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Punishment Room

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 都内にある三つ星ホテルのエントランスに、ロングジャケットを着た男がほとんど全力疾走も同然の勢いで、駆け込んできた。日本人にしては大柄な男は、エントランスホールに入るとさすがに走るのをやめたが、大股の急ぎ足は体格にふさわしいコンパスと相まって、常人の駆け足と変わらぬ速度だ。
 男はまっすぐ受付に向かうと、名乗らず、訪問先の人物も明かさず、部屋番号だけを告げる。フロントのホテルマンは短く頷き、そっと業務用エレベーターがあるホールに視線をやった。男は応答なしに、促された方向へとまっすぐ歩いていく。
 駆け込んできたときは、ホール内にまばらにいた客に認識され、やかましい闖入者と睨まれていた男だが、フロントから奥まったスタッフ用通路に滑り込むときには、誰も関心を抱いていなかった。
 エレベーターに乗り込むと、南方は深呼吸し、ようやく満足いくまで肺をふくらませる。本庁での業務終了後、すぐさま直行したのだが、指定の時間には遅れそうだった。本業が公務員である以上、公務以上に優先すべき事柄はない。だが、南方には公務と秤にかけるべき義務が──賭郎立会人の顔がある。
 このホテルは、賭郎勝負の開催場所としてよく選ばれるホテルのひとつだ。呼び出しの連絡は今日の午前、賭郎から支給された携帯に届いていた。十九時。○○ホテル、一二〇三。密会の報せめいた文面に、会議中だった南方はぞっと身震いし、同時に安堵した。
 ここ数ヶ月、検察官を巻き込んでの搦め手を任された南方は、成り行きから、本部への報告なしに、賭郎勝負を開催するよう会員に働きかけた。搦め手のためとはいえ、賭郎の権能をお屋形様に許可なく利用したわけだ。
 搦め手の仕上げは、一週間ほど前に終わっている。南方の働きかけによって、お屋形様──切間創一が選出した検事が地検に配属となり、南方は搦め手の密命を完遂した。
 一連の行動について、お屋形様から特にコメントはなかった。結果が伴っていれば経緯は不問、ということらしい。命じたことを命じた形で成すのは立会人の基本、是も非もない。
 南方が憂えたのは、お屋形様の反応ではない。搦め手を統括していた参號立会人・棟耶将輝には、一連の出来事をすべて報告している。彼が成り行きのすべてに目を通したなら、何らかの叱責があるはずだと覚悟していた。恣意的に賭郎勝負を開催することを、お屋形様本人は無理としても、”判事”の異名を持つ棟耶には一言、相談すべきだった。
 すべて片付いた後、南方は苦く後悔していた。
 立会人は號以外に上下関係を表すもののない、個々に独立した人材である。だが、南方が携わるような、大掛かりで長期間かかる搦め手は別だ。手足を統括する能力がある立会人が必要で、棟耶は南方の上司と呼べる存在だった。
 南方の判断と行動を、棟耶が是とするか非とするかは、お屋形様の裁定とはまた別の話なのだ。
 そして今朝、裁定は下された。
 連絡を受けたとき、南方は正直ほっとした。この一週間、判決を引き延ばされた被告人の心境で過ごしていて、精神的にだいぶすり減っていたからだ。本職側でも、他の立会人相手でもこうはならない。棟耶の恐ろしさが特別なのだ。
 同僚の門倉も、今回の件に一枚噛んでいる。彼も昔、棟耶の薫陶を受けたらしいことは本人から聞いていた。遠回しな口ぶりで、棟耶の教育的指導が生半でなかったとぼやいていた。
 そんな門倉だが、棟耶から音沙汰がないと困惑する南方を見て、「判事が黙っとられるなら問題なかったってことじゃろ」と肩をすくめていた。
(どう考えても、問題は大有りじゃろ)
 なにを根拠に楽観的でいられるのか、門倉の鷹揚な態度は理解に苦しむ。むしろ「叱るなら叱れ」と開き直っているように見えた。その点で、警察組織で年功序列を叩き込まれた南方は、棟耶に対して絶対服従なところがある。南方は胃を痛くして、今朝の連絡を待ちわびていた。
