートにぴしゃりと言ってのける。単純明快で容赦ない忠告は、六車にいつでも、むかっ腹と納得をもたらしてきた。
(人相が怖ぇくらいで、ああだこうだするタマじゃねえだろ、修兵は)
離れに続く飛び石を踏み越えて渡り、どかどかと引き戸を軽く殴りつける。
「入っていいぞ」
部下が訪ねてきたと思ったのだろう、檜佐木の鷹揚な声が返ってくる。六車は構わず戸を開けた。
「邪魔するぞ」
「……! 六車隊長、どうしました?」
檜佐木は古ぼけた冊子類をまとめて、棚に戻しているところだった。机に広げっぱなしの資料を片付けに戻っただけのようだ。
意外そうな表情を浮かべた檜佐木は、抱えた本をひとまず棚に入れ、そそくさと空いている椅子を引っぱってくる。六車は、戸口の側に乱雑に置かれた書き付けの山が入った木箱を足で押しのけ、中に入った。椅子には座らず、背もたれに手を置いて檜佐木を見やる。
ばたばたと片付けを続行する様子から、この後、部下や仲間と合流して誕生日を祝ってもらうのだろうと、察せられる。
六車は改めて編集室を見回した。古ぼけた年鑑もどこかから借りたらしい図録も、全部似た本に見える。だが、分類や管理が異なるようで、檜佐木は、上の棚、鍵の掛かる戸棚、袖机の引き出しと次々に仕分けし、てきぱきと片付いていく。
眺めているうち、常日頃が雑然としている机回りが多少すっきりしてきた。檜佐木は気が済んだ顔で、ほっと息をついた。
「すみません、お待たせして。どうしても片付けておきたかったもんで。それで、何か?」
「いや。もう上がるから、声を掛けに来ただけだ」
「そうでしたか」
檜佐木はさばさばした顔で、お疲れ様でした、と一礼した。
明日も、六車と檜佐木は現世に赴き、別の町で魂葬を行う隊の警備にあたる。明日も同じように顔を合わせ、今日よりは気を引き締めて任務にあたるだろう。檜佐木の顔を黙然と見つめる六車に、檜佐木が困ったように眉尻を下げた。
「あの、……他に、なにか?」
「いや。明日は、きっちり気ぃ引き締めていけよ」
「はい。今日は俺と部下が、ご迷惑をおかけしました」
「別に迷惑ってほどじゃねえよ。ただ、……危ねえからな」
「はい、それは……よく知っています」
答える檜佐木の顔が自己嫌悪で曇る。
六車は、隊長職に復帰する前、山本総隊長から渡された、中央が調査した各隊副隊長の経歴について一通り頭に入れている。檜佐木が現在に至るまで、どんな修羅場をくぐってきたのかは、情報として把握していた。
六車の脳裏に過ったのは、檜佐木が訓練生時代に見舞われた事故の件だった。檜佐木はこの事故で、同期の死神を亡くしている。まだ実戦経験がほとんどない、いわば仮免状態の訓練生には過酷な出来事だったのは、想像に難くない。
この事故について知った六車は、正式に隊長職に就く前、檜佐木の同期・青鹿を訪ねて、当時の証言を得ていた。
青鹿は自分の古傷をさすりながら、檜佐木は顔の傷より心的外傷の方が深刻だったろう、と自分の見立てを語った。その上で、檜佐木の覚悟について言い添えた。
『副隊長を拝命してしばらく、アイツなりにいろいろと悩んでいたようでした。でも、東仙元隊長に助言をもらったと言って、そこから、以前とは顔つきも、気の持ちようも変わりました。訓練生の頃とは別の覚悟で任務に臨んでいるように、俺には見えました。事故のことが吹っ切れたのかまでは、分かりませんが……』
(吹っ切れてないんだろうな)
青鹿の話を黙って聞き終えた六車は、聞き終えてすぐ、直観した。
檜佐木はきっと、すべての怖れを怖れのまま受け止め、怯えながら、竦むまいと己を奮い立たせ続けたのだ。その是非を、六車に問う資格はない。今はただ、檜佐木修兵とはそのような死神であると知り、理解していくことしかできない。
六車に叱責されると思ってか、悄然と口を閉ざしている檜佐木に、六車は短く首を振った。
「わかってんならいい。……祝いの席とやらがあるんだろ、遅れてやるなよ」
言い残して、部屋を出ようとする。
踵を返しかけた横顔に、檜佐木の張り詰めた声が飛んでくる。
「六車隊長は、祝ってくれないんすか」
強ばった声で言われ、六車が驚いて振り向いた。檜佐木は両手を握りしめ、羞じらいを抑えきれない赤ら顔になって、じっと睨み付けている。睨むつもりではなく、恥ずかしさのあまり顔面に力を入れすぎているだけだと、すぐに気づいた。
口を引き結んで六車の反応を待ち構え、鋭い目つきになってしまってる檜佐木に、六車はきょとんとしてから、ふは、と口を開けて笑った。
「わ、笑わないでくださいよっ」
「いや、悪ィ。直球で来たなと思ってな」
喉の奥で笑い声を飲み込もうとした六車だが、憮然とする檜佐木の表情を見るとどうしても口元が緩んでしまう。笑う六車に赤らめた顔のまま押し黙ってしまった檜佐木に、六車は一呼吸して苦笑いに変え、首をひねった。
「だいたい、俺に祝われても、しょうがねえだろうが」
どこか拗ねた子供のような顔つきをしていた檜佐木が、目を見開く。急に堰を切ったような、感情剥き出しの声で言い放った。
