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決定的醜聞

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 各々に視線をあわせないまま、昨夜の顛末を思い返して沈黙していたが、最上がおもむろに呟いた。
「それで、門倉を家に送ってあげた? アナタに手厚く送ってもらったなんて、今頃は、さぞかし後悔してるでしょうねえ」
「いや。正体なくしてたし、家に泊めた」
「あら。お持ち帰りしたの?」
 最上が目を丸くしてから、嬉々とした調子で訊いてくる。誤解を含む言い回しに南方は眉を寄せて、訂正した。
「気味の悪い言い方をしないでくれるか」
「じゃあ、泊めただけ?」
「そうだ。寝床はちゃんと貸してやったぞ」
 さらりと答えつつ、南方は昨夜と今朝の出来事を思い浮かべた。
 酔ったとはいえ歩ける状態の門倉を、タクシーに押し込んで家に送るか、自分の部屋に連れ帰るかの二択になった南方は、門倉を部屋に担ぎ込んだ。
 その頃には門倉もいくらか酔いが覚めていて、南方の部屋に担ぎ込まれた事は解っていた。風呂はいらん、もう寝る、とうわ言を呟く門倉を、南方は先にベッドに座らせた。ジャケットも脱がずに横たわろうとする門倉に、お前なあ、などと文句を垂れつつ上着だけ脱がせてやった。
「着替え出しといたるから、ちゃんとスーツ脱いどけよ。わしは向こうで寝る」
 すでにほろ酔いから覚めてしゃんとしていた南方は、まだぐにゃぐにゃと酔っ払っている門倉の横に、着替えのスウェットを置き、ロングジャケットだけは仏心でハンガーにかけてやった。
 ベッドに腰掛けたままぼんやりしている門倉に、自分のベッドを譲って部屋を出ていこうとした。
 ドアを閉めようとした南方の背中に、酔った濁声が飛んできた。
「なんで」
 振り向くと、ベッドの端に腰掛けた門倉が、さっきまでの泥酔ぶりが嘘のような、焦点の定まった目で南方を見ていた。はっきりした意識ある目で南方を捉えた門倉は、もう一度、繰り返した。
「なんで出て行くんじゃ? ここは、お前ん家の、お前の寝床じゃろうが」
 何故も何もない、と南方は無愛想に突き放す。
「酔っ払いに貸したる言うとるんじゃ、大人しく転がっとけ」
「ワシの隣に転がればええじゃろ、そこまでせせこましいベッドでもあるまいし。のう? 南方」
 そう言いながら、門倉は眼帯を外し、ネクタイをほどいた。シャツのボタンに手を掛けたところで、なめらかな前髪の間から、南方を見やった。
 スウェットに着替えようとしているだけだ。解っているのに、南方はほんの数十分前、唇に触れた門倉の息遣いを思い出してしまっていた。
 門倉が正気か否か、南方は判別できなかった。しかし、素面の門倉に「お前もここで寝たらいい」と言われてしまったら、断れない。断る理由はなんでも思いつくのに、頷いて寝室に戻る以外ない。
 それは困る、と瞼の裏で警告灯が赤く明滅していた。
 今夜は、知らなかった門倉の顔をあまりにもたくさん目の当たりにした、色んな顔を見ただけではない、悪ふざけとはいえ門倉の方から一線を跨ぎ越してきた。これ以上が起きてはならない。
 南方は非常線を張り巡らせ、どんな間違いも起こしてなるものかと身構えた。
「わしは、……風呂入ってから寝る」
 どうにかそれだけ言い返せた。門倉は短く「ほうか」と応じると、興味をなくしたように目をそらした。おかげで、南方はぎりぎり一線で踏みとどまった。
 普段しないような長風呂から上がって寝室に戻ると、門倉は貸したスウェットに着替えて、横向きの姿勢でベッドの半分を占拠し、寝入っていた。間違いなく熟睡している寝息を聞いて、南方はほっと安堵のため息をついてしまった。
 そうして、まんじりとしない心地で門倉に背を向ける格好で横たわり、明け方近くまで寝付けずにいた。
