bleach

DEEP-SETS

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 そのあと高速に乗り、途中、簡素なパーキングエリアで短い休憩を取っただけで、車を走らせ続け、目的地に到着した。運転に慣れているとは言い難いテスラにとって、夜中の山道を走るのは怖ろしく困難で、昼間に飛ばして稼いだ時間は山道を走る際に全部使い切ってしまった。車は進入できる行き止まりまで進み、そこから先はノイトラが先導した。
 ノイトラは予め下見でもしてきたように、車と、埋める地点とのルートを把握していた。LEDライトを片手に、車からスコップやバケツ、バックパック、そしてスーツケースを運ぶのに何度か往復して、それだけでテスラはだいぶくたびれてしまった。
 しかし、そこからが本番だった。
 人ひとり埋める穴は、人が一人、立って埋まる深さが必要だ。二メートルの穴を掘るのに、二人がかりで数時間かかった。黙々と、スコップで土を掻き出す作業の間、お互いに会話はなく(テスラはしゃべる余裕すらなかった)、互いに汗だくになりながら土と泥に汚れていった。ノイトラの息が上がるところを見るのは久しぶりだった。高校で、他校生と多対多の乱闘をしたとき以来だ。途中、ノイトラは長い髪を蒸すんで項を晒し、涼しさを求めた。その仕草を見たテスラは、よくない連想をして目を逸らした。死体を埋める穴を掘る作業は、どこか無言の情事めいていた。
「もういいだろ」
 ノイトラが呟く。腕で汗を拭い、バケツに入れた土塊を提げて垂らしたロープを使ってよじ登る。テスラはスコップと空のバケツを片手に、ノイトラに続いて上ろうとする。
「そら」
 先に上がったノイトラが手を延べてきた。テスラの片手か什器を受け取り、次に軍手を嵌めたテスラの手をがっしりと掴んで、穴から引き上げた。穴を照らすライトの逆光で黒い影になっているノイトラから述べられた腕は、ところどころ汚れながらも白く、強いコントラストの中から自分を引き上げるノイトラに、テスラは破面のノイトラを見た。
 穴から這い上がったテスラの前に、どさ、とスーツケースが据え置かれる。
 ノイトラがズボンのポケットから光る小さな鍵を取り出した。何の変哲もない、よくある南京錠の鍵に似た小さい鍵。スーツケースの鍵だ。
 ――ノイトラ。ネリエルの死体の、正体は何なんだ。
 喉元まで出かけた問いを飲み込み、テスラはまだ整わない息を忙しく吸い込みながら、ノイトラがスーツケースを開けるところを、じっと凝視する。
 何が転び出ても驚くまい、と覚悟する。
 カチッと鍵の開く音がして、ノイトラは屈んでスーツケースの留め金をバチバチと外した。そして、穴に向かって中身をぶちまけるように、足で蹴っ飛ばしながら開ける。
 四肢五体が見えた。どういう理屈か、死体はしなやかに手足を広げてスーツケースから転がり出た。豊かにウェーブした緑の髪。白くゆったりとした上着とズボン。
 頭頂から額にかけての、破面。
 破面のネリエルが、穴の中へ真っ逆さまに落ちていく。
「…………」
「……テメェはまた、獣のやり口だと言うだろうが、知ったこっちゃ無え」
「そんなこと、俺は」
「テメェには言ってねえよ」
 ノイトラは呟くと、テスラを一瞥した。足下のライトに煽られてその表情は判然とせず、テスラにはノイトラがどんな感情でいるのか解らずじまいだった。破面のネリエルがどうして実体としてあるのか、現実のネリエルに影響はないのか、様々な疑念が渦巻くなかでたったひとつ、はっきりしたことがある。
 ノイトラもテスラと同じ夢を見ている。
 つまり、ネリエルと同じ夢を。
 ネリエルの憐れみを含んだ声がテスラの脳裏に蘇る。
 ――夢には終わりがあるものよ。
 テスラはノイトラを振り向いた。タオルで汗と泥を拭ったノイトラの横顔には、苦い達観が浮かんでいる。ネリエルという頸木から解き放たれようと藻掻く心情が静かな横顔から伝わってくる。スーツケースの中身を埋めに来たのが、ノイトラにとって正しいことだったのかどうか、テスラには解らなくなった。
 しかし、ノイトラが破面のネリエルの夢から解放されたいと願っているのは、確かだった。
「埋めるぞ。あと、車はこの辺りまでどうにか進めて、スーツケースごと燃やす」
「解った」
 二つ返事のテスラに、ノイトラが皮肉げにせせら笑う。
「テメェ、これを見てなんも思わねえのかよ。自分の感情ってもんがねえのか?」
「あるよ。俺にも、君やネリエルに対する感情はある」
「へぇ」
 そいつは面白れぇな、とノイトラは嘲笑してスコップを渡してくる。
 最初に土をかけたのはノイトラだった。テスラもそれに倣う。破面のネリエルは驚き放心した死に顔をしていて、その上に、ノイトラが自分の執着をかき消すかのように土を被せて、埋め戻していく。テスラは、彼女の顔や体ではなく穴の余白に土をかけた。ネリエルを塗りつぶすのはノイトラの願いだという気がしたのだ。
 また、一言も会話がないまま、避けた土をスコップで穴に戻す作業を延々と繰り返す。時間は夜中三時を回り、テスラの両腕は限界まで疲労していた。ノイトラも同じなのだろう。穴を掘るより埋め戻す方が時間がかかり、途中で休憩を挟みつつ、空が白々と明け始める前には、どうにか掘り下げた穴を埋め戻し終えた。