「俺にとっちゃ、あんたに祝ってもらう以上に嬉しいことなんて、ねえよ!」
檜佐木は怒鳴ってから、両手を握りしめた。勢い任せに言い募りそうになった口を噛みしめ、衝動をぐっとこらえる素振りを見せる。大きく深呼吸すると、両足でしっかりと仁王立ちして、六車を真正面から見据えてくる。
怒っているのか、悲しんでいるのか、どっちとも取れるしかめ面。
檜佐木の表情に、六車の虚を突かれて見つめ返した。
やがて、檜佐木の方から視線を外す。無言の六車に、まだ激情の名残で震える声をして、ぽつぽつと語り始める。
「あんたに助けられた日からずっと、生まれた日を祝ってもらうたび、思い出してました。俺がここにいられるのは、あの人のおかげだ、俺はいつか死神に会いに行って、まっすぐ目を見て、礼を言うんだって。歳を重ねるたびに、誓いなおしてた。だから……」
何度となく恩人だと言われ続け、六車は正直やや辟易としていた。閉口気味に、素っ気なく突っぱねる。
「てめぇが恩義を感じてるのはよく分かったって、前にも言ったろ」
檜佐木に過去の邂逅を打ち明けられたときも、幼い檜佐木の顔を思い出せなかった。虚に襲われているのが、子供だろうと大人だろうと、それが害なら助けるのが死神の務めだ。それまで助けた人々と同じで、泣き虫だったという少年の面影に、なんの思い入れもなかった。
むしろ、檜佐木を助けた状況を思い出そうとしてまず脳裏に浮かぶのは、亡くした部下たちの死に顔だ。そして、虚の力に死神としての在り方を蝕まれ、上書きされる恐怖。それは、檜佐木が説く恩人への敬慕と、あまりにかけ離れた感情だ。六車の中で、檜佐木のまばゆい記憶と自分の体験した恐怖が、同じ時と場所を指しているとは、どうしても思えないのだ。
「ありがたがってもらうのは嬉しいがな、引きずりすぎだ。いいか修兵、てめぇのその気負いは、私情だぞ」
六車は据わりの悪さから逃れるように口を動かしていた。しまいには、副隊長としての在り方に苦言を呈する言い回しで、檜佐木の話を止めさせようとする。
いつもなら不満そうに渋々黙る檜佐木が、今日は違った。胸ぐらを指差す六車に一歩、二歩と近づいて詰め寄ると、軽く身を乗り出して言い返した。
「そんなこと、分かってます。六車拳西に抱いてる俺の恩情は、檜佐木修兵の私情に過ぎない。でも、言わせてほしい。今日だから、どうしてもあんたに伝えたいんだ」
「……」
研磨された黒鉄の目に、憮然と押し黙った六車の顔が写り込んでいる。
真摯な眼差しが煌めく様に、六車は気圧されて黙り込んだ。
檜佐木は無骨な表情の恩人に、言葉を選ばず心のままに吐き出した。
「俺はずっと前から、魂魄が消えて霊子に還るまで、あの人には会えないんだろうと諦めてた。事情は──今でこそ知れましたけど、知らない頃でも、瀞霊廷を放逐されるのがどんな異常事態なのか、分かってたつもりでした。再会はきっと叶わない、それでも、面影を追うのをやめられなかった。……その人が、生きてて、また俺を、尸魂界を助けようと力を尽くしてくれた。そのうえ、今こうして、俺の目の前にいる。これ以上の贈り物なんて、ないですよ……俺、本当に、嬉しいって、……それを、伝えたくて」
言い募るうちに、こみ上げた感情が言葉に追いつき、追い越して、目尻をじりっと焦がす。檜佐木は、顔だけでなく目の縁まで赤くして、やがてぽつりと涙をこぼすした。短い一筋の落涙を見て、六車は難しい顔になり、がしがしと頭を掻いた。
「……てめぇの祝いの日だろ、泣くやつがあるか」
「す、すみません、本当に六車隊長がここにいるって、改めて実感したら、感動しちまって……」
「そうかよ。……ああ、くそ。泣くな! 湿っぽくなるだろうが! 笑え!」
不器用な六車もさすがに胸に迫るものがあった。檜佐木の言葉に胸を打たれたと知られるのは癪で、照れ隠しと合わせて怒鳴りつけてしまう。
手の甲で目尻を擦った檜佐木は、懐かしさに相好を崩して、小さく笑った。
「ふっ、……あはは、同じこと、言われちまった」
「……そういや、そんなような事を怒鳴りつけた気がするな」
「! もしかして、俺のこと思い出してくれました!?」
「いいや、全然」
「ひでぇ」
口さがない軽妙な掛け合いのあと、六車と檜佐木は互いの顔を見つめたまま、どちらからともなく、ふっと含み笑いを溢した。自分を慕う檜佐木のまっすぐな目に、他にどうしてやるのが正解か分からないまま、六車は片手で頭を乱暴に撫でた。
「生きて戻っただけでありがたがってくれんなら、まあ悪い気はしねえよ。……これからも、よろしく頼むぞ」
「はい」
応えた檜佐木は、六車の手でくしゃくしゃにされた髪を両手で直しながら、嬉しげな表情を隠さず六車を見上げる。
「適当に切り上げて、祝われてこいよ」
「あの、六車隊長は?」
「上司が邪魔しちゃ、うっとうしいだろ。一日遅れでいいなら、何か好物でも作ってやる。それで納得しろ」
「!」
檜佐木の顔がぱっと明るく、昼間の日射しのように朗らかに輝いた。その目を見た六車は不意にはっきりと思い出した。──自分を憧れの眼差しで見上げていた、あどけない少年の顔を。
[了]
