四日間、ノイトラは部屋に戻らず、連絡も取れなかった。
出かけたノイトラが帰ってくるのは、決まって夕方から夜中か明け方で、昼間に戻ってくることはほぼない。テスラは、リビングのクローゼットにあるスーツケースを無視して、大人しくノイトラの帰りを待ち続けた。
四日の間に一度か二度、ノイトラがこのまま部屋に戻らないのでは、と不安に陥る瞬間があった。ネリエルとの会話が影響したのかもしれない。
途中、念のためクローゼットからスーツケースを出して、異臭がしないか、なんらかの液漏れがないかを確認したが、謎の重みがある以外に異常はなかった。
スーツケースの中身がネリエルであるはずがない。
しかし確かにある重みは、不穏な存在感を放っていた。ネリエルの言う「夢のおわり」が詰まっているのかもしれない。ノイトラを待たずに一人で捨てに行くかどうかまで考えたが、ノイトラの持ち物に干渉して不興を買った記憶が、実行を思いとどまらせた。
なにかの死体と共にノイトラの帰りを待つ日々には、二日で慣れてしまった。不穏さも、同居すれば馴染んでしまう。それなのに、ノイトラは未だに触れがたい。テスラにとって自分のテリトリーの外にある存在にしかなり得ない。テスラがノイトラに寄り添っているのではなく、ノイトラがテスラに後ろにつくのを許しているに過ぎないからだ。
四日目、テスラはクローゼットの前で、大学に行くかノイトラの帰りを待ってみるか、少し迷った。もしノイトラが戻ってきて、彼一人で「これ」に決着をつけてしまったら永遠に後悔するに違いない。
リビングのクローゼット前に佇んで思案していると、玄関の扉が開く音がした。ズカズカと踵を踏みならす足音があっという間に近づいてきて、ドアが開く。
買い物袋を提げたノイトラが、くぐるように上背を屈めて入ってきた。
「……」
ノイトラが昼間に帰ってきたのを見たテスラは自分自身でも意外なほど驚いていた。昼間のリビングにいるノイトラを見るのは何日ぶりか解らない。大学の、同じ講義でもすれ違わなかったので、大学には行ってなかったはずだ。
黒のタンクトップに白いシャツを羽織りスキニーパンツを履いた格好で、砂埃に似た体臭が漂ってくる。全身に疲労感が滲み、顔色も良いとは言えない。四日間ろくに寝ていないのだろう。うっすら隈の出来た目で、佇むテスラを一瞥した。
「……おかえり、ノイトラ。どこに行って……」
「死体、捨てに行くぞ」
挨拶抜きに、ノイトラがくぐもった声で言いやる。
「なに?」
「スーツケースを出せ。あとそのペラペラした服をどうにかしてこい。人ひとり放り込む穴を掘るんだからよ」
「待て、ノイトラ。話が……」
急な命令にテスラが狼狽える。ノイトラはテスラの質問を無視して、自分の寝室にさっさと引っ込んだ。ドアの向こうでクローゼットを乱暴に開け閉めする音が聞こえ、ノイトラが着替えていると察せられた。
大学に行くつもりの格好をしていたテスラは、仕方なくノイトラの指示通りに、着古したシャツと薄手のパーカーにクロップドパンツと丈のある靴下に着替えた。「穴を掘る」とノイトラが言っていたのを思い出して、バックパックにタオルと着替えを詰める。軍手やスコップはどうするのだろうかと思いつつ部屋を出ると、ノイトラも色あせた古着に着替え、バックパックに買い物袋の中身を移していた。ロープ、軍手、タオル。
ノイトラは適当にくくった荷物を見下ろすと、リビングの真ん中に放置されているスーツケースの上に腰かけ、ジャケットの胸ポケットにねじ込んだ煙草を取り出した。部屋は禁煙のルールだが、ノイトラの機嫌が悪いときは無視される。
一服を始めたノイトラがスーツケースに腰かけている姿は、奇妙なほど様になっていた。それはどこかネリエルを踏みつけているかのような、侮辱を感じる構図だった。