 いつもの起床時間、短い睡眠から目覚めると、掛け布団は門倉に全部横取りされていた。そのくせ寝相は良く、南方に背を向けた格好からほとんど変わっていなかった。途中で起きて、布団だけ剥ぎ取ったのかも知れない。その光景に普段見ている門倉の横暴さを見て、南方は小さく笑った。
 門倉を起こさないよう身支度すると、もぞもぞと半覚醒のまま、二日酔いの兆候に唸る門倉を布団の上から軽く撫でやった。門倉から明瞭な返事はなかったが、「適当に過ごしとってええからな」と言い置いて、登庁した。
 そして、今に至る。
 顛末を反芻して黙り込んでいた南方の耳に、最上のからかうような声がふわりと触れた。
「……そう。あくまで、親切なご友人というわけね」
 最上の言葉に、南方は無言でそれとなく視線を逸らす。
 昨夜もそうだったが、最上と対面で話していると、心のやわい部分をあれこれ見透かされている心地がする。最上だからなのか、女の勘の良さを彷彿としてしまうのか。
(そもそも、探られる腹を持っとるのがいかんのやろうな……)
 南方は意識して腹に力をこめる。
 なにごともない朝を迎えられたと胸をなでおろしているくせ、どこか悔やんでいるみっともなさを、苦々しく自覚していた。
 十六の時から門倉雄大に焦がれ続けている。再会できた以上は二度と離れてたまるものかと己に固く誓っている。だが、この感情は他の誰にも、特に門倉にだけは、知られるわけにはいかない。南方は、立会人を志した時に自分の憧憬や執着その他様々な想いを全部、ひとり墓場まで持っていくと決めていた。
 最上が自分の抱えるものを察知しているらしいのは、南方も薄々勘づいている。だからこそ、最上に暴かれでもしたらと警戒している。
(どうあっても門倉には黙っててもらわなあ、いけん)
 じりじりと緊迫する南方をよそに、最上は昨日の話をひいて、さらに話題を発展させてきた。
「門倉は、酔って気さくになったふうを装って懐に入る真似をしてきたこともあるらしいのよ。昨日のも、どこまでがフリなのかと思っていたけれど、アナタはそういう連中と扱いが違ったようね。同郷の旧知は特別、ってことかしら」
「門倉の、昔なじみ?」
 聞いたことのない話に、南方がつい反応してしまう。
 南方がオウム返しに聞き返すと、最上はそうだったと言いたげに、視線を寄越した。
「あぁ、そうね。アナタはヘッドハンティング同然で立会人になったから解らないでしょうけど、門倉は随分若い時分に賭郎入りしたから、立会人になったあとも、それなりの號数になるまでいろいろやっていたみたい」
「……」
「立会人として成り上がるには、まず立会の場に居なければ始まらない。専属の会員もいない、號奪戦も有名無実だった頃、立会の機会を得るためにいろいろあったんでしょう」
 最上の、真偽不明の話を聞いて南方は想像した。賭郎の仕組みを詳しく知らないが、組織で成り上がるのには駆け引きが要る、それを有力者としなくてはならなかったのかもしれない。それこそ、歯車として自分が既得権益の豚相手に接待でおべっかを使ってきたように、どこかの権力者や有力者に取り入る真似が、必要だったのかもしれない。
(あの門倉が……?)
 他人に靡くなどと無縁の存在のはずの門倉が、他人に愛敬を振りまく様を想像すると、言いようもなく胸がむかついてきた。昨夜見せたような、くだけた笑顔をわざと装って、どこかの誰かの気にいるようにして見せざるを得なかった可能性が、あるのだ。
 もし、あのはしゃぎようもフリだったとしたら。そこまで想像して、南方は腹の底から憤然とした。
 門倉が、ただ磊落さだけで、知り合い同士を顔合わせさせるだろうか。打算があったのではないか。
(例えそうだったとしても、何の不思議もない、門倉にとってわしがその程度の男っちゅうことは、あるかもしれん)
 過去への嫉妬と降ってわいた疑念が入り交じったどす黒い感情が、ぐっと喉元までせぐりくる。飲まれまいと、南方はゆっくり呼吸を整えた。
 最上の顔を真っ向見据えつつ、探りを入れる。
「じゃあ、昔なじみっていうのは、賭郎会員たちか?」