 指定の客室は、賭郎勝負の開催で使われるエクゼクティブやスィートではなく、モデレートダブルの部屋だった。
 ドア前で、覚悟を決めて腹に力を入れる。結果の報告書を提出して以来、棟耶と顔を合わせていない。どんな顔で叱責されるのか、想像するだけで恐ろしい。
 怖じ気づく己に発破をかけ、ドアをノックする。
 応答はない。やや間が空いて、ドアが開いた。
「……! 門倉」
 応対に出たのは棟耶ではなく、門倉だった。立会人制服を着て、眼帯をし、髪はリーゼントの形に整えている。これは門倉とって最上位の正装だ。思いがけない出で立ちに、南方が目を見開く。門倉は驚く南方を、平静な表情で厳しく責めた。
「判事は、もういらしているぞ」
 冷ややかな目で促され、部屋に入る。カーペット地の床に足音が吸い取られ、所在ない心地が増した。内装が上等だからか、緊張のためか、部屋全体がぴんと静寂に張り詰めていて、普通の呼吸さえ憚られる雰囲気だ。
 モデレートだけあって、ダブルベッド以外にテーブルと椅子が用意され、部屋自体にもじゅうぶんなゆとりがある。くつろぎを提供する空間が、今は逆に不安を煽る。
 部屋の中央に据え直した幅広の椅子に、参號立会人が腰かけていた。感情に乏しい眼差しで、遅れてきた南方を一瞥する。立会人の制服ともいうべき、黒のスーツではない。ダークグレーのシャドーストライプスーツで、肘掛けに両手を置いて足を組んでいる。鷹揚にも尊大にも見える姿に、南方はますます気圧されてしまう。
 組んだ足の上には、奇妙な物が乗せられていた──見間違いでなければ、乗馬用パドルだ。
 黒く艶やかな革製のパドルを見た途端、南方はこれから何が行われるのか、おおよそ察して拳を握りしめた。棟耶の片手が、鼈甲柄の持ち手を撫でる。無言のまま視線を落とした棟耶に、南方は何か弁明すべきなのか、黙って懲罰を受けるべきなのか、判じかねて唇を噛みしめた。
 南方を案内してきた門倉が、南方の横から一歩進み出た。後ろ手に組み、胸を張って直立する。そのまま棟耶の隣に並ぶかと思いきや、どうやら門倉も懲罰を受ける側のようだ。
 棟耶は、視線をやや俯かせたまま口を開くと、低く静かな声で述べ始めた。
「今日招集したのは、先日の搦め手で君たちのとった行動について、私の見解を述べるためだ」
「はい」
 南方が無言で視線を下に落としたのに対して、門倉は堂々と胸を張って顔を上げたまま、はっきり応答する。なんの後ろ暗いことがあるものか、と反骨心をむき出しにした態度に、南方は内心で驚いた。南方とは別の理屈で、門倉も年長者に敬意を払う男だ。実力と経験ともに尊敬するに足る相手には、行儀のよい男のはずだ。それが、指導室に呼び出された生徒のような、不服さを見せている。
 門倉の不遜を、棟耶は取り合わなかった。というか、胸を張って叱責を真っ向から受けようという、門倉の覚悟をそもそも、見ていない態度だ。パドルに視線を落としたままで、棟耶は続けた。
「創一様は、結果が伴っていれば経過は不問とされたが、お屋形様からも判事の異名を容認いただいている身として、君たちには私的に裁定を下す必要があると判断した」
 棟耶が目を上げる。私的に、と言いながらその目に私情はない。賭郎立会人の責務以外には無関心に見える、あの淡々とした眼差しだ。南方は喉を締め上げられた心地がして、固唾をのんだ。
 まず、南方に視線が向く。
「南方。お前は私に報告なく、今回の件を門倉立会人に相談した」
 次に、門倉に視線が向けられる。
「門倉君。君は会員の関心を引く情報を故意に開示し、不要の賭郎勝負を開催させた」
 塔屋の視線が再び手元に戻る。
「両名の行動は、立会人としての責務から逸脱している。それから」
 そこで、棟耶が言葉を切る。呆れたようなため息が一つこぼれ、門倉を見やった。
「貘様から、立会人として随伴中にも私的な行動が見られたとご報告いただいた。門倉君、心当たりは」
「あります」
「よろしい。理由は以上だ。では、これから指導を行う。まずは門倉君から。南方は、よく見ておくように」
 判決を告げると、棟耶が椅子から立ち上がる。同時に、門倉がロングジャケットを脱いで、空いている椅子の背にかけた。迷いなくベルトを外し、スラックスと下着をその場に脱ぐ。
(門倉!?)