テスラは次の命令が出るまで、大人しく待つ犬のように沈黙して佇んでいた。ノイトラはきっちり一本吸い終えると、スーツケースの上で揉み消して、吸い殻を床に捨てる。テスラは従順に吸い殻を拾い上げてキッチンの流し台に捨てる。
「ところで、捨てるって言ったけど、コレを持って外を移動するのか?」
基本、テスラたちがどこかに移動するには公共交通機関を使う。正しい中身が何か不明だが、訳ありの特大スーツケースを持って公衆の前を移動するのはやや不安があった。
ノイトラはテスラの杞憂を一蹴した。
「車がある。お前、運転できるよな」
車と言われ、テスラはぎょっとした。テスラもノイトラも乗用車を持っていない。正体不明のスーツケースを運ぶために車を調達してきたのだとしたら、どこからそんな大金を、とテスラは手のひらに冷や汗をかいた。かつてないほど、ノイトラの行動が読めない。
「もちろん運転は出来るが、……行先のアテは?」
いくつもの疑問に包まれて混乱しはじめたテスラが質問ばかり投げかけると、ノイトラは鬱陶しげに舌打ちし、手を振った。
「さっきからゴチャゴチャうるせえな。いいからついて来い」
そう言うと、スーツケースから腰を上げる。自分のバックパックを拾い上げてテスラに放り投げると、一人で運ぶのは難儀な重さのスーツケースを引きずって玄関に向かった。スーツケースはノイトラ一人で持つ、という意思表示に、テスラは複雑な表情を浮かべて自分とノイトラのバックパックを担ぎ、ノイトラの後に続いた。
出かけたノイトラが帰ってくるのは、決まって夕方から夜中か明け方で、昼間に戻ってくることはほぼない。テスラは、リビングのクローゼットにあるスーツケースを無視して、大人しくノイトラの帰りを待ち続けた。
四日の間に一度か二度、ノイトラがこのまま部屋に戻らないのでは、と不安に陥る瞬間があった。ネリエルとの会話が影響したのかもしれない。
途中、念のためクローゼットからスーツケースを出して、異臭がしないか、なんらかの液漏れがないかを確認したが、謎の重みがある以外に異常はなかった。
スーツケースの中身がネリエルであるはずがない。
しかし確かにある重みは、不穏な存在感を放っていた。ネリエルの言う「夢のおわり」が詰まっているのかもしれない。ノイトラを待たずに一人で捨てに行くかどうかまで考えたが、ノイトラの持ち物に干渉して不興を買った記憶が、実行を思いとどまらせた。
なにかの死体と共にノイトラの帰りを待つ日々には、二日で慣れてしまった。不穏さも、同居すれば馴染んでしまう。それなのに、ノイトラは未だに触れがたい。テスラにとって自分のテリトリーの外にある存在にしかなり得ない。テスラがノイトラに寄り添っているのではなく、ノイトラがテスラに後ろにつくのを許しているに過ぎないからだ。
四日目、テスラはクローゼットの前で、大学に行くかノイトラの帰りを待ってみるか、少し迷った。もしノイトラが戻ってきて、彼一人で「これ」に決着をつけてしまったら永遠に後悔するに違いない。
リビングのクローゼット前に佇んで思案していると、玄関の扉が開く音がした。ズカズカと踵を踏みならす足音があっという間に近づいてきて、ドアが開く。
買い物袋を提げたノイトラが、くぐるように上背を屈めて入ってきた。
「……」
ノイトラが昼間に帰ってきたのを見たテスラは自分自身でも意外なほど驚いていた。昼間のリビングにいるノイトラを見るのは何日ぶりか解らない。大学の、同じ講義でもすれ違わなかったので、大学には行ってなかったはずだ。
黒のタンクトップに白いシャツを羽織りスキニーパンツを履いた格好で、砂埃に似た体臭が漂ってくる。全身に疲労感が滲み、顔色も良いとは言えない。四日間ろくに寝ていないのだろう。うっすら隈の出来た目で、佇むテスラを一瞥した。