「さあ?」
「アンタみたいな女でも、身内の話は出し惜しみするんだな」
「勘違いしてるわね。立会人同士、どれほど意気投合しても、手の内を明かし合う間柄になどならないのよ。門倉が私の手札を探らないように、私も彼の手札を探らない」
「……」
「警察の目つきになっているわよ、南方警視正。本職の性かしら?」
 面白そうにからかってくる最上に、南方は淡々と答えた。
「ヤツとは二十年近く音信不通だったからな。こっちで、どんな阿漕な真似をしてたのか、気になっただけだ」
「あらそう。……本当に?」
 様々な感情で煮えたぎる腹を、美しく冷たい手でひらりと探られる。南方は答えに詰まった。
 向こうでドアの開く音がして、二人とも視線を向ける。ごつごつと革靴の踵を鳴らす音が続く。南方と最上が振り向くと、不機嫌な面持ちの門倉が姿を現した。立会人制服を着た以上は二日酔いの顔色は意地でも見せないようだが、目元が微妙に腫れぼったく、忌々しげに歪めた唇で僅かに不調が窺える。
 門倉は無言でその場を一瞥し、状況を把握したようだった。二人が資料確認のていで立ち話しているだけと見抜き、まず南方をジロリと見やる。
「なに、妙子に絡んどるんじゃ」
「絡んどらん」
 南方の応えを片手で制し、右目だけで南方と最上の表情を睨めつける。門倉に睨まれた最上が愉しげに口角を上げ、ついでに両手も上げてみせた。
「心配しなくても、アナタの大事な玩具(おとこ)を取り上げたりしてないわよ」
「はぁ?」
 門倉が語尾を上げて凄む。玩具呼ばわりされた南方は、最上に噛みつく門倉を横目でみやった。
(それはわしのセリフじゃ。おどれの玩具になった覚えはないぞ)
 別々の意味で目を三角にしている大男二人に、最上は涼しい顔で笑みを浮かべ、交互に見やる。どっちから弄ってやろうか品定めする目つきに、南方はギクリとした。門倉の方は、不遜な顔で最上を睨め下ろす。南方もそうだが、並の女性と並べばどうやっても門倉たちの方が体格で上回り、威圧できる。フィジカルな威圧が物を言う世界で生きている人間だ、マウントを取る姿勢はほとんど呼吸も同然の仕草だった。
 しかし、最上は賭郎立会人だ。大男が睨め下ろしてきたくらいで顔色を変える女ではない。怯むどころか、凄む門倉と出方を伺う南方、二人の態度を侮る笑みを浮かべた。余裕の表情で、優雅に腕を組む。
「南方立会人とは、昨夜は本当に楽しかった、って話をしてただけよ。アナタの意外な一面を知れたしね」
「意外な一面?」
 曖昧にほのめかす最上に、腕組みした門倉が聞き返す。最上は南方を一瞥し、声のトーンを抑えて門倉に囁いた。
「嬉しそうに自慢の玩具を見せびらかすなんて、案外可愛げのある人間だった、ってことよ」
 門倉はさっと南方を振り向いた。
 鋭い目つきでじっと睨みつけられた南方だが、今や完全に蚊帳の外だ。二人が自分を指してやりとりしているのは解るが、どういう意図の会話なのか察しようがない。怪訝な面持ちで二人を見ていると、門倉は片眉を上げてから、盛大に溜息をつく。最上を見やり、ふんぞり返った姿勢を崩した。
「別に、お前にみせびらかしたわけやないぞ」
「そうなの?」
 首を傾げて面白げに聞き返す最上に、門倉は舌打ちした。
「ワシは記憶を飛ばすような飲み方はせん。昨夜のことも、全部覚えとる」
 南方が、まじまじと門倉の横顔を凝視した。最上が整った眉尻を微かに上げる。門倉は苦々しく口を歪めてから、ちらと南方を一瞥した。
 夕べの門倉は間違いなく、正体をなくす寸前まで酔っ払っていた。南方には、そうとしか見えなかった。酔っ払いを演じているかどうかくらい見分けのつく眼力は、持ち合わせているつもりだ。しかし、門倉の小馬鹿にした一瞥と視線がかち合って、途中から騙されていたと確信した。最上も意外そうな顔をしているので、門倉の演技に二人して騙されたことになる。
(確かに、部屋に着いた時の門倉は素面の顔しとったが……あのはしゃぎようが、演技?)
