賭郎本部があるビルの、三階と四階には立会人用の作業デスクエリアがある。
個人の席は決まっておらず、来たときに任意の席に座るシステムになっている。一般企業の営業職などに見られる方式を採用したのは、先代の切間撻器だった。「たまに来てどこに座るか好きに決められた方が楽しくないか?」とのことで、特に利便性が理由ではなかったらしい。
席の選択に関しては、「早いもの勝ちで、自由に選択して良い」「席の取り合いを理由にした號奪戦は不可」以外の決まりはない。撻器は「早いもの勝ち」としか示さなかったため、このルールでは席確保の起点日が曖昧だった──常識的に考えればその日の始業時間からになるのだが、そこは立会人、様々な屁理屈をこねて、好みの席を自分の指定席として確保、備品や私物を持ち込んでカスタマイズまでしている。
最も顕著なのは、最上立会人と彼女の黒服たちだ。
四階にある作業スペースの一角は、女王の領土としてほぼ治外法権を獲得している。最上のデスク周りは、最低限の美容グッズとネイルケア用品と着替えがあるだけだが、彼女の部下たちは仕事に必要なのか不明なものまで持ち込んでいた。まさに、自由な花の園といった具合である。
最上と話をするのに、初めて四階に立ち寄った南方は、明らかに雰囲気の違う空間を目の当たりに、絶句した。
(ここ、賭郎本部だよな?)
入ってすぐ立ち尽してしまった南方を、最上を除くすべての女性陣が、いっせいに振り向いた。
「誰あれ?」
「南方立会人じゃない? ほら、警察の、搦め手やってる人」
「昨日、妙子様と飲みにいったヤツじゃん」
「なにそれ」
かまびすしく言い合い、視線を交わし、事実確認を済ませると、全員冷ややかな目で南方に向き直る。至上の女主人とプライベートで飲みに行った相手、それだけで南方の株はだだ下がりだった。
資料片手に近づいた南方は、あからさまに歓迎されていない空気に直面し、閉口する。しかし最上と話すには、古参の立会人以外、彼女たち黒服の検閲を受けなくてはならない。賭郎本部四階での、暗黙のルールだった。
一番若い──おそらく一番最近、黒服入りしたらしき女性が立ち上がると、門番よろしく南方の前に立ちはだかり、つっけんどに言いやった。
「なにか御用でしょうか?」
「最上立会人に話があるんだが」
「女王は今、お忙しくてらっしゃいます」
つんと澄まして言い返す女性は、まさに取り付く島もないといった具合だ。離れたデスクから、こちらに一瞥もよこさない最上の表情を見やる。涼しげな美貌は、彼女を懐柔できないような男と利く口はない、と物語っていた。
南方は、何事も試されるのは嫌いではない。どんな状況でも、舐めてかかった相手の鼻を明かすのは愉快だからだ。
南方は最上の黒服を見下ろすと、困惑を交えた優しい苦笑いを浮かべた。警察で女性事務員に見せる、物わかりのいい若手キャリアの顔だ。女から見るとある種の愛嬌を覚える表情を作る程度、わけはない。南方は内心で黒服を侮りつつ、落ち着いた口調で話しかける。
「この資料は本部から持ち出せない。最上立会人がいるタイミングで確認しておきたくてね。彼女に都合を聞いてもらえるかな?」
「……」
女性はちらりと最上を顧みた。ディスプレイで半分隠れているが、明らかに作業をしている気配はない。爪の手入れでもしてるんだろう、と南方は内心で決めつけていた。が、そういう態度をお首にでも出そうものなら、木で鼻をくくった態度で追い返されそうだ。内心の侮りを用心深く折りたたんで仕舞い、目の前の女性に視線を戻す。
「取り次ぐだけでいい、君たちの邪魔はしないよ」
「……」
猫なで声で下手に出る南方に、女性の表情筋はひとつも揺らがなかった。どころか、年齢より幼く見える顔に「嫌です」と書いた表情を浮かべ、南方を睨み上げてくる。女主人に指示を仰ぐ手間さえ取りたくない、といった態度だ。
南方は柔らかな外面を崩さず、相手の態度に苛立つ。紳士的な態度で接している自分が、唐突にアホらしく思えてきた。
そもそもここは、庁舎や一般企業でなく賭郎本部だ。非合法なギャンブルを取り仕切る総本山なのだ。この黒服たちも当然、賭郎のなんたるかを心得てこの場にいるはず者ばかりなのだ。