「……おかえり、ノイトラ。どこに行って……」
「死体、捨てに行くぞ」
挨拶抜きに、ノイトラがくぐもった声で言いやる。
「なに?」
「スーツケースを出せ。あとそのペラペラした服をどうにかしてこい。人ひとり放り込む穴を掘るんだからよ」
「待て、ノイトラ。話が……」
急な命令にテスラが狼狽える。ノイトラはテスラの質問を無視して、自分の寝室にさっさと引っ込んだ。ドアの向こうでクローゼットを乱暴に開け閉めする音が聞こえ、ノイトラが着替えていると察せられた。
大学に行くつもりの格好をしていたテスラは、仕方なくノイトラの指示通りに、着古したシャツと薄手のパーカーにクロップドパンツと丈のある靴下に着替えた。「穴を掘る」とノイトラが言っていたのを思い出して、バックパックにタオルと着替えを詰める。軍手やスコップはどうするのだろうかと思いつつ部屋を出ると、ノイトラも色あせた古着に着替え、バックパックに買い物袋の中身を移していた。ロープ、軍手、タオル。
ノイトラは適当にくくった荷物を見下ろすと、リビングの真ん中に放置されているスーツケースの上に腰かけ、ジャケットの胸ポケットにねじ込んだ煙草を取り出した。部屋は禁煙のルールだが、ノイトラの機嫌が悪いときは無視される。
一服を始めたノイトラがスーツケースに腰かけている姿は、奇妙なほど様になっていた。それはどこかネリエルを踏みつけているかのような、侮辱を感じる構図だった。
テスラは次の命令が出るまで、大人しく待つ犬のように沈黙して佇んでいた。ノイトラはきっちり一本吸い終えると、スーツケースの上で揉み消して、吸い殻を床に捨てる。テスラは従順に吸い殻を拾い上げてキッチンの流し台に捨てる。
「ところで、捨てるって言ったけど、コレを持って外を移動するのか?」
基本、テスラたちがどこかに移動するには公共交通機関を使う。正しい中身が何か不明だが、訳ありの特大スーツケースを持って公衆の前を移動するのはやや不安があった。
ノイトラはテスラの杞憂を一蹴した。
「車がある。お前、運転できるよな」
車と言われ、テスラはぎょっとした。テスラもノイトラも乗用車を持っていない。正体不明のスーツケースを運ぶために車を調達してきたのだとしたら、どこからそんな大金を、とテスラは手のひらに冷や汗をかいた。かつてないほど、ノイトラの行動が読めない。
「もちろん運転は出来るが、……行先のアテは?」
いくつもの疑問に包まれて混乱しはじめたテスラが質問ばかり投げかけると、ノイトラは鬱陶しげに舌打ちし、手を振った。
「さっきからゴチャゴチャうるせえな。いいからついて来い」
そう言うと、スーツケースから腰を上げる。自分のバックパックを拾い上げてテスラに放り投げると、一人で運ぶのは難儀な重さのスーツケースを引きずって玄関に向かった。スーツケースはノイトラ一人で持つ、という意思表示に、テスラは複雑な表情を浮かべて自分とノイトラのバックパックを担ぎ、ノイトラの後に続いた。
マンションの玄関を出ると、正面の路肩に見覚えのないセダンが停まっていた。ノイトラがスーツケースを引きずり近づいていく。トランクに入れようとするのを見て、テスラが手伝いに近づいたがノイトラは無視して、自力でスーツケースを持ち上げてトランクに放り込んだ。どん、と重たいものを投げ置いた音が昼下がりの通りに響く。
ノイトラは勢いよくトランクを閉めると、車のキーをテスラに投げ渡した。
「この車はどうしたんだ?」
「パクった」
(盗難車……)