「それで?」
 最上が目を細めつつ、続きを促してくる。完全にこの場を面白がっている顔だ。門倉が隣の南方を見やると、短く舌打ちする。
「あんだけ場を用意したったら、なんかあるじゃろうと思うとったのに、コイツはご丁寧に別の部屋で寝ようとしよる。どこまでも甲斐性なしの阿呆やったわ。……おい、南方」
 悪態をついてから呼ばわった門倉が、問答無用で南方の胸ぐらを掴む。呆気にとられている南方の鼻先に、門倉の整った目元から鼻筋が迫ってきたかと思うと、上唇の端が触れあった。
「……!」
 唐突な展開に南方が目を見開く。視界いっぱいに、門倉の苛立ちできらめく目が迫っている。湿った舌先が、息を呑んで微かに開いた口の隙間を舐め取った。昨夜味わった感触より、もっと鮮明で力強い口づけに、南方は喉を鳴らした。
 回された門倉の手が、南方の後頭部を掴んで引き寄せる。片手で頭を抱き寄せて深く口づけてきた門倉に、南方は口の中で門倉の名を呼ばわった。
「……っ、ァ、」
 もつれた舌を、門倉の舌が強引に舐めまわし、絡め取っていく。昨夜のふざけた軽いキスとは違う、門倉がはっきり意志を持って、南方を求めて貪る口づけだった。
「……っ、……」
 お互いの息づかいが口腔の奥から鼓膜に響く。めくるめく、という感覚がどんなものか、南方は生まれ初めて思い知った。側に最上がいるのも、ここが賭郎本部の一角なのも、解っているのに、何もかもどうでも良くなっていく。
 門倉からの口づけが、都合のいい白昼夢でないと確かめる手つきで、背中をかき抱いてみる。門倉は回してきた腕を振り払う素振りを見せず、それどころか胸元を更に押して、密着させてきた。両腕に有り余る、自分と負けず劣らずの体躯をした男が、熱く息づき、昂ぶる体を押しつけくる手応えを感じると、南方の脳裏は多幸感で塗りつぶされそうになった。
 しかしすぐさま、疑念と混乱がひやりと背中を冷たく伝い落ちていく。
(門倉は、なんでわしと、こんな、まさかこれも、なにかの搦め手なんか? わしを、都合良く、昔なじみの連中みたいに、転がそうっちゅうんか?)
 過った疑念が、興奮で逆上せかけた頭を一気に冷やす。熱く冷たい毒から体を引き離すように門倉を押しやると、口づけはあっけなく解けた。南方は唇を噛みしめて、ぽかんとした門倉の顔を見つめる。押しやった肩を強く握りしめると、強ばる声で呻いた。
「門倉……おどれ、何を企んどるんじゃ。わしを、はめよう言うんか?」
 南方を思い詰めた顔を見た瞬間、門倉と、黙って端から様子を眺めていた最上までも、きょとんとした。
 次の瞬間、門倉の手刀が南方の脳天に炸裂する。
「こんの、阿呆ッ」
 門倉は口をひん曲げ、頭を叩いた手で南方の耳を、ピアスごと力まかせに引っ張る。
「おどれはなぁ! なんもかんも、筒抜けなんじゃ、ボケッ」
「つ、筒抜け?」
「あんなあけすけな目つきで四六時中ちらちら見よって、ワシが気づいとらんと思ったんか? 妙子にもバレとるし、他の立会人に知られるんも時間の問題なんじゃ。恥かくんは、おどれだけちゃうんやぞ」
「な、……」
 南方は絶句する。心なしか門倉も、うっすら顔を赤らめている。照れより怒りで赤らんでいるに違いなかった。言葉を継げず、愕然としたまま門倉を見つめることしか出来なくなった南方に、門倉は掴んでいた耳をさらに容赦なく引っ張る。
「い、痛ッ」
「まさか、おどれ一人の腹に収めてお仕舞いにしたろうなんて、……考えとらんよなあ?」
 どこか確信していたかのように、門倉が図星をついてくる。南方は反駁しようと大口を開いてから、取り繕った嘘など何の意味もないと思いとどまった。開いた口をやわやわと噛みしめてから、観念した顔で吐き出す。
「……考えとった、それも、筒抜けやったんか」
 南方の答えを聞くなり、門倉が片手で喉笛を握りしめてきた。本気で気道を押さえられて、南方は後ずさり、声にならない声で喘ぐ。
「そがぁな阿呆を考えとったら、ぶちのめしたろう思うとったんじゃ、それを……。本当に考えとったとはのぉ……」
 怒りを通り越して艶然と笑う門倉の、凄絶な表情に南方が息を呑む。美しいと思ったのが半分、これが人生最後の景色と覚悟したのが半分だった。