 抜け殻のように服を跨いで壁に向かうと、手袋をした両手を壁につき──近づいてきた棟耶に向かい、尻を差し出す姿勢を取る。いかに実力を認めた相手からの指導といっても、屈辱極まるポーズを取らされて、平然としていられるとは思い難い。南方は、壁についた門倉の手と、腕に隠れた横顔の半分を見つめた。怒りなのか、屈辱からか、両手が強く握りしめられていく。
 棟耶は、袖口のカフスを外し、抜き身の刃物でもぶら下げるようにパドルを提げると、門倉の背後に立った。これから打ち据えると宣言する代わり、白い臀部を革製のヘラ部分で、軽く撫で上げる。
 打擲が始まる──と思いきや、棟耶が一歩下がった。覚悟していた門倉も、肩透かしを食らって思わず背後を振り向いてしまう。
「門倉君。指導を受けるのは久しぶりだ、南方に支えてもらいなさい」
「っ! ……はい、判事」
 棟耶の指示を聞くなり、門倉は顔をこわばらせた。だが、この場ではあらゆる否は許されない。
 門倉は壁から手を離すと、南方を振り向いた。靴下に革靴で下半身だけあらわにした、情けない格好のまま、正面で向かい合う。壁の代わりに南方の肩を両手でつかむと、腰を軽く後ろに突き出す姿勢を取る。
 南方は、門倉が想像以上に強く自分の肩を掴むのを感じ、うつむいた顔を見下ろした。鶏冠にした前髪のせいで顔立ちは見えないが、逆に逆立ててむき出しになった項が、緊張でうっすら赤らんでいるのが見えた。
 棟耶が門倉の背後に立つと、すい、と腕を振り上げる。
 なめし革が肌を打ち据える、甲高い音が一声、響き渡る。
「……っ!」
 鋭い打擲音に、南方がぎょっとした。証拠映像や資料で、もっと陰惨な拷問があると識っているのに、南方も己で意外なくらい動揺した。ヒステリックな打擲音が、立て続けに二度、三度と続く。耐える門倉はうめき声ひとつ洩らさず、打たれた衝撃で身じろぎもしない。だが、打ち据えられる一瞬だけ、幾重もの布越しに爪の感触がわかるほど強く、握りしめてきた。
 五度、六度。棟耶の手付きは、事務的に、淡々としていながら、徐々に力を増している。耐える門倉の手の力や震えで、徐々に打ち据える力を強めているのだと伝わってきた。部屋に来る前に覚えた、言いしれぬ身震いとは別の、もっと具体的な恐れが南方を狼狽させた。
 門倉の肌が裂けても続けるに違いない。そんな想像がよぎり、堪らず口を挟む。
「判事、待ってください。門倉は! ……いえ、門倉立会人は、私が方策を考えあぐねていたのを見かねて助力しました。私が力及ばず手間取ってしまったのが、すべての原因です」
 門倉を庇って言葉を挟んだ南方に、棟耶の手が止まった。じっと南方の苦渋に歪む顔を見、痛みを耐える門倉の火照った首筋を見る。
 棟耶がなにか言い出す前に、門倉が怒鳴った。
「やめんか! 南方」
 腹の底から吹き出した本気の怒りが、南方の狼狽を叩きのめす。南方の差し出口を黙らせると、門倉は後ろを振り向かずに腰を突き出した姿勢のまま、はっきりした声で宣言した。
「南方立会人の方策に、懇意の会員を巻き込んで良いと判断したのは、私です。賭郎の権能を無断で利用した責は、私にあります」
「解っているなら、よろしい」
 棟耶がパドルを握りなおす。再び高く腕を掲げると、容赦なく振り下ろした。
 打擲音は、緩慢なリズムで、一回、二回と、回数を重ねていく。
 南方に顔を見せまいとしていた門倉だが、スパンキングが二十回を超えた頃には、喉を反らして背中をよじるようになっていた。激痛を耐える体は汗ばみ、火照り、湿ったシャツが背筋に張り付いている。痛みに喘ぐのだけは堪え、代わりに顔を上げる。パドルで打ち据えられるたびに、目を瞑り、眉間に深く皺が刻まれた。噛みしめた唇が一瞬だけ緩んで、震える息をつく。
 汗と、衝撃から本能的に逃れようと体をよじるせいで、雄々しく逆立てた鶏冠は半ば崩れかけていた。ほつれた前髪が火照った顔にはりついている。肩を掴ませその腕を支えてやるしかできない南方は、何度となく、解れた髪をかきあげて整えてやりたい衝動に駆られた。
(門倉、もう少しじゃ、もう少しで終わるはずじゃ……!)