テスラはひっそり渋い表情を浮かべて、受け取った鍵でドアを開ける。後部座席に荷物を投げ込むと、先客にスコップやバケツ、LEDライト、灯油ポリタンクが居座っていた。什器はどれも二人分用意されている。ポリタンクの存在がこの上なく物騒で、テスラは思わずノイトラを探す。助手席に乗り込んだノイトラは、目配せで車を出すよう促してきた。
車の手配とスーツケースを埋めるための道具を揃えるための四日間だったと判明し、テスラは納得と同時に、一言の相談もなかったことへの侘しさを感じていた。
例えば、恐喝していた相手を殺して埋めに行く、という話だったら、恐喝の時点からテスラに話くらいしていただろう。相手を死体にした後すぐ、テスラを呼び出して片付けの算段から手伝わせていたに違いない。
殺したのがネリエルだから、ノイトラはすべて一人でやろうとした。一人では無理、あるいは面倒な死体埋めの作業だけは、テスラほ頭数に入れる。ネリエルと自分の間に不純物が混ざらないようにしている、と思われても不思議ない態度だ。実際、そうなのだろう。
ノイトラは果たしてネリエルのなにを殺したのか。テスラにはやはり、解らない。
(解らないから、車の調達に呼ばれなかったのかもしれない)
テスラは思案しながらエンジンをかけ、ひとまず発車させた。都市部に出るルートを選択しつつ、助手席のノイトラを振り向かず尋ねる。
「行先は?」
長身を車内に押し込め窮屈そうにしながら、ノイトラがカーナビを触る。だが、起動させたものの行先設定の方法が解らず、音声ガイドから何度か似たようなエラー文言を投げ返されて、最後には拳で画面を殴りつけた。手元で携帯を弄って地図アプリを表示させると、ルート設定してテスラに投げる。テスラは慌てて片手をハンドルから離し、投げられた携帯を無事に受け取った。
都市の中心を横切り、隣接する県の山中にゴールが設定してある。辿り着く頃には深夜になっているだろう。買い込んだ荷物にLEDライトがあるのを思い出し、明かりの乏しい山中で穴掘りの作業があると把握し、内心ぐったりした。ノイトラにやれと言われたことはなんでもやるが、気乗りがするかどうかは別だ。
見慣れた道を、慣れていない運転で、それなりの速度を出しながら(安全運転を心がけて速度を落とすとノイトラが不機嫌に舌打ちするのだ)車を走らせる。
盗難車からは、元の持ち主の癖や嗜好が漂ってきて落ち着かなかった。信号待ちにカーラジオを付けて、道路情報を探ろうとする。テスラの手を払いのけ、ノイトラがおとなしめのFM局を選択した。ノイトラは人が喋る喧しさを好まない傾向があり、ラジオを聞くときはDJの喋りが少ないタイプのチャンネルに切り替えられてしまうのだ。
「交通情報が聞きたいんだが」
「スマホ貸せ、調べてやる」
ノイトラが不機嫌に目を細め、テスラを振り向いた。渡した携帯を返せと、手を差し伸べて要求してくる。テスラが前方から目を逸らさず携帯を渡そうとすると、引ったくるように受け取られた。
ノイトラはしばらく携帯の画面を弄っていたが、途中で気が逸れて別の調べ物を始めてしまったのか、携帯はテスラの方に渡されなかった。
ルートはざっくり頭に入っている。テスラは地元の幹線道路から国道に乗り、インターチェンジを目指す。普段、徒歩や自転車で通り過ぎる景色があっという間に過ぎていき、駅前も通り過ぎて、車でしか来ないあたりを走り始めると、いよいよ県をまたぐ移動が始まった実感が湧いてきた。ノトイラと共にこんな長距離を移動するのは初めてだ。
舗装ががたついた道で車が振動するたび、車体の後ろ、トランクの中でスーツケースがゴトゴトと跳ねるのを感じる。緩いボサノヴァが流れる車内で、テスラは今ならトランクの中身について、正体を問いただせるのではないかという気がした。