 南方の態度に怒髪天を衝く門倉と、門倉に凄まれて言葉を無くした南方、二人のやり取りを愉快な余興と思って静観していた最上が、はたと気づいた顔で口を挟む。
「ちょっと待ちなさいよ。……アナタたち、あんなに露骨だったのに、まだ付き合ってなかったわけ?」
 尋ねつつ、途中で疑念が確信になったのだろう、最上が堪えられない笑いを噛み殺そうと、口元を歪めて引き攣らせている。噛み殺せない笑いを洩らす最上に、門倉はジロリと睨みつけてから、「じゃかしいわ」と悪態をついた。
 南方の喉から手を離し、流れで前髪をひっつかんで引き据える。
「ワシは悪うないぞ。コイツが、たいそう賢いこがな頭で、ごちゃごちゃ考えとるのがいけんのじゃ」
 固い握り拳を容赦なく脳天に何度も見舞いながら、理不尽な理屈で南方を責める。力加減しても門倉の拳だ、頑丈な南方の頭蓋でもそれなりに衝撃があった。おかげで、次から次へと信じがたい事態に見舞われて、混乱のあまり停止しかけた思考が戻り、目の間の現実に引き戻される。
 思いの丈が全部露呈していたという事実に、南方は喜色より驚きに身震いし、門倉をまじまじ見つめた。
「門倉、お前……」
 最上がこの場にいるのも忘れ、体裁も取り繕えず、狼狽のあまり口を引き結んでしまう。門倉は、青ざめて顔を強ばらせた南方を見ると派手に舌打ちし、噛みしめている口元を片手で掴んで、短くキスした。
「!」
 南方は目を見開いて、噛みしめた口を開く。何か口走ったつもりだったのが、声になっていなかった。息を吹きかえした面持ちで門倉を見つめる。が、門倉は南方の熱視線に構わず、最上を振り向くとどうだと言わんばかりに鼻先でせせら笑った。
 さんざん見せつけられる立場になってしまった最上は、可笑しさを通り越して同情する目で南方を見て、たしなめる眼差しで門倉を見た。
「はいはい、解ったわ。つついた私が悪かったわよ。それに、いい加減にしてあげたら? アナタの男、真っ青になってるじゃない」
「あ゛? なんで青くなるんじゃ。おい、南方、しゃんとせえ! ワシとおどれは相思相愛なんやぞ、喜ばんか!」
「そりゃあ、秘めたる恋のつもりが本人に筒抜けで、あまつさえ同僚の前でそれを暴露されたんじゃねえ……」
「まどろっこしくなくて良かったじゃろうが」
「これだから、がさつな男は……」
「キスくらいなんじゃ。お前もしょっちゅう、自分の黒服にしとるやろうが」
「私はもっと、場の雰囲気を尊重して、優雅に、愛でてあげてるわよ。一緒にしないで頂戴」
 最上は、ぴしゃりと言い返し、親しげな呆れ笑いを浮かべた。南方が口実に持ってきた資料のファイルを手に取ると、腰掛けていた机から立ち上がる。
「余興も終わったみたいだし、仕事に戻るわ。門倉、ほどほどにしてあげなさいよ」
 憮然とする門倉と、青くなればいいのか赤くなればいいのか解らない顔で硬直している南方に一言残し、その場を立ち去って行く。
 ハイヒールの靴音が聞こえなくなると、押し黙っていた南方が、瀕死の掠れた声で門倉を呼ばわった。
「門倉……」
 南方の声は、力なく、苦く歪んでいる。思いがけない結末への驚きや喜びより、一瞬でも門倉を疑った己への怒りが勝っていた。数十秒前の自分を叩きのめしたい気持ちで一杯だ。だが、自己嫌悪に溺れている場合ではない。
 今度こそ、腹を据えて門倉への気持ちにケリを付けようと意気込み、門倉の肩を掴んだ。口を開こうとすると、その口を門倉が手袋をした指でぶにと押さえつける。
「さすがに、おどれも覚悟決めたようじゃのう」
 南方は無言で頷く。神妙な顔で首を縦に振る南方を見た門倉が、企んだ笑みを浮かべて手を伸ばしてきた。掴んだ頭を、額がぶつかる距離まで引き寄せる。迷いない南方の目を覗き込んでから、潜めた声で挑発してきた。
「お前ん家に、ワシの着替え置いてきとる。意味は解るじゃろ。おどれの覚悟、後でじっくり見たるけぇなあ」
 南方が勢い込んで応えようとする。その口に、門倉が笑いの形のまま唇を押し当ててくる。南方が万感をこめて抱きすくめると、門倉はさも愉快そうに容赦なく体重を乗せて、抱きしめ返してきた。

 
 

[了]
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