 手のひらが汗で濡れて滑るのだろう、肩を握りしめる手から手袋が外れてしまいそうになっている。鍛えた上体を支える脚は激痛に耐え抜こうと気力を使うあまり、膝が微かに震え始めていた。あの門倉が、と南方は悔しさに似た疼きを覚える。
 棟耶の腕が振り下ろされるたび、門倉の引き結んだ口から呻きが洩れる。とうとう、苦痛の声を抑えられなくなったのだ。南方は思わず、門倉の体を挟んで向かい合う位置にいる棟耶を睨めつけていた。
(門倉にも非はあろうが、それにしてもやりすぎじゃあないですか)
 反駁は許されない場だ。しかし、南方の言葉にならない反抗を、棟耶はちゃんと聞き取っていた。門倉の限界を見定めるべく、情けない後ろ姿を観察していた目が、南方を一瞥する。
「……っ」
 門倉の手が、肩から滑り落ちそうになり、南方の上腕を掴み直した。片手の手袋が脱げて床に落ちる。落ちた手袋を目で追いかけてから、門倉の顔に視線の先を戻す。と、顔を上げた門倉とばったり目が合った。痛みに耐え続けたせいで、目元から頬まで紅潮し、睫に涙なのか汗なのか水滴が絡んでいた。ひと撫でしたら崩れて形を失いそうな鶏冠、強く噛みしめて歯の跡がついた唇。整った鼻先に皺を寄せ、悔しさを露わにしている。同時に、笑ってもいた。
 弐號になり、號だけなら棟耶を上回った今、それでもなお、判事の判決に立会人は逆らえない。築いてきた実績の差が生み出す、絶対的な上下関係。そこに、隙あらば噛みついてやりたいという青い野心が、門倉の中に埋み火となって残っている。自分の尻をパドルで打ち据える男への反抗心、そしてこの状況をどこか面白がっている、ひりついた愉悦。
 ──このお人も、ワシがいつか。……のう? 南方よう。
 門倉が痛みの下から笑う。たまらず、南方も笑みを浮かべかけた。
「次で最後だ」
 二人にしか解らない短い意思疎通を引き裂くように、棟耶が鋭い一撃を振り下ろす。皮膚が裂けるかと思うほど高い音をさせ、打ち据えられると、門倉はとうとう南方の支えだけでは立っていられず、両膝をついて、四つん這いになった。
 それは数秒のことで、門倉はすぐに立ち上がろうとした。思わず南方が手を差し伸べてしまう。が、門倉は伸ばされた手を気丈に払いのけ、自力のみで立ち上がり、棟耶に向き直った。
 崩れた髪のままで、深々と頭を下げる。
「……ご指導、ありがとうございました……っ」
 頭を起こすと、門倉は後ろに一歩、ふらついた。南方の手が今度こそ肩を掴んで、よろめく体を支えた。
 棟耶は門倉の様子を気にすることなく、パドルを握っていた手をストレッチする。手首を回し、握ったり開いたりしてから、左手に持ち替える。
「南方。見ていたなら、手順は理解しているな」
「……っ、はい」
「支度しなさい」
 棟耶に促され、南方は門倉がしたようにジャケットを脱ぎ、椅子の上に掛け置いた。スラックスと下着をまとめて脱ぎ、棟耶に背中を向ける。
 正面に、ふらりと門倉が立ちはだかった。今度は門倉が支える側になる番だ。
打擲される激痛に耐えていた門倉だが、苛烈な仕置きに何かの臨界点を突破してしまったようで、その貌はとろりとした恍惚に緩んだ表情を浮かべていた。緊張に強ばる南方の顔をじっと見つめ、手袋の外れてしまった手で頬をひと撫でした。そのまま肩から腕に這わせ、手を取ると、自分の肩を掴むよう促す。
「か、門倉っ」
 箍が外れてしまったかもしれない門倉に、南方が思わず呼びかける。門倉は返事の代わりにうっとり微笑して、さらに潜めた声で囁き返した。
「心配するな。おどれは頑丈じゃけぇ、判事の指導も耐えられる。判事も、尻の肉が削れるほどは撲たれんじゃろ」
「……っ」
 つい今し方までの打ち据え方を思い出し、南方は身震いして後ろを振り向こうとした。それを、背後から威圧する気配に押しとどめられる。
「始めるぞ。舌は引っ込めておくように」
 棟耶が説明書きを読むように淡々と忠告した。そして、左手に握ったパドルを構えると、躊躇なく振り下ろした。

 

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