前方に注意を払いつつ、二度三度、助手席のノイトラを横目で見やる。別の調べ物に没頭してしまったノイトラは、細い目を伏せて手元を見つめたまま、静かに口を引き結んでいる。よく見ると唇の下でぶつぶつと独り言を呟いているようだった。上唇が時々突き出され、繰り返す独白の欠片が零れる。
疲労感でいつもよりいっそう蒼い顔をしているが、不機嫌ではない。ノイトラの目の下の隈を、ちらちらと盗み見ていたせいで車間距離がおろそかになり、慌ててブレーキを踏む。車体がガクンと揺れてトランクのスーツケースが前方に滑ってぶつかる音や、ポリタンクの中で液体がばちゃばちゃ揺れる音が響く。ノイトラの集中が切れて、携帯から視線を上げた。
テスラがばつの悪い視線を向けると、ノイトラの鋭い目と目が合う。
「人の顔色窺って運転してんのか、テメェは」
「いや、……疲れてるなら、しばらく眠ったらどうだ? 四日のあいだ、いろいろあったんだろ」
「ハッ。何も知らねえくせに知ったような口きくな」
まったくその通りだ、とテスラは自嘲する。穴掘りの要員兼運転手として同行しているが、スーツケースの中身を穴に放り込む場面には立ち会わせてもらえない気がしてきた。このときテスラは、自分には「ネリエルの死体」の正体を知るすべがないと確信した。
だとしても、ノイトラが何かを埋葬するのに立ち会えるならそれで良い、と考え直す。それこそ、自分とノイトラとの正しい距離だ、という気がしてくる。
上着の胸ポケットから煙草を取り出して火を点け、ノイトラは窓を開けて煙草を持った片腕を外に出した。初秋とはいえまだ暑い空気が、車内の空調を掻き乱す。
「大学にはもう行かないのか?」
テスラが問いかけた。ノイトラは前を向いたまま、なんでだ、と聞き返してきた。
「最近、ここ二ヶ月くらいの話だが、ずっと留守がちだから」
リビングで共に朝食や夕食を摂る機会は減る一方で、大学でずば抜けた長身を見かける機会もあまりない。今月は同じ講義に出ているところを一度も見かけていない。テスラの頭にはずっと、ネリエルの話がこびりついていた。
ノイトラは冷たい飲み物を啜るように煙草を吸い込み、紫煙を吐き出しながらせせら笑う。
「テメェが知らない間に講義に出てンだよ。いちいち口挟むな、うるせぇ」
意外にちゃんとした答えが返ってきて、テスラは驚く。意識が前方方向から隣のノイトラに逸れてしまう。運転に集中しようとハンドルを握り直すと、隣のノイトラが思い出した口調で告げた。
「この間の、心理学の講義。レポート課題出てんだろ。あとで内容教えろ」
「……講義、出てないんじゃないか」
テスラは前を向いたまま苦笑いした。車間距離を見つつ、加速する。開き直った態度で黙り込んだノイトラは目を細め、皮肉に笑いながら煙草を咥えた。弄っていた携帯の画面を何度かタップし、運転席側に備え付けられたスマホホルダーに押し込む。表示されているのは目的地までのルートだった。ノイトラは他人の車をもう自分のもののように扱っている。
「座席を下げるから、どこかで停車させろ」
ノイトラが呟いた。長い足を窮屈に折りたたむ様は、膝を抱える子供めいていた。機嫌が悪いようで良い、解りにくい手応え。
車内はまるで、休日にドライブしているような空気に包まれている。これから死体を埋めるために夜中の山中を目指しているとは思えない、気楽で、解放感に溢れた空気だ。テスラは奇妙な感覚に陥る。ノイトラとそんな真似をしたことは一度もないのに、過去に何度かこんな雰囲気を味わったことがある錯覚を覚えていた。
あるいは。破面のテスラは、破面のノイトラと連帯感のある快い空気を、感じたことがあるのかもしれない。
ノイトラは勢いよくトランクを閉めると、車のキーをテスラに投げ渡した。
「この車はどうしたんだ?」
「パクった」
(盗難車……)