(つまり、下手な気遣いは不要ってことだな)
南方は無言で、礼儀正しく人当たりのいい男の顔をやめた。不遜な真顔で、若い女を睨め下ろす。南方の態度が一変し、女が一瞬だけ全身をこわばらせた。一回り以上体格差のある男が、冷淡な面持ちで睨め下ろしてきたのだ。しかも立会人は皆、暴の実力を保証されている。腕っぷしに自信がない女性なら、身の危険を感じて竦んでしまうのは当然だった。南方も解っていて、威圧するつもりでそういう顔をしている。
それでも、青ざめて狼狽えたり、後ろにいる先輩たちに助けを求めたりしないあたり、さすが度胸が据わっていた。
南方は、意識の端に最上の視線を感じた。両手を握りしめて南方と相対している黒服と南方を、じっと見つめている。
キィと椅子を引いて、最上が立ち上がった。手入れを終えた爪を確かめ、結い上げた髪のほつれを整えた指先で耳にかき上げる。
「貴女、もういいわよ」
若い黒服が最上を振り向き、ホッと肩から力を抜いた。女主人に庇われて胸を撫で下ろした様子に、南方は一抹の罪悪感を噛み締めた。
「彼、警察官僚の顔をしてても中身は門倉立会人と大差ない男なの。今後は、門倉立会人と同じ対応をしていいから」
「承知しました」
「わかりました、女王」
「はい、そのように」
異口同音に返事をした女性黒服たちは、一斉に自分のデスクに向き直った。全員、南方を無視し、対応を最上に委ねたようだ。立ちはだかっていた女も、さっと自分のデスクに引き上げると、完全に無視を決め込んだ。
門倉と同じ対応、すなわち、関わりあいになるな、という意味らしい。
(門倉はともかく、俺は一応、警察の人間でもあるんだが)
今さっき、若い黒服に恫喝まがいの視線をくれたの棚に上げて、南方は内心で憮然とした。同時に、警察なんてヤクザと似たりよったりでしょう、と嘯いていた弥鱈の顔が過る。
最上が、コツコツと小気味よくハイヒールを鳴らして歩み寄ってきた。
「話なら向こうで聞くわ。その方がアナタも都合がいいんじゃなくて?」
「……」
フロア内の別エリアに目配せする最上に、南方は無言で頷いてついてく。その背中に、彼女の黒服たちからの嫉妬羨望、あと軽蔑の視線が容赦なく突き刺さった。
「それで? そのファイルは、私の立会の報告書かしら」
空いたデスクの並ぶ場所まで来ると、最上は椅子でなく机に腰を寄りかからせ、足を組んだ。タイトスカートから伸びる脚が一層魅力的に見えるポーズだ。
南方は抱えてきたファイルをテーブルに置いて、最上を振り向く。そのまま数秒、黙って見合っていたが、やがて南方が観念したように言った。
「……昨夜のことを、謝ろうと思ってな」
きまり悪い口調で口火を切った南方に、最上が片眉を上げる。
「あら。覚えてるの?」
親しげにも見える笑みを浮かべつつも、小馬鹿にした口調だった。が、南方は神妙な面持ちのまま素直にうなずき、弁解めいた答えを返す。
「わしは門倉と違って、記憶を飛ばす飲み方は絶対にせん」
「そう。警察の躾が行き届いていて、何よりだわ」
声なく嗤う最上に、南方はますます苦い表情になった。
「だいたい、なぜアナタが謝る必要が?」
たしかに、と南方は自嘲する。
(やらかしたんは門倉なんじゃ、わしが謝る必要はない。ないが……)
弁明があるなら聞く、という顔でこちらを眺めている最上に、南方はどう続けたものか腹の中でごちゃごちゃと考えあぐねる。
後手に回る南方の様子に、最上は面白がる調子で告げた。
「誤解があるようだから言っておくけど、昨夜は私も十分楽しんだわよ」
「それなら、いいんだが」
「アナタの話ができたうえに、思いがけない一面も見られたものね」
ネイルを眺めつつ言い添える最上に、南方は口の中でぐうと唸った。
官僚相手に舌戦を交わすこともある南方だ、並の相手なら言い負かされたりしない。だが、今の最上には何をどう言い返しても裏目に出る気しかしない。
(そもそも、門倉の奴が悪い)
南方は口を閉ざしたまま、脳裏に旧知の男を思い浮かべた。その顔は、普段立会で見せる取り澄ました美貌ではなく、酔っ払ってご機嫌そのものの緩んだ笑顔をしている。
220 views