 ノイトラは休まず動いた。テスラも、ふらふらの体を精神力だけで動かし、什器類を両手に車まで戻る。
 テスラが運転席に乗り込むと、ノイトラが助手席の窓から覗き込んで命じた。
「できるだけ奥まで突っ込め」
「ああ」
 ノイトラが車から離れた。テスラは、一度ギアをバックに入れて車を後ろに下がらせる。そして、有刺鉄線と薄い看板で出来たバリケードに向かって勢いよく突っ込んだ。バリケードを踏み破って、獣道の進めるところまで車を強引に進めていく。車の底を折れた枝がガリガリ引っ掻く音、タイヤが太い枝や細い枝に乗り上げていく感触が続く。ひどい疲労と、よく分からない昂揚感に突き動かされ、テスラは壊さんばかりの乱暴さで、山中のさらに奥へ車を進めていった。
 均された道を、後ろからノイトラが歩いてくる。
「もういいぞ!」
 ノイトラに大声で制止されて、テスラはアクセルとブレーキを踏み込んでいた足を緩め、握りしめていたハンドルからゆっくりと手を放した。サイドブレーキを引いてエンジンを止め、運転席を下りる。
 ノイトラが後部座席にスーツケースを放り込んだ。ふらふらと車から離れるテスラを後目に、ポリタンクをめちゃくちゃに振り回して、車体に灯油をぶちまけていく。意気揚々と車を燃やす準備を始めたノイトラを、テスラは離れた場所に腰を下ろしてただ見ていた。もう腕を持ち上げる力は残っていなかった。
 ポリタンク三つ分の灯油を車体と周辺に巻き終わったノイトラは、身につけていた服や軍手も全部、車の中に放り込む。そうして、着火したライターを車内に投げ込んだ。
 ばっ、と火が車を舐めとるように燃え広がる。ごうごうと燃え始めた車の側で、ノイトラは持って来た服に着替え、離れた場所にへたりこんでいるテスラへと歩み寄ってきた。
「へぱってる場合じゃねえ、爆発に巻き込まれたいか?」
「いや、……」
 ノイトラはテスラの二の腕を掴んで強引に立ち上がらせた。テスラのバックパックを押しつけると、来た道路の方に向かって歩き出す。テスラは音を立てて燃え始めた車の、烈しい炎でいっそう鮮烈に照らされ、伸びたノイトラの影を踏みつつ、後に付いていく。
 テスラが車で突破したバリケードを踏み越え、舗装された道の起点にたどり着いた。その瞬間、背後でボンッと凄まじい爆発音がして火柱が上がる。ノイトラが振り向き、テスラも振り向いた。乗ってきた車は他の証拠類と共に炎に巻かれて、形を無くしていく。
 終止符にしては鮮やかな光景で、テスラは目を細める。埋めた土の下から、仮面のネリエルが現実のネリエルの言葉をなぞり、問いかけてくる。
 ――終わりがない夢の方が、残酷だと思わないの?
(俺はそう思わない。だがノイトラがどう思うかは、わからない)
 テスラよりくたびれているはずのノイトラは、まっすぐした背中で暗い山道を、照らしつつ歩いて行く。ノイトラは炎に巻かれる車と、その側の柔らかな地面とを、一度も振り返らなかった。
 来た道をどれくらい引き返したのか、歩く足がもつれるほど疲労した頃に、山間から朝日が昇り始めた。白々と明けはじめると、深く山中に分け入ったかに思えた場所も、数キロ先に小さな集落が見える程度に人里だった。もしかすると、夜中に家から出た人間がいたら、車を燃やす火がちらちらと明るく灯って見えていたかもしれない。
「コンビニくらいあるだろ。そこで一旦、休憩するぞ」
「……ああ、そうしてくれると、助かる」
 はあはあと息を切らしながら答えたテスラを、ノイトラが振り向く。より一層濃くなった隈と、細められた目は、じっとテスラの表情を窺っていた。ノイトラがテスラの表情を確かめるのは珍しい。
 ノイトラは立ち止まり、だいぶ遅れてついてくるテスラに近づいてきた。着替えておらず、汚れた服に汗と泥で汚れたままの顔を見下ろす。髪を掴んで上向かせると、しげしげと整った顔立ちを眺めた。
「ノイトラ?」
 不気味なノイトラの態度に、テスラが警戒しつつ問いかける。ノイトラは掴んだ髪を放すと、バックパックのポケットから新しい煙草を取り出した。急に煙草を吸いはじめたノイトラに、テスラは無言で見上げる。
「なあ。いいモン呉れてやろうか」
「え?」
 ノイトラが咥えた煙草を片手に持ち直した。軽く小首を傾げ、ニタリと笑う。テスラの返事を待たず、空いた方の手でテスラの顎を握りしめるように強く掴んで、上向かせた。
 煙草の煙が右視界を漂い、次の瞬間、テスラの右目は灼熱の激痛に襲われる。ノイトラが煙草の先をテスラの右眼球に押しつけたのだった。
「あ、あ゛っ!?」
 テスラは堪らずノイトラの腕を振りほどく。眼球を傷つけられた激痛と目という部位そのものへの加害で、止めどなく涙があふれ出す。ショックのあまりその場で四つん這いになり、大きく肩で息をして喘ぐテスラに、ノイトラの上機嫌な声が降り注いだ。
「これで、夢とお揃いだろ」
 テスラは顔を上げる。涙と血でぐちゃぐちゃになった右視界と、正常な左視界とで、ノイトラが笑っている。
 テスラは、はじめてノイトラの面差しをちゃんと見られたと感じた。長い影の上に這いつくばったまま、テスラは歪んでブレた視界のノイトラから目を逸らせないでいた。

 

[了]

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