テスラはひっそり渋い表情を浮かべて、受け取った鍵でドアを開ける。後部座席に荷物を投げ込むと、先客にスコップやバケツ、LEDライト、灯油ポリタンクが居座っていた。什器はどれも二人分用意されている。ポリタンクの存在がこの上なく物騒で、テスラは思わずノイトラを探す。助手席に乗り込んだノイトラは、目配せで車を出すよう促してきた。
車の手配とスーツケースを埋めるための道具を揃えるための四日間だったと判明し、テスラは納得と同時に、一言の相談もなかったことへの侘しさを感じていた。
例えば、恐喝していた相手を殺して埋めに行く、という話だったら、恐喝の時点からテスラに話くらいしていただろう。相手を死体にした後すぐ、テスラを呼び出して片付けの算段から手伝わせていたに違いない。
殺したのがネリエルだから、ノイトラはすべて一人でやろうとした。一人では無理、あるいは面倒な死体埋めの作業だけは、テスラほ頭数に入れる。ネリエルと自分の間に不純物が混ざらないようにしている、と思われても不思議ない態度だ。実際、そうなのだろう。
ノイトラは果たしてネリエルのなにを殺したのか。テスラにはやはり、解らない。
(解らないから、車の調達に呼ばれなかったのかもしれない)
テスラは思案しながらエンジンをかけ、ひとまず発車させた。都市部に出るルートを選択しつつ、助手席のノイトラを振り向かず尋ねる。
「行先は?」
長身を車内に押し込め窮屈そうにしながら、ノイトラがカーナビを触る。だが、起動させたものの行先設定の方法が解らず、音声ガイドから何度か似たようなエラー文言を投げ返されて、最後には拳で画面を殴りつけた。手元で携帯を弄って地図アプリを表示させると、ルート設定してテスラに投げる。テスラは慌てて片手をハンドルから離し、投げられた携帯を無事に受け取った。
都市の中心を横切り、隣接する県の山中にゴールが設定してある。辿り着く頃には深夜になっているだろう。買い込んだ荷物にLEDライトがあるのを思い出し、明かりの乏しい山中で穴掘りの作業があると把握し、内心ぐったりした。ノイトラにやれと言われたことはなんでもやるが、気乗りがするかどうかは別だ。
見慣れた道を、慣れていない運転で、それなりの速度を出しながら(安全運転を心がけて速度を落とすとノイトラが不機嫌に舌打ちするのだ)車を走らせる。
盗難車からは、元の持ち主の癖や嗜好が漂ってきて落ち着かなかった。信号待ちにカーラジオを付けて、道路情報を探ろうとする。テスラの手を払いのけ、ノイトラがおとなしめのFM局を選択した。ノイトラは人が喋る喧しさを好まない傾向があり、ラジオを聞くときはDJの喋りが少ないタイプのチャンネルに切り替えられてしまうのだ。
「交通情報が聞きたいんだが」
「スマホ貸せ、調べてやる」
ノイトラが不機嫌に目を細め、テスラを振り向いた。渡した携帯を返せと、手を差し伸べて要求してくる。テスラが前方から目を逸らさず携帯を渡そうとすると、引ったくるように受け取られた。
ノイトラはしばらく携帯の画面を弄っていたが、途中で気が逸れて別の調べ物を始めてしまったのか、携帯はテスラの方に渡されなかった。
ルートはざっくり頭に入っている。テスラは地元の幹線道路から国道に乗り、インターチェンジを目指す。普段、徒歩や自転車で通り過ぎる景色があっという間に過ぎていき、駅前も通り過ぎて、車でしか来ないあたりを走り始めると、いよいよ県をまたぐ移動が始まった実感が湧いてきた。ノトイラと共にこんな長距離を移動するのは初めてだ。
舗装ががたついた道で車が振動するたび、車体の後ろ、トランクの中でスーツケースがゴトゴトと跳ねるのを感じる。緩いボサノヴァが流れる車内で、テスラは今ならトランクの中身について、正体を問いただせるのではないかという気がした。
前方に注意を払いつつ、二度三度、助手席のノイトラを横目で見やる。別の調べ物に没頭してしまったノイトラは、細い目を伏せて手元を見つめたまま、静かに口を引き結んでいる。よく見ると唇の下でぶつぶつと独り言を呟いているようだった。上唇が時々突き出され、繰り返す独白の欠片が零れる。
疲労感でいつもよりいっそう蒼い顔をしているが、不機嫌ではない。ノイトラの目の下の隈を、ちらちらと盗み見ていたせいで車間距離がおろそかになり、慌ててブレーキを踏む。車体がガクンと揺れてトランクのスーツケースが前方に滑ってぶつかる音や、ポリタンクの中で液体がばちゃばちゃ揺れる音が響く。ノイトラの集中が切れて、携帯から視線を上げた。
テスラがばつの悪い視線を向けると、ノイトラの鋭い目と目が合う。
「人の顔色窺って運転してんのか、テメェは」
「いや、……疲れてるなら、しばらく眠ったらどうだ? 四日のあいだ、いろいろあったんだろ」
「ハッ。何も知らねえくせに知ったような口きくな」
まったくその通りだ、とテスラは自嘲する。穴掘りの要員兼運転手として同行しているが、スーツケースの中身を穴に放り込む場面には立ち会わせてもらえない気がしてきた。このときテスラは、自分には「ネリエルの死体」の正体を知るすべがないと確信した。
だとしても、ノイトラが何かを埋葬するのに立ち会えるならそれで良い、と考え直す。それこそ、自分とノイトラとの正しい距離だ、という気がしてくる。
上着の胸ポケットから煙草を取り出して火を点け、ノイトラは窓を開けて煙草を持った片腕を外に出した。初秋とはいえまだ暑い空気が、車内の空調を掻き乱す。
「大学にはもう行かないのか?」
テスラが問いかけた。ノイトラは前を向いたまま、なんでだ、と聞き返してきた。
「最近、ここ二ヶ月くらいの話だが、ずっと留守がちだから」
リビングで共に朝食や夕食を摂る機会は減る一方で、大学でずば抜けた長身を見かける機会もあまりない。今月は同じ講義に出ているところを一度も見かけていない。テスラの頭にはずっと、ネリエルの話がこびりついていた。
ノイトラは冷たい飲み物を啜るように煙草を吸い込み、紫煙を吐き出しながらせせら笑う。
「テメェが知らない間に講義に出てンだよ。いちいち口挟むな、うるせぇ」
意外にちゃんとした答えが返ってきて、テスラは驚く。意識が前方方向から隣のノイトラに逸れてしまう。運転に集中しようとハンドルを握り直すと、隣のノイトラが思い出した口調で告げた。
「この間の、心理学の講義。レポート課題出てんだろ。あとで内容教えろ」
「……講義、出てないんじゃないか」
テスラは前を向いたまま苦笑いした。車間距離を見つつ、加速する。開き直った態度で黙り込んだノイトラは目を細め、皮肉に笑いながら煙草を咥えた。弄っていた携帯の画面を何度かタップし、運転席側に備え付けられたスマホホルダーに押し込む。表示されているのは目的地までのルートだった。ノイトラは他人の車をもう自分のもののように扱っている。
「座席を下げるから、どこかで停車させろ」
ノイトラが呟いた。長い足を窮屈に折りたたむ様は、膝を抱える子供めいていた。機嫌が悪いようで良い、解りにくい手応え。
車内はまるで、休日にドライブしているような空気に包まれている。これから死体を埋めるために夜中の山中を目指しているとは思えない、気楽で、解放感に溢れた空気だ。テスラは奇妙な感覚に陥る。ノイトラとそんな真似をしたことは一度もないのに、過去に何度かこんな雰囲気を味わったことがある錯覚を覚えていた。
あるいは。破面のテスラは、破面のノイトラと連帯感のある快い空気を、感じたことがあるのかもしれない